毎日新聞「くりぱる」2004.2.29特集掲載①

素描(スケッチ)漫遊(まんゆう)(たん)

「やめてくれよ、キャサリン!」。

「何よザビエル、今さら」。

「た、たのむ。お、俺が悪かった、助けてくれ!」。

「何さっきから芝居じみてんのよ」。

「じゃあ君は、もうどうあっても許してくれないと?」。

「何バカな事言ってんのよ。単なるお遊びじゃない。こんな枕投げごっこで、許すも許さないもないじゃない」。

「あっ痛っ!待ってくれよ、今度はマリアからの一撃かよ」。

おっと失礼。

三文芝居は程々に、まずはこの状況を説明しておこう。

これは名古屋市千種区池下にある、家庭料理「でんでん」の店に集う仲間達で出かけた、お泊り旅行での枕投げの一コマ。

写真は参考

「場所柄、単身赴任のお客さんが多くって、皆何時の間にか家族未満、友達以上の関係に」。

この店のママ・柴田明美さん(55)は、開店前の掃除の手を止めた。

「誰が言うとも無く、今度の旅行は何処へ行こうって、いつもそんな調子で常連さんと皆で温泉ツアーに出掛けたりするのよ。いつも宴会の後は、決って修学旅行さながらに、いい年したオヤジとオバサンが枕投げに熱中」。

カウンターの中で揚げ物の傍ら、もう一人のママ・岡田早苗さん(50)が、大きな思い出し笑いを一つ。

二人のママは、実の姉妹。

子供の頃から「いつか二人でお店をやりたいネ」と夢を膨らませた。

少女から大人へ。

やがて姉妹は恋に落ち、別々の家庭を築き、それぞれの人生へと漕ぎ出した。

子育ても一段落した95年、幼い日の夢がこの店で結実。

「ズブの素人主婦が、銀行に融資の相談したら『えっ、調理師免許も無く、どこかの店で修業したこともないって・・・店なんて本当にやれるんか!』って、鼻も引っ掻けてもらえない始末」。

写真は参考

「そうよマリアちゃん、私ら主婦歴なら負けないのにね」と、妹の早苗さん。

この店には、誰が決めた訳でもないが、厳格な不文律が存在する。

店に一歩入った瞬間から、立派な会社の社長であろうがなかろうが、会社のでかさも肩書きだって糞の蓋にもならない。

互いに氏素性も年齢も明かさず、名主のような常連によって即座に渾名が申し渡される。

好むと好まざるとに関わらず、有難いその渾名を心底愛し拝命せねばならない。

ちなみに姉の明美ママは「マリア」。

妹が「サナちゃん」。

冒頭の「キャサリン」は、いつも和服姿の書道家。

少し人より頭の薄い「ザビエル」さん。

そんな哀愁漂う客の中には、自らを「キムタク」と呼んで憚らない男がいる。

林家三平似の明美ママのご亭主だ。

もちろん早苗ママの連れ合いも、「ナオパパ」の愛称で一座を盛り立てる。

「たまに常連さん同士が、仕事の途中、街中ですれ違ったりすると『やあ、ザビエルさん』『あれっ、アミーゴさん』なんて調子で、スーツ姿の怪しげなオッサンが挨拶してるんだから、周りの人はさぞ不思議だと思うよ」。

早苗ママが菜箸を振りながら笑った。

店名「でんでん」の由来は、柴田の田と、岡田の田を重ねた洒落心。

単身赴任が解けて東京に戻ったビジネス戦士達は、池下に負けじと東京でんでんを自主的に組織し、姉妹を東京に招き、隅田川の花火を肴に一杯とか。

夜な夜な単身赴任の()兵衛(べえ)(どら)が、遠く離れた家庭の味と一時の団欒を求めて訪れる。

「やっぱりこの店の大虎一番は、『あいちゃん』かな」。

早苗ママが焼酎のボトルを見つめながらつぶやいた。

あいちゃんとは、大層立派な会社のお偉いさんだとか。

「酔っ払って家に帰ったら、さっきまで着てたはずの下着からスーツまで、一枚も無いんだって。しかたないから元来た道を辿ってみると、玄関にパンツ、マンションの入口にシャツ、そして電信柱にズボンってな具合。でも良かったわよ、警察にお目玉喰らわなくって」。

