「三河wonder紀行⑯」~最終回~

『ポケットに潜めし浪漫』

2008.秋 季刊誌掲載

閑静な住宅街に小学校のチャイムが鳴り響く。

テスト期間中だからか、校庭を駆けずり回る子どもたちの姿はない。

「ごめん。忘れちゃった」。

「しょうがないから俺のドラクエ貸してやるわ!明日は絶対お前のマリオカード持って来るんだぞ!」。

T字路の突き当りから少年二人の声がした。

横顔に浮かぶあどけなさから見ても、低学年だろう。

向かい合ったまま背の高い方の少年が、ポケットからDSのソフトを引きずり出し、背の低い方の少年の眼前に突き出した。

「うん。必ず明日は忘れずに持って来るから。じゃあね~っ、バイバ~イ」。

二人の少年はT字路を別々の方向へと走り去っていった。

ぼくの子どもの頃とは、えらい違いだなぁ。

ぼくのポケットの中なんて、せいぜいビールの王冠や牛乳瓶の紙の蓋、それにカマキリの卵やらだったのに・・・。

でも今のあの子たちにも負けないくらい、ポケットの中にはちゃあんと「溢れんばかりの夢」が詰まってた気がする。

そう嘆きつつジーンズのポケットをまさぐると、何やら紙片が。

そこには二次会で立ち寄ったスナックで貰ったものか、飲み屋のお姉ちゃんの源氏名が摺込まれた皺くちゃの名刺と、噛み終えて包み紙に丸め込んだガムの残骸。

「溢れんばかりの夢」なんて、どこにも見当たらぬ。

どこからどー見たところで、不精なオヤジの薄汚れたポケットの中身だぁ。

「えっ、ポケットの中に何か忘れものでも?」。

ぼくの嘆きが漏れ聞こえたのか、店先に停めたトラックにクリーニングされたばかりの洗濯物を積み込みながら、初老のオバチャマが親し気に声を掛けて来た。

写真は参考

岡崎市井田町の川村洗濯屋、三代目女将の川村和子さん(68)だ。

昭和9年に名古屋で創業し、戦火を避け岡崎のこの地へ。

「じゃあ、ちょっと配達してくるわぁ」。

夫のクリーニング師、朗(あきら)さん(70)がトラックに乗り込んだ。

「主人はねぇ、中学を出て直ぐに家の店に住み込みで修行に入ってねぇ。4人くらいいた使用人の中じゃあ一番まじめな子だったから、母がいずれ婿にって目ぇ付けとっただぁ。だもんで私が未だに威張っちゃっててねぇ」。

母が見込んだ朗さんの腕前は天下一品。

それが証拠に平成9年には、厚生大臣賞を受賞した程。

中でもこだわりは、背広の首筋から第一ボタンへと続く開襟部のVゾーン。

ピシッとプレスするのではなく、Vゾーンをふんわりとやわらかい折り目に仕立て上げる。

写真は参考

「まだまだ親父の味は出ませんわ」。

四代目を継ぐ昭夫さん(37)が、自慢の作品を手にして誇らしげに笑った。

「それにしたってまぁ、色んなお預かり物がありますって。ラブレターが入ったままの学生服とか。でも洗濯取りに来るのはお母さんでしょ。さすがにお返しするのも気が引けちゃうし」。

「背広のポケットから、茹で卵が出て来たこともあったらぁ。人それぞれの人生の欠片が、ポケットの奥から顔を覗かせるじゃんねぇ」。

女将と朗さんは大笑い。

「そうそう、源氏名入りの飲み屋のお姉さんの名刺なんて、そんなのしょっちゅうよ。洗濯屋に生まれて68年。でもあんたのポケットのように、『溢れんばかりの夢』が入っていた人なんて、今まで誰一人お目に掛ったことなんてないだぁ。意外とあんた、大雑把そうだけど情緒豊かなあかしらぁ」。

褒められてんだか、貶されてんだか、つぶさに汲み取れず、苦笑いで取り繕っていた。

明日からは、新シリーズをお届けいたします。

どうぞよろしくお願いいたします。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「三河wonder紀行⑯」~最終回~」への8件のフィードバック

  1. 子供の頃、町内にクリーニング屋さんがありました。
    お店の前には3台位の自転車、後ろの荷台には
    白い布で覆われた、大きなかご❕
    コ―ちゃんって言う3つ年上のお兄ちゃんによく遊んで貰った。
    忘れられないのが、一度コーちゃんのお母さんに
    3時のおやつに、赤くて薄いビニールに身を包んだ
    魚肉ソーセージを貰って食べた事❕
    60数年以上経った、今でも、あの味は、今も忘れません❢
    でもねぇ・・
    ある日、コーちゃんちへ行ったら
    家の中は、もぬけのから、ひとっ子一人いない・・
    アイロンの蒸気の残り香だけがあったんです。
    子供心に、物凄くショックでした。

    1. 魚肉ソーセージのほろ苦い、コーちゃんとの突然のお別れだったんですねぇ。
      人生それぞれに大変だってことですよねぇ。

  2. クリーニング店、子供の頃は「洗濯屋さん」って呼んでいました。{後年、そんな題名の○○ビデオが有名に、、、。}カブの荷台に大きな四角い袋を付けて、その中には洗濯物が一杯。週に2~3回 集配にみえてました。業者が変わりましたが、今も実家には洗濯屋さんが来ています。

    1. 集配の洗濯屋さんは助かりますよねぇ。
      洗濯ものも冬物を出す春は、嵩張って結構重たくなって、自転車の左右のハンドルにぶら下げて自転車を漕ぐと、あっちへフラフラこっちへフラフラですもの。

  3. 洗濯機の蓋を開け、洗濯物を取り出した瞬間「うわぁ〜!!やってもぅたぁ!」ポケットにティッシュが入ったまま洗濯しちゃった時は、洗濯前に時を戻したくなるわぁ(つд⊂)エーン

    1. ああっ、ぼくもそんなうっかりよくやっちゃってます。
      お札を選択しちゃった時は、ハンガーにお札を伸ばして乾かしたこともありましたぁ。

  4. クリーニング屋さんを利用する機会ってあまり無いけど 春が近づく頃に ジャンバーやコートなどをお願いしてます。
    自分で洗濯して失敗したら 泣くに泣けませんからね。
    そう言えば 子供達が卒業と共に制服に袖を通す事もなくなり クリーニング屋さんに制服を持って行った時 そして 出来上がりを引き取りに行った時 なんだか感慨深いものがありました。
    これも人生の通過点ですね。

    1. 制服ってぇのは、その時代その場所で確かに生き抜いたってぇ、証明書のようなものなんでしょうねぇ。

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