「素描漫遊譚」
「グローバル・コモン6、環太平洋の国々を巡る前哨戦!」
今回の「素描漫遊譚」も、愛・地球博の長久手会場が舞台。
人込みのリズムに合せながら、いつもよりちょっぴり気忙しく、漫ろ歩いてみましょうか。
とにかく会場内のあちこちで、車椅子の姿を見かける。
車椅子に揺られる人も、それを押す健常者も、老若男女それぞれである。
協会がバリアフリーを周知徹底した賜物か?

春の陽気の中で、ほのぼのとした「愛」のある光景が広がる。
「あれれっ!」。
某パビリオン脇、テイクアウェー用の飲食売店。
言わずと知れた長蛇の列。

それに紛れ込むように、車椅子の障害者とそれを押す健常者。
遅々として進まぬ列に、前後の順番待ち客も苛立ちまじり。
それを察したのか、車椅子は順番待ちの列を離脱した。
近くの日影に車椅子を止め、障害者を待たせて健常者が再び最後尾へと並んだ。
それから10分。
やっとのこと売店のカウンターにたどり着き、メニューと料金をあれこれ覚えて再び障害者の元へ。そして二人で注文品を決め、健常者は再び最後尾で順番待ち。
やっとのこと手に入れたランチボックスを抱え、健常者もさすがに疲れきった表情で障害者の元へと戻った。

しかし周りには、テーブルもベンチも無い。
あるのは、売店の外に配置された、立ち食い用のスタンドテーブルだけ。
「ちょっとこれって、何だかなんだよなぁ!」。
無性にせつない気分で一杯になった。
「だって、鳴り物入りでバリアフリーって言うんだったら、こんな仕打ちってないよなぁ!車椅子の障害者用に、別のカウンターを設けるとかさあ!貸し出し用のメニューを用意するとかしないと」。
ぶつけようの無い不満が湧き上がった。
だって、インドの貧しい村とか行ったら、車椅子も無ければバリアフリーだなんて言葉すらない。
だがそんなの無くたって、周りの人が障害者に手を貸すし、何気に居合わせた誰かがごくごく自然に世話を焼く。
きっと日本だってそうだったはず。
ぼくが生れ育った、まだ貧しい昭和の中盤は。
そんな言葉が、思わず咽返るほど沸き上がってきた。
誰にぶつければいいのかわからぬ、言いようの無い寂しさを伴って。
でも別のカウンターもメニューも、無くったっていい。
『お先にどうぞ!』って、一声かける勇気とやさしさを持ち合わせられたら。
だって、愛・地球博なんでしょ!
だったらまず、心がバリアフリーにならなきゃ。
世界から訪れる人は、まだほんの一部のようだ。
しかし協会が力説するように、世界の国々からたくさんの人々が訪れた時、果たしてこんな光景は、彼らの目にどんなメッセージを伴って映るのだろう。
バリアフリーの施設だけご用意しましたから、後は車椅子の方とそれを押す健常者の方で、お好きなようにってこと?

愛・地球博を訪れる誰もが「心のバリアフリー」を持ち供えれば、もっと素敵でやさしい気持ちの博覧会となることだろう。
今回は、日本ともご縁の深い、グローバル・コモン6の、環太平洋の国々を巡ります。
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「心のバリアフリー」
イイ言葉 ❢
「障害者、高齢者」に優しい国
最近、外出しないから、分からんけど?
世間の人達はどうなんやろ~ぉ?⤴
優しく接しているだろうか?
余計なお世話って思われそうで・・
そこんとこの「さじ加減」難しいよね~ぇ ❢
でもねぇ ❢
私の場合、さじ加減はしなくてイイよ ❢
お言葉に甘えるから、大丈夫・・
コロナが世の中を委縮させ、ロシアのウクライナ侵攻による影響とかもあるのでしょうか、益々世の中の人たちの心がささくれ立って感じられる気がしちゃいます。
昭和半ばのまだ敗戦国だった時代のように、貧しくってもその分人と人が支え合って生きられた時代が、今となっては羨ましくもある気がします。
オカダミノルさんお久しぶりです。愛・地球博の開催時はリニモの駅員を勤務していた名鉄から愛知高速交通に出向して10ヶ月在籍しました。そして名鉄を早期に退社して転職を繰り返して今は愛・地球博記念公園に勤務してますが、長久手市には縁があるようです。
あらあらそうでしたかぁ!