写真は参考

明美ママが吹き出した。

「去年87歳で亡くなった私たちの父・タロウちゃんも、実の親子関係をひた隠し亡くなる前日までここで呑んでたわよ」。

今では母・京子ちゃん(80)が、亡き夫の指定席を暖める。

「母はこの頃少し呆けちゃってね。朝起きられないって寝込んでても、『今晩店においでよ』って誘ってやるの。すると夕方シャンシャンして店に現れるわけ。ちょっとお化粧して口紅注すだけで、たちまち女に戻っちゃうんだから」と、明美ママ。

誰にも平等に訪れる「老い」。

しかし、一塗りの口紅と、一杯の酒があれば、人は忽ち5年も10年も若返る。

ガラガラガラ、建付けの悪い引き戸が開いた。

写真は参考

「おお、寒う~っ。まずは熱燗1本!」。

さあ「でんでん」の開店だ。

春まだ早い寒空の下、凍えそうな心に人肌の温もりを求め、今宵も疲れ果てた呑ん兵衛虎が、ヨタヨタと一人また一人と集い始める。

このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「毎日新聞「くりぱる」2004.2.29特集掲載①」への10件のフィードバック

  1. そ~ぉ~やな~ぁ⤴
    居酒屋、スナック・・
    お酒、アルコールは好きではありませんが
    こじんまりとしたお店って、やってみたい気がする ❢
    但し、酒癖の悪い酔っ払いはお断り ❢
    「あの店は、おかしな酔っ払いおらんで、落ち着くよね~ぇ⤴」
    「マスターも男前だし、店の女の子も愛想がエエし ❢」
    そんな昭和チックなお店って、流行らんやろうけどねぇ ❢
    勿論 ❢エエ男のマスターって、わしの事やでぇ❢
    妄想って楽しいよねぇ⤴

    1. そんなお店には、色濃い人間模様のドラマが転がっていそうですねぇ。
      傍らで漏れ聞こえ来る話に耳を傾け、ついでにグラスをまったりと傾け、ニタッとするなんて!
      落ち武者居酒屋なんて始めちゃったらどうですか?
      みんな戦国の世の武将や姫君の名前で名乗り合って!

  2. ラジオネームも、本名も何処の誰だかも知らないけれど、ブログではファミリーを名乗ってます。大きな声では言えませんが、いくらネームを変えても誰だか分かっちゃう人もいますよねぇ。って人の事は言えんか、ハハハハハ⤴️

    1. まあ、お里が知れたっていいじゃないですか!
      それなりに楽しんじゃえば、楽しんだ者勝ちってぇこってすって!

  3. 流石 オカダさんの訪ねられた外国は!と思ったら いいですよね。いい雰囲気ですよね。
    こんな事が普通に出来ていた日々があったんですよね。

    今日は春の陽射しに誘われて少し歩いてみました。

    1. 本当にほんわかとして、ギスギスしてなくって、素敵過ぎる大人の隠れ家って感じです。
      ああっー、一杯やりたくなってきちゃったぁ!

  4. お喋りスナック 『落ち武者』
    なんて どうかしら~ (◠‿・)—☆

    『あーだこーだ 昔はあ~やったね〜』
    楽しそう (。♡‿♡。)

    落ち武者マスターのギターで 
     みんなで『東京』 ♪♪♪

    ふらっとオカダさんも 登場なんて ♥

    いっぱい妄想して 脳の活性化 ❣️
      

    1. それってぼくも大賛成!
      クラウドファンディングで資金を調達しますかぁ!

  5. 私も憧れます。居酒屋さんの女将さん。
    頷きながら ただひたすら話を聴いたり… かと思ったら ガハハと大笑いしてみたり。
    なんだか次の人生への勉強になりそう( ◠‿◠ )

    1. こじんまりとした馴染みの小料理屋なんて、それはそれはいいものでしょうねぇ。
      何にも注文しなくったって、好みをちゃんとわかっているから、小鉢の突き出しから燗の付け方まで、申し分ない感じで!

okadaminoru へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です