「学芸会の役どころ」

「それでは、今度の学芸会で演じる劇『真っ赤っかの長者』の、配役を発表します」。
昭和半ばの小学校4年のこと。
担任の竹田信子先生が教壇に立ち、クラスの皆を眺め渡しそう告げた。
どうかどうか、主役である「真っ赤っかの長者」役を、このぼくが射止められますようにと、心の中で願った。
ところが、主役の「真っ赤っかの長者」役は、学級委員長で成績もクラスで1番の、佐原君と決まった。
まあしかし、それが全うと言えば全うであると、妙に幼心に納得したものだ。
しかし心の中のぼくは、「何でなんだよ~っ!」と、竹田先生をちょっぴり恨んだものだ。
確かに優秀な佐原君に比べ、ビリから数えた方が早いようなぼくなど、手の届かぬ高嶺の花の主役だった。

ならばせめてもと、ガリ版刷りの台本を佐原君から借り受け、一晩掛けてノートに書き写し、毎日毎日お経でも唱えるように、台本を繰り返し繰り返し読み耽ったものだ。

その時の、お母ちゃんの驚き用は、今でも忘れたことがない。
いつもはあれだけ口が酸っぱくなるほど、「宿題済んだのか?予習は終わったのか?時間割の教科書は、ランドセルに入れたのか?」と、内職の洋裁の手も止めず、目も逸らさず、ぼくの気配を察して、一つ覚えの念仏のように繰り返すばかりだったのに。
必死になって台本を読み耽る姿に恐れをなしたのか、突然ぼくのおでこに手を当て、「ちょっとあんた、熱でもあるんやない?」とか、「ココアでも入れたろか?」と。
こっちの方が、いつにない母の優しさに、何か良からぬことの前触れではないかと、脅えるほどであった。
その甲斐あってか、学芸会の日には、すっかり台本一冊分の台詞が、空で言えるほどになった。
ところが端役も端役の、単なる立木役のぼくの台詞なんて、ひとっこともない。

だから本番で緊張し、頭が真っ白になり、台詞がちっとも出てこないクラスメイトに、小声で教えてやる程だった。
それ故ますますもって、主役の「真っ赤っかの長者」役が演じたくて、居ても立っても居られない。
そこへ子供会のクリスマス会で、何か出し物をと言う、渡りに船の話が舞い込んだ。
ぼくは有無を言わさず、学芸会で果たせなかった、「真っ赤っかの長者」をやろうと、近所の子どもたちを説き伏せ、台本が丸々頭に入っている利点を活かし、まんまと主役を手にした。
ところが、肝心の衣装も小道具も、自分たちだけで全て工面することに。
ぼくの役である主役の「真っ赤っかの長者」は、着物姿に丁髷を結い、草履履きで、鼻の頭を真っ赤にしなければならない。
着物と草履は、お父ちゃんが正月にだけ着る一張羅を、そして真っ赤な鼻の頭は、お母ちゃんの鏡台から、一本きりの口紅で何とかなった。
しかし最大の問題は、丁髷。
紅白裏表の体操帽の白い方に、肌色と水色の絵の具を塗り付け、水色の絵の具で月代を描く念の入れよう。

しかしその後の髷や髻が、如何ともしがたく悩んでいると、隣のご隠居がやって来て、わが家の老犬ジョンの抜け毛を集めて来いと言う。
ジョンの小屋に潜り込み、抜け毛を集めた。

「よっしゃー、これでどうだ!」と、ドヤ顔のご隠居。
何だかとても長者さんの丁髷とは、お世辞にも言えぬ様な、百日蔓頭だ。
しかし贅沢など言えぬ。
いよいよクリスマス会本番。

