「素描漫遊譚」
「チリンチリンと60年」
そう言えば娘は小さな頃、覚えたての片言の言葉で、三輪車を「チリンタ」と呼んだ。

しばらくすると補助輪のついた自転車へ。

今度は「チリンシャ」と呼び、得意げに乗り回したものだ。
チリンタからチリンシャへ、呼び名が変わる度に娘も成長した。
自転車油の匂いに誘われ遠い日の感傷に耽っていると、看板犬のハナちゃん(12歳雌)が親しげに尾を振り迎えてくれた。
「捨て犬だったのよ。主人が拾って来てね」と、前田自転車モーター商会の前田春美さん(55)。
創業60年、国府宮駅前の老舗の自転車屋さんだ。

「ぼくはずっと自動車の整備をやっとったでねぇ。自転車は新入り。だでお袋に付いて10年修業した、オッカアの方が長いわねぇ」。
夫で二代目の実さん(55)が、油で真っ黒な軍手を外した。
店内には所狭しと国産のニューモデルが並ぶ。
「ぼくの頃は、ウインカーのライトが点滅して流れるフラッシャー。でも直ぐに電池が無くなって、球切れしちゃって。そんなのもう無いんだろうなあ」。
中学の入学祝いに買って貰った、あの頃を懐かしんだ。

「今はメーター付きのとか、やっぱり子供には人気です」と、三代目の広光さん(33)も顔を添えた。
前田自転車モーター商会 稲沢市松下
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自分達の子供の頃は、
玄関先には三輪車が野ざらしにされて普通にあった。
それに補助輪を付けて、ガァ~ガァ~と自転車に乗っている子供
今、子供が少ないせいか、そんな風景見なくなった気がする。
補助輪が取れてスィスィ普通に乗れた時って、嬉しかったよねぇ❢
けどさぁ・・普通に乗れるまで足をどんだけ擦り剥いた事やら
よく赤チンを塗っていた ❢
今、自転車でコケたら「赤チン」だけで済まないねぇ
最近の電動アシスト付き自転車。
前後に小さな子供を乗せたお母さんが、物凄いスピードで人波を掻き分けて走り、コーナーを減速せずに曲がって来ると、ドキッとさせられることもしばしばあります。
あんな重たい電動アシスト付き自転車で転んだら、それは大変なことになっちゃう気がしますがねぇ。
色鮮やかですね。
なんと言っても昭和の時代の三輪車と写っている写真は白黒写真なので 色が思い出せないでいます。
自転車のグリップに付いていた15センチくらいの七色の色鮮やかなリボンが揺れていたことは覚えています。
女の子の自転車らしい飾りですねぇ。
そんな女の子の自転車、ぼくの記憶の中にもほんのちょっとだけ残っていました。
フラッシャー付きの自転車が欲しかった私です。中学校に上がる時は遠距離通学ゆえ、自転車が必須でした。小学校の卒業が近づくと同級生の男子達は皆フラッシャー付きの自転車を買ってもらったと教室で自慢していました。私も、買って欲しいと父親にねだりましたが、「実用的なのがええ」とサラリーマンが乗るオッサン自転車をあてがわれました。卒業前に交通教室があって、小学校に通学用の自転車を持って来るように指示がありました。果たして、私を除いた男子児童全員がフラッシャー付きの自転車を持ち込みました。私は恥ずかしかった思い出がいまも忘れられません。しかし、このオッサン自転車は長持ちして大学に進学するため広島まで帯同しました。8年間は走ってくれました。ただ、フラッシャー付きの自転車、昔の片想いの彼女を思うが如く少しノスタルジーを感じるオジイです。
ぼくも中学入学時に、泣いてせがんでやっとこさ買って貰ったフラッシャー付きの自転車でしたが、学校の自転車置き場でなぎ倒され、1月もしないうちにフラッシャーのボックスが割れてしまったものです。
さすがに悔しくって泣けて泣けて、お母ちゃんにせがんでやっと買って貰ったものなのに、申し訳ない思いで泣いて侘びたものです。