毎日新聞「くりぱる」2004.12.26特集掲載①

素描(スケッチ)漫遊(まんゆう)(たん)

「三味の(ばち)(さば)き」

「名古屋名物 美味(うみ)ゃあもんなら かしわにういろうにきしめんに 味噌カツ天むす海老フリャア」。

色艶やかな着物姿で、陰陽の風情を弾き分ける見事な三味の(ばち)(さば)き。

写真は参考

艶っぽさを浮かべた表情に、透き通る高音の美声。

『天は二物を軽軽しくも、与えたもうたというのか!』。

名古屋市千種区の民謡家、N.Kさん(57)のステージを拝見するたび、そう感じてしまう。

出来ることなら月明かりの元、盃を傾けながらほろ酔い気分のまま、しっとりと拝聴したいものだ。

冒頭の一節は、Kさんのライブに欠かせぬ「語り物」。

海の東海道と呼ばれ、熱田の宮の宿から桑名の宿まで、海上七里の道程を結んだ七里の渡し。

宮宿の当時の往来に想いを馳せながら、現代名古屋の風情を織り込んだ「名古屋名物」と呼ばれる語り物。

Kさんが作詞を手掛けた人気作品の一つ。

Kさんは、千種区今池の寿司屋のお嬢様として生まれた。

今でこそ全国から持て囃される「名古屋嬢」の、先駆的な世代の一人であったに違いない。

祖父と父の影響で、幼い頃から三味の音に囲まれながらも、西洋音楽を志しピアノの練習に明け暮れた。

高校3年の時、父親の誘いで民謡の会に連れ出され、三味線との運命的な出逢い。

「ドソドが『どびん』。『やかん』とか、父から口三味線で教わって。もともと音楽好きだったでねぇ」。

そんなある日、三味線を抱え持ち民謡の稽古へと向かった。

交差点で幼馴染とバッタリ。

「あんたあ!何処行くの?そんなん持って」と問われ、Kさんは「さすがに恥かしくて民謡とは言えず、『端唄だて』」と答えたとか。

時代はグループサウンズの全盛時代。

日本の古典的な民謡を、うら若き番茶も出花の18歳の娘にとって、口にするのも(はばか)られた。

短大卒業後は、家事手伝いと民謡のお稽古。

「大人になったら、長唄のお師匠さんになりたいなって」。

そんな矢先、父は名立たる津軽三味線奏者を、家に招いた。

魂を揺さぶるような、津軽三味線の荒く激しい音色が、Kさんの五感を釘付けに。

奏者が名古屋に滞在した1ヶ月間、無我夢中で「六段」の曲を習い奏法を学んだ。

再び某民謡会のお稽古へ。

「撥が違う!叩き方が違う!って師匠に叱られて。『そんな乞食三味線、何処で習って来た!』って、津軽三味線を邪道と考えるような、偏見を持っとったんだろうね。それでその民謡会には、嫌気がさして」。

その後もKさんは、津軽三味線に魅せられ続けた。

世界デザイン博に名古屋が沸いた15年前。

白鳥会場から堀川を下った、宮の渡しの町並みに、Kさんは興味を惹かれて行った。

やがて興味は、庶民の中で息づいた文化へと。

写真は参考

「それで初めて、都々逸(どどいつ)発祥の地が、宮の宿だったと知って。どうやって出来たのか?誰が歌い始めたのか?って興味津々」。

宮の宿、東外れの八丁(なわて)入口。

寛政12年(1800)秋、蜆汁を売る鶏飯屋(けいはんや)という安直な茶店が出来、お仲やお亀といった女中が客を持てなしたとか。

その頃、関東から潮来節が流れ着き、お仲やお亀が盛んに替え歌として唄い広めた。

時を同じくして、神戸(ごうど)の町に大きな旅籠が開業し、東海道を行き交う旅人で賑わい、二人の替え歌はやがて神戸節(ごうどぶし)と呼ばれ、囃子言葉から「都々逸」に。

写真は参考

『お亀買う奴 頭で知れる 油付けずの 二つ折れ そいつはどいつだ どどいつ どいどい 浮世はさくさく………』と、Kさんは口ずさんだ。

七里の渡しの常夜灯を背に、往時の伊勢の海原を見つめながら。

写真は参考

弦を指で(さお)に押し付け、ゆっくりと左から右へと指を滑らせる「糸音(いとね)」。

奏者の含みと余韻を、聞こえないほど微かな残響音から聞き取る。

打指(うちゆび)」と呼ばれる奏法は、文字通り弦を指で打つ。撥で爪弾く音とも、微妙に異なる音色だ。いずれも閉ざされた座敷の、静けさ故になせる三味の技。

「人の心かなあ。消え入るように揺れる音が」。

一方の津軽三味線は、荒々しい撥捌きで、まるで厳寒の凍て付く夜を引き裂くように聞こえる。

写真は参考

「がさつだけど、奥が深くて凍みるんだわ」。

『三味の種類に貴賎(きせん)などない』。

ぼくには、Kさんの心の声が微かに聞こえた気がする。

このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「毎日新聞「くりぱる」2004.12.26特集掲載①」への9件のフィードバック

  1. 三味線・・
    好きですねぇ⤴
    ギターはフレット(仕切り)があるけど、
    その点、三味線は難しいと思う!
    それにギターのようにコードが、なそうなんで
    より難しでしょうねぇ!
    あんなに早く指、動かんしぃ!
    以前、スコップ三味線って、テレビで見たけど、
    あれはあれで「様」になっているから不思議 ❢
    ギター弾きの神様がいたら、少しでいいので
    私にテクニックを下さい。
    ア~~メン⤴

    1. フレットレスの弦楽器って、そりゃあとっても難しいんでしょうねぇ。
      ぼくなんてフレットがあっても、あたふたしちゃうくらいですから、とっても無理ですねぇ。

  2. あんなに毎日オカダさんのブログにコメントしてた人がパッタリ!だと、ちょっと心配してます。
    帰ってこいよぉ、帰ってこ〜いよぉ♪♪♪

    1. 確かにぼくもどうされちゃったんだろうって思っています。
      なにかコメントへの返信で、落ち度でもあったんだろうかって、考えたりもしています。
      お元気でいらっしゃれば、コメントなんてぇのはどうだっていい気もしますが!
      負担になってらっしゃったとしたら申し訳ないなぁなんて・・・。
      まだいつか戻って来て下さるといいなって思っています。

  3. なごやンさん うまいなぁ〜
    この難しすぎるブログに さらりと 凄いですね。

    1. 難しすぎますかぁ?
      どうしたものでしょうかねぇ。
      なんだか申し訳ない想いがしてきちゃいましたぁ。

      1. ワァ〜!ほめられたぁ❣
        テレれるなぁ〜(*^^*)
        umepyonさん、ありがとう❤

        オカダさんのブログは脳トレ⤴️
        身近じゃないコメントはハードルが高いから話し変えちゃえ変えちゃえ。自身の近況報告でも読み手としては有り難いですよぉ。
        べべベン、ベン•̀.̫•́✧

      2. ごめんなさい。
        三味線をステージなどで直接拝聴した事が無くて 
        オカダさんのギターを爪弾く あの歌をもう一度 聴いてみたいなぁ〜とか そんなわがままな事を思ったりしてしまって コメントするのは難しすぎるなぁ〜と思ってしまった。
        難しすぎるなんです。

        オカダさんのブログの中に入り込んで 行ってみたくなったり 食べてみたくなったり
        考えさせて貰ったりして いつも楽しみにしています。

okadaminoru へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です