お父ちゃんの着物の裾が長く、引き摺りながら演じていると客席から「いよーっ、赤穂の殿様か?それとも吉良様か?」と囃子声。
まさに殿中松の廊下さながら。
それはともかく、頭の体操帽の鬘からは、ジョンの獣臭さが鼻を突き、何とも言えぬ「真っ赤っかの長者」、初主演の舞台と相成った。
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学芸会?
全く記憶がない、飛んで飛んで~ェ♬って感じ❢
記憶に残って無いと言う事は、松の木にもなれなかったんでしょうよぉ❢
まぁ~⤴才能が無かったから仕方ないねぇ❢
今なら「落武者の生首」ってところでしょうか❢
いやいやいやーっ、こりゃあまた自虐ネタで締めちゃいましたかぁ!
まぁもっとも子どもの頃は、ふっさふっさだったんでしょうねぇ。
オカダさんは
やはり 凄い方なんですね。
なんともかわいい
わんちゃんですね。
子供の頃に飼っていましたからなんとも懐かしいです。鼻先に「ぐにゅぐにゅ よしよし」した時の犬のにおいが におってきてます。
先日 買い物に行くと買わないけど 必ず癒されに のぞく
わんちゃん達が
み・ん・な お留守だったので
ちょっと残念だったんですけど
癒されますね。
ペットショップの子犬と目が合うと、もうどうにもならなくなっちゃいますものねぇ。
それに比べると、犬の動物園のふれあいコーナーとかにいるワンちゃんたちは、もう人間に触られるのも嫌って感じで、逃げ回るワンちゃんを見ると、なんだか可哀そうでならなくなったことがありましたぁ。
そうそう そうなんです。
それから 友達には ひざになんか だっこしたら
ぜったい イチコロだからと
言われました。
学芸会? お遊戯会?
なぜか 幼稚園は キリスト教の幼稚園でした〜♥
私も うっすら? うっすら覚えているのは『河童』役
フェルトで作った緑の葉っぱの帽子を被りみんなでステージに上がってた事だけですけどね (. ❛ ᴗ ❛.)
息子が幼稚園の時には ディズニーランドがオープンしたので ミッキーマウスマーチ ☆
今も 『ミッキーマウス ミッキーマウ スミッキーミッキーマウス』と 歌ってしまいます ♬ ♪ ♬
3歳の小さな怪獣ちゃん 11月 初めてのお遊戯会 ☆
『魔法使い』でしたが、恥ずかしがりやさんで 先生達にご苦労をおかけしたようですが、当日 ステージに上がれただけで ★ オッケー オッケー ❣️★
どんな役だって、親や祖父母にとっちゃー、我が子我が孫が主役なんですものねぇー。
他の子たちまで目に入らないものです!
学芸会の役を決めるのは先生にとっても、役に充てられた生徒にとってもいろいろな想いがあるのでしょうね。今も思い出すのは小学校高学年のときの朗読劇です。フランツ・シューベルトの主役をやらせていただき、とてもうれしかったです。いま、おもうのですが人生も劇みたいなものではないでしょうか。自分にとって好ましい役の人も居れば、そうでない役を演じる人もおって。劇が終わればみんなで「やれやれおつかれさまでした」と思うような。もちろん、劇の終わりはこの世の人生の終わりですが。オカダさんのエッセイを読んで思った次第です。
そうですねぇ。
確かに人生は、その人だけに与えられたお芝居なのかもしれませんよね。
そしてこの世に暇乞いをする時こそが、「おしばい」ならぬ「おしまい」の時なんでしょうねぇ。
私も全く記憶にないけど 舞台と言えば 7年前 息子達がまだ高等部在籍の頃 PTA会長だった私は 学校全体の発表会の最後に舞台で挨拶をしなければいけなくて 前年度はスーツ姿での挨拶に緊張しまくりだったので この年は 生徒会役員の生徒達の寸劇(スーパーマリオ)のラストに加わり 舞台へ。ピンクのドレスを身に纏ったまま挨拶をしました。全校生徒や保護者や先生方の歓声や驚きや笑いに包まれ全く緊張せずに終了。笑い声が有り難かったなぁ〜( ◠‿◠ )
不思議な感覚でした。
とんでもない緊張感って、自分で意識すればするほど、もう止められないほど緊張感のただ中に飲み込まれてしまうものですものねぇ。
ピンクのドレスのご挨拶には度肝をぬかれますねぇ(笑)