「高嶺の花の昆虫採集セット!」

たもを片手に、虫を追う子どもらの姿を、見掛けなくなってもうどれくらいだろう。
巨人大鵬卵焼き世代のぼくらの時代は、夏休みの宿題なんて放ったらかし。
真っ黒な日焼けを勲章に、明けても暮れても虫捕りに精を出した。
黄ばんだランニングシャツに、擦り切れた半ズボン。
ゴム草履を突っ掛けて麦わら帽子をかぶり、片手に竹の長柄のタモと、首からプラスチック製の虫籠をぶら下げ。

腕白坊主共は皆一様に、示し合わせたかのような格好で、氏神様の境内やら小川の畔を駆けずり回った。
「ねぇ、昆虫標本セットって知っとる?」。
ある日、お向かいサッチャンが突然問うた。
「物すっごく高い物らしいけど、学級委員の佐原君が、お母さんに買って貰ったんだって。捕った虫が腐らんようにする、そんな液体を虫に注射する注射器や、それにピンセットとかもあって。おまけに昆虫を虫ピンで留めて標本にする、コルクの板と、ガラスの上蓋まで付いとるんやと。なあ、ちょっと見せてまってこ!」と。
ぼくらは佐原君家へと向かった。
すると佐原君が、標本箱の底のコルク板に、自慢の昆虫たちを虫ピンで留め、夏休みの自由研究を完成させようとしている真っ最中。

ぼくらはあまりの羨ましさに、溜息交じりに佐原君の手元の、ガラスの上蓋がついた、昆虫標本箱を眺めた。
「お母ちゃん、ぼくも佐原君みたいに、昆虫採集セットと標本箱買って!」とぼく。
するとお母ちゃんは、「そんなもん、他所は他所。家の何処にそんな高価なもん、買うお金があると思っとるんや!」と。
項垂れるぼくを横目で眺め、再びお母ちゃんが言った。
「なぁ~んも心配せんでええ。ちゃあんとお母ちゃんが、恥ずかしないように、まわししといたるで」と。
夏休みも後3日に迫った。
手付かずのままの宿題はもはや手遅れ。
ならばせめて、昆虫たちの死骸だけは山ほどあるからと、自由研究に取り組み始めた。
「ほんならこれを、昆虫の標本箱にしたらええわ」と、お母ちゃんが差し出したのは、身欠き鰊の干物が入っていた、杉板の箱である。

横には「丸ス」と赤字の屋号が摺り込まれているものだ。
やはりどう見ても、ガラスの上蓋の標本箱とは天と地。
しかも菓子箱の上蓋の、縁だけ残して切り取り、裏側からラップをあてがった、似て非なるまがい物。
拍子抜けした顔を見咎められ、「そんなもん、入れもんなんかより、よ~は中身が勝負や。佐原君がよう捕らんかった虫があんのやったら、それで勝負したらええがな!」、とお母ちゃん。
確かに、佐原君の標本は、蝉とカブトムシに蝶とバッタばかりだった。
だがぼくには、初めて捕まえた、自慢のタマムシがあった。
お母ちゃんの一言で、キラキラと不思議な光を放つ、タマムシを標本箱の真ん中に据え、新学期の自由研究を提出した。

するとなぁ~のことはない。皆の標本箱も菓子の空箱の代用やらで、ドッコイドッコイ。

だがぼくの標本箱だけが、塩干物の生臭さを放ち、子どもながらに恥ずかしかった。
今にして思えばお母ちゃんは、高価なガラスの上蓋のついた昆虫箱こそ、買い与えてはくれなかったもが、それよりも大切なことを教えてくれた。
そう言えば当時、母はいつも、「♪ボロは着てても心の錦 どんな花より綺麗だぜ♪」と、水前寺清子の歌を、鼻唄交じりでゴキゲンに歌っていたものだ。
嗚呼、実に懐かしい!
さあそろそろ、迎え火でも焚くとするか!
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昆虫採集はあまり興味がなかったです。
子供の頃の話で、夏の夜、窓を開けていると、一度何を血迷ったのか?
カブトムシが部屋に飛んで来た事がありました。
えっ?
あの憎き黒光りする奴じゃないのぉ?
いえいえ⤴確かに「角」があったので間違いありません❢
それに「ホタル」も一度、飛んできた事がありました。
コガネ虫なんて、しょっちゅう飛んできて、捕まえて、首の所にタコ糸を付けて
飛ばして遊んでいました。
そうなんですよねぇ。
不思議と子どもの頃って、十分大人になった今より、ぜんぜん昆虫を恐れませんでしたものねぇ。
今にして思えば、子どもの頃の方が体のサイズからして、今よりも昆虫たちが大きく感じられたはずなんですけどねぇ。
いました!
まるで展示物のような自由研究を提出する人。
羨ましかったなぁ〜( ◠‿◠ )
私は お菓子が入ってた缶や箱をよく使ってました。夏休みが近くなると 何かに使えるかも?と 捨てずに取っておいたりして。
今でも夏休みに本屋さんで いろんなキットを見かける度に 昔の事をチラッと思い出しちゃいます。
何でもかんでも代表品で賄う!
そんな時代の精神が今もぼくの暮らしの中でも息衝いていますよ。
羨ましいほどたくさん、子供の頃の事を覚えていてますね。それって忘れられないエピソードがあるからなんでしょうねぇ⤴️
いいえ、たぶん兄弟がいなかったから、自分の周りの出来事を暇が出来ると反芻していたからだと思いますけどねぇ。