「昭和懐古奇譚~ブリキのおもちゃポンポン船」(2019.1新聞掲載)

「ブリキのおもちゃポンポン船」

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小学校低学年の頃まで、家には風呂が無く銭湯通いだった。

だから近所のマー君が、羨ましくてならなかったものだ。

マー君家は多分家より遥かに裕福だったのだろう。

当時子どもたちの間で話題になる、最先端のおもちゃを、必ずと言っていいほど持っていたのだから。

中でも一番羨ましかったのは、ブリキのおもちゃのポンポン船。

「お風呂にポンポン船を浮かべ、ロウソクに火を灯すと、ポンポンと音を立てながら、お風呂の中を走り回るんだって!」。

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それはそれはマー君の自慢話は、当時のぼくにとって衝撃的だった。

ポンポン船で遊ばせてもらうために、何かいい知恵は無いものかと、ぼくはそればかりを考えていたものだ。

そして閃いた!

「そうだ!マー君を銭湯に連れ出し、ポンポン船を持ってこさせればいいんだ!」と。

それからぼくは、マー君と顔を合わせる度に、銭湯の楽しさを吹聴し説得を試みた。

電気風呂や薬草風呂もあるし、風呂上がりの一杯の、コーヒー牛乳やフルーツ牛乳、そしてスマックの旨さなど。

さらには、10円玉一個で動く、電動マッサージ機の話とか。

そして止めは「大きな銭湯の湯船に、マー君のポンポン船を浮かべ豪快に走らせたら、皆ビックリ仰天するって」と。

マー君も満更でもなさ気だった。

「マー君と二人やでって、調子に乗って銭湯の中で大騒ぎしたら、お母ちゃん承知せんで!」と、母は渋々年季の入ったがまぐちを開け、銭湯代とコーヒー牛乳代を手渡した。

マー君を迎えに行くと、着替えの入った風呂敷包みを背中にからげ、両手で石鹸箱と自慢のポンポン船が入った、洗面器を抱えているではないか!

「やったぁ!」。

夕間暮れの空から舞い落ちる雪もなんのその。

ぼくらは二人して、銭湯までの道程を小走りで駆け出した。

チャッポーン ザッバーン 「おお、極楽極楽!」。

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銭湯の男湯のあちらこちらで、湯船に浸った時の決め台詞が聞こえる。

男湯の中央にある、一際大きな湯殿に、ぼくらも恐る恐る浸かった。

早くも湯殿は、千客万来。

よく見かけるご隠居さんから、職人さん、それに立派な倶利伽羅紋紋を背負った、鯔背なお(あに)いさんが、湯けむり越しにぼくら二人に視線を向ける。

「どうしよう…ミノ君。こんなとこでポンポン船を走らせたら、おじちゃんたちに叱られるんやない?」と、急に心細気なマー君。

「そんなんええって。子どもの事やで、みんなオッチャンたーも大目に見てくれるって」と、ぼくはマー君を宥めた。

するとマー君は恐る恐る、湯船に浮かべた洗面器の中で準備を開始。

まず船尾のストローのようなホースから湯を注ぎ入れ、小さなロウソクにマッチで火を灯し、ちょっと斜めになった燭台に乗せ、湯を入れたタンクの下へと設置するのだが、これがなかなか思うように行かず、たちまち火が消えるばかり。

「おお、坊。ちょっと貸してみぃ!」と、俱梨伽羅紋紋のお(あに)いさんが、手際よく火を灯しタンクの下へと設置し、湯船に浮かべてくれた。

しばらくすると「ポンポンポ~ン」と、まるでエコーのかかったような、景気の良い音を響かせ、ポンポン船が時計回りに、湯浴み客の周りを滑り出した。

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すると湯浴み客の口から、やんややんやの喝采が!

