「昭和懐古奇譚(最終回)~下呂膏とお灸」(2019.9新聞掲載)

「下呂膏とお灸」

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「ああ、そこじゃね!もうちっと…、右上や…。おお、そこじゃ、そこじゃ…」。

母方の鹿児島生まれの婆ちゃんは、小さな背を丸め着物の襟を抜き、両肩を露わにしたままぼくにお灸のもぐさを据えさせた。

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「次は蚊取り線香(せんこ)の火種で、とんがり帽子のようなもぐさの天辺に火を()っくんじゃ…」。

婆ちゃんに言われるまま、ぼくは恐る恐るもぐさに火を灯した。

たちまち縁側に煙が立ち込める。

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とんがり帽子のようなもぐさの火は、真っ赤になりながら、婆ちゃんの肌の方へと降りて来た。

「ねぇ婆ちゃん、熱くないの?」。

婆ちゃんの肌がやけどしないか、ぼくは心配でならずそう尋ねた。

「そげなこちゃない。こん熱さが堪らんとよ。ああ、効いて来た来た」。

婆ちゃんは、わずかに顔をしかめた。

「ねぇお母ちゃん。今日先生が『今度の9月15日は敬老の日です。皆さんが、お爺ちゃんお婆ちゃんを敬い、感謝する日です。お父さんお母さんと相談して、お爺ちゃんお婆ちゃんの大好物をプレゼントするのもいいでしょうし、お爺ちゃんお婆ちゃんに、感謝のお手紙を書いて渡すのもいいでしょう。もちろん肩叩きをしてあげるのもいいですね』って。

だからぼくも婆ちゃんに何かしてあげたいと…。

「ぼくもちょっとだけど、豚の貯金箱のお小遣い出すから、婆ちゃんに何かプレゼントしようと思うんだ…。お母ちゃんは何がいいと思う?」。

半ドンの土曜日。

一目散で学校から駆け戻り、台所で焼き飯を作っていたお母ちゃんに問うた。

「婆ちゃんにか?そうやなあ、いっつも肩が凝った肩が凝ったって、お灸据えてから下呂膏を貼っとるやろ。それやったらお灸のもぐさと、下呂膏をプレゼントしたら、婆ちゃん喜んでくれるんやない?」と、お母ちゃんはいつになく嬉しそうな顔を浮かべた。

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さっそく昼ご飯を終え、お母ちゃんと連れ立ち、近所の薬局へと向かった。

婆ちゃんの肩のお灸の火が消え、縁側にわだかまっていた煙を、ほんのわずかに秋の香りを感じさせる、初秋の風が運び去った。

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あれっ?

婆ちゃんの目から涙が!

「ねぇ、婆ちゃん。やっぱりお灸が熱かったんやない?だって、婆ちゃん泣いてるんだもん…」。

「そじゃねぇ。こん涙は熱くて()てからじゃね。おはんのしおらし心に打たれて流れ出た、うれし涙じゃ。(なん)心配(せわ)すっこっは()。ああ、極楽極楽。こんお灸、ほんのこてようよう効いたわ。あいがとうな。ほな次は、遠慮(えんじょ)のう膏薬(こやっ)を貼ってもらうとするか」、婆ちゃんは燃え尽きたもぐさを器用に摘まみ上げ、灰皿の中へと捨てた。

婆ちゃんの肩のお灸の跡は、薄紅色になって丸い斑点が浮かんでいる。

「ねぇ、婆ちゃん。お灸の跡が、ピンク色になってるけど、本当に痛くないの?」と、ぼく。

()て事なんちない。それどころか、あげんパンパンじゃった肩の凝りも、しったい良くなったようじゃ」と、婆ちゃんは皺だらけの顔を綻ばせ、ぼくを振り返った。

「じゃあ、今度は下呂膏を貼るよ。この辺でいいの?」と、ぼくが婆ちゃんの肩に指を這わせた。

すると婆ちゃんは皺だらけの手をぼくの手に添え、膏薬を貼るツボに導いた。

「ここが膏薬(こやっ)真中(まっぽし)なるように、上手(じょ)しこと貼っとくれ」。

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ぼくは慎重に婆ちゃんの肩に、あの独特な匂いを発する下呂膏を貼り付けた。

「ああ、(ちん)とて気持(きもっ)がええ」。

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婆ちゃんは縁側に坐したまま、気持ちよさ気に目を閉じ、何度も何度も独り言ちながら、湯呑に入った芋焼酎を舐めていた。

※明日からは、新シリーズをお届けいたします。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和懐古奇譚(最終回)~下呂膏とお灸」(2019.9新聞掲載)」への19件のフィードバック

  1. もうすぐ67歳になるけど
    日々、あそこが痛い・・ここが痛い・・
    そんな箇所が段々増えて行きますぅ⤴
    もうぐさのお灸ってやった事ないけど、効くのかね~ぇ?
    何か?火を使わないお灸があるとかで今度試してみょっとぉ❢
    そうそう、先日新聞にショックな事が載ってました。
    「65-74歳は准高齢者、高齢者は75-89歳、90歳以上は超高齢者」
    これが高齢者の定義だそうで・・
    だから、わしは、67歳の准高齢者って事❢

    1. ぼくもせんねん灸は、何度かやったことがありますし、自宅にまだ使っていないちょっと湿気ったかも?のせんねん灸があります。
      しかしホンモノノ昔のお婆ちゃんがやっていたような、もぐさの直置きには挑戦したことのない、ヘタレです。

  2. 下呂膏!ボクが老人ホーム勤務を始めた30年前、これを愛用されているお婆さんがみえました。
    それ以来見ていません。貼ると黒くなるんですよねー?

    1. 黒くなって四角い跡が残っていたものでした。
      銭湯に行くと、必ずそんなご老体がいたものです。

  3. こんなにも寒い日にはこころ温まるお話に涙が溢れてきます。下呂膏懐かしいです。優しさは受け継がれてゆくのですね。

    明日からの新シリーズも
    楽しみにしています。

    1. ぼくも今度機会があったら、一度下呂膏を貼って見ようかななんて思っています。

  4. オカダさんの薩摩弁に私も、ホロっときます。併せてオカダさんの幼き頃の記憶力にも敬服です。関ヶ原と県境を接する近江柏原は伊吹百草(もぐさ)の産地です。20年ほど前でしょうか、街道沿いに古い薬屋さんがありました(いまもあるのかな)。
    私も気になって経験したことがない百草の効能を調べたところ、不眠改善や胃腸さらには鼻の通り改善などに著効がある由。歳なので?やってみる価値はありそうですね。
    新シリーズをたのしみにしています。

    1. 伊吹山は薬草の宝庫なんだそうですよねぇ。
      天然由来の薬草は、体の負担も少ない気がしちゃいますものねぇ。

  5. 子供の頃は、おばあちゃんイコール下呂膏の臭いだったような。嫌いじゃぁ無かった⤴️

    1. ぼくも薄っすら、お婆ちゃんの着物の衿口から香った、膏薬の匂い覚えている気がします。
      それがぼくは、お婆ちゃんの匂いだと思っていた気がします。

  6. 私が通ってる整骨院で お灸の治療をされてる方がいらっしゃいますが 凄い数のお灸が体に張り付いてるのに 表情が変わらないから「あまり痛くないんだ〜」と思いながら見ています(笑)
    ただ煙が凄い。でも あの香りは好きです。
    いつか「はい次!お灸!」って言われるんじゃないかって ドキドキしてます。

    1. ツボを十分に心得た先生に掛かると、お灸の熱が体の奥の方まで染み入るものです。
      ぜひ一度ためされては?
      火傷しない程度に!

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