何に付けても緩やかだったあの昭和。

今年の4月一杯で平成も終わり、新たな時代が始まる。

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同時にぼくが愛して止まない昭和は、あの銭湯の湯けむりの向こうへと、ゆっくりゆっくりと消え行ってしまうのだろう。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和懐古奇譚~ブリキのおもちゃポンポン船」(2019.1新聞掲載)」への11件のフィードバック

  1. 昭和30年に生まれて
    昭和を生きた人間だけど・・
    アナログ人間は、つくづくイイと思う❢
    人情と言う「情」があったもんねぇ❢
    多分?このオカダさんのブログを見ている方
    昭和生まれの方が多いと思います。
    どうか皆さん、先日降った雪のように、冷たい人間にならないで
    人と人との繋がりを大切に生きて行きましょう❢
    オカミノファミリーの皆さんはオカダさんを大切に
    オカダさんはオカミノファミリーの皆さんを大切に
    そんな思いを胸に・・
    今日は、とってもいい事を言ったと思う・・
    どうした?
    モもッチ、熱でもあるんとちゃうか?

    1. 「じょう」とか「なさけ」って、やっぱりとっても大切な心根じゃあないでしょうか?
      この先、コロナなどの未知なる感染症や、やがて襲い来ると言われる巨大地震などの災厄の時こそ、人間としての奥行きが問われる時代が訪れるんでしょうねぇ。
      ぼくも落ち武者殿を見習って、「じょう」やら「なさけ」が深い人間にならにゃあいけませんな!

  2. 最近のおもちゃって知ってます?
    目ン玉が飛び出るくらいのお値段。でもその分クオリティーが高いんでしょうねぇ⤴️私なんか、「エエ〜、バッグが買えるじゃん」とか「エッ!、靴が買えちゃうわぁ」なんて、夢の無い事を(°ー°〃)

    1. でもきっと、ぼくらが少年少女だった時代は、その時代の物価から考えたら、今ほど高価な玩具じゃないにしても、お父ちゃんやお母ちゃんは四苦八苦したことでしょうねぇ。

  3. 情… 思いやり…
    二人の息子達が1歳半の頃から いろんな人達の思いやりに囲まれています。
    そして先日 父親が退院して特養に入所 翌日には 母親が老健に入所。
    ここでも多くの人達が関わり 両親の次の人生に携わって下さいました。
    一人では何も出来ないけど 周りの方々の力があれば 前進する事が出来る。
    有難いです。感謝です。
    両親は 別々の場所で新年を迎える事になりますが どうか笑顔で穏やかな日々となりますように。

    1. やがてゆく道、いつか来た道ですねぇ、人生って!
      その時々の瞬間に、どんな方々と関わり合うかによっても、その道の景色は変わって映るものでしょうねぇ。
      ご両親様にとって新しい環境で、素敵な一年となりますように!

    2. 夢ちゃん さま

      こんばんは。雪の年の瀬を迎えました。ウチも今年の秋に父は入院しました。母は5年近く前に特養に入所。それぞれお世話をして頂いています。ともに重度の認知症にかかっています
      忘れてならないことは、私たちも相応に歳を重ねていることです。まもなく老人の仲間に入る私です。お互いにゆったりと生きていければいいなぁと思います。

  4. こんばんは。ポンポン船、私も父に買ってもらい風呂で走らせた記憶があります。記事を拝読して、思わず通販でポンポン船を買ってしまった私です。おそるべし、オカダさんの「筆力」。

    1. 何を何を!
      ぼくの「筆力」なんぞ、どうってこたぁーありませんよ。
      こうして遠き日を思い出していただければ何より何よりです。

  5. 雪の年の瀬を迎えました。今年も1年間おつかれさまでした、と同時にありがとうございました。先程、ポンポン船が来たのでオジイは風呂で幼き頃に想いを馳せて遊んでみます。ヤ◯ト運輸さんのおかげです。便利な世の中になりましたが、小職のわがままの為に働いてくだれるかたもござって、かたじけない思いです。

    1. 良いもんですねぇ。
      大晦日にポンポン船の温泉なんて、至極の入浴ですねぇ。

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