「運動会のご褒美は、初天丼!」

小学校はどこもかしこも、今や運動会の酣。
楽しそうな子供らの声に釣られ、つい運動場を覗き見た。
すると忘れ得ぬ、淋しかった運動会の想い出が脳裏に。
あれは小学3年生の、ちょうど今頃の運動会の日だった。
ぼくはリレーに出場。
運動場のトラックの周りには、家族や親類縁者一堂が茣蓙を敷いて屯し、お重を広げまるで花見やお祭りさながら。

そこへ持って我が子の登場ともなれば、割れんばかりのヤンヤヤンヤの喝采!
昭和半ばの運動会は、平成の今の世とは異なり、応援にやって来た親父連中が酒盛りしようと、学校側が黙認するような大らかな時代。

まるで大相撲観戦さながらに、ヤイノヤイノと声援やヤジが飛び交ったものだ。
そんな中、ぼくらのリレーが始まった。
1~2番手の走者は、家族も多く割れんばかりの声援が走者の背を押す。
しかし3番手のぼく番になると、トラック半周の間、まるで水を打ったかの静けさ。
かろうじてご近所の、おじちゃんやおばちゃんが「ミノ君、頑張れ!」と、ご近所の誼でお付き合い程度の小声がかかるほど。
アンカーたるやこれまた大家族で、凄まじい限りの声援が上がった。
我が家はたったの家族3人。
しかもその時、父は十二指腸潰瘍で手術を受け入院中。
母は泊まり込み看病の真っ最中。
あの頃は十二指腸潰瘍の手術と言えど、2週間ほどの入院を余儀なくされたもの。
だから我が家には、留守番役として母方の祖母が泊まり込み、ぼくにとってたった一人の保護者とし、応援に駆け付けてくれていた。
しかし小さな腰も曲がった婆ちゃんただ一人では、どんなに大声を張り上げようと、競争相手のチームの束になった声援に勝てるはずなどない。
それでもぼくはこの運動会さえ終われば、休みの日に市電を乗り継ぎ両親の病院へ行けると、己を鼓舞し必死に走り抜きアンカー走者へとバトンを継いだ。

「リレー、どうやった?」と母は、やっと見舞いに行ったぼくに、開口一番尋ねた。
入院手術から、ちょうど1週間。
ぼくも然ることながら、母も一人息子がさぞや淋しかったろうと、溢れそうな涙を堪え、運動会の話に水を向けたに違いない。
「うん!抜きも出来なかったけど、抜かれもしないで、ちゃんとバトンをアンカーに渡せたよ!」とぼく。
母は「じゃあ、リンゴでも剥こうか!」と、涙を悟られまいと席を立った。
親子三人水入らずの束の間を、父のベッドの脇で過ごした夕暮れ。
「まあぼちぼち帰らなかんよ。今日は一丁張り込んで、中央線のガード下のうどん屋で、天丼でも食べてから帰りゃあ」と母。
人生初の「天丼」と言う、贅沢極まりなさに目が眩んだ。

「どうや、美味しいか?」と母。
「お母さんは、お父さんが食べ残した、病院食を食べたらないかんでなあ」と、今思えば尤もらしい見え透いた嘘で、品書きの一番安い素うどんを啜りながらぼくに問うた。

運動会で屈託のない声を上げる子供らを眺めていると、ついつい在りし日の母が偲ばれてならなかった。
このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。
小学校の頃は、足は速かった。
自慢するけど大体、一番でゴール
そのかいあって逃げ足は速かったねぇ!
今はその面影ないけど・・
話変わって
ここ数年、何故か?天丼が好きになって、
某イ○ーヨー○堂の天丼が好き!
何と言っても「タレ」が美味しい・・
一度皆さんも挑戦してみて下さいなぁ⤴
ぼくはたまぁ~に近所の天やで揚げたてのかき揚げ丼とビールでプッハァとやることがありますねぇ。
無性に揚げたての天婦羅が恋しくなると!
いくつになっても ご褒美っていいですよね〜。
小さい頃は身内からご褒美を頂き 大人になってからは 自分で自分にご褒美を! 誰かが褒めてくれるわけじゃないですからね(笑)
先日も「よく頑張ってるよね⁈」と自分で自分に言い聞かせ それを口実にラーメンを食べに出掛けて来ました。市内のラーメン屋さんで 車で通る度に気になってて。小さな店構えだけど 最近あまり見かけなくなった醤油味のラーメン屋さん。私好みで昔ながらのさっぱりとしたラーメンだったらいいなぁ〜と思い 暖簾をくぐりました。密を避ける為に13時半頃に。その甲斐あって私一人で貸し切り状態。 とっても美味しかったです。
これからも自分にとっての小さな幸せを感じたり ちょっとしたご褒美を自分に贈ったり出来るぐらいの自分でいたいなぁ〜と思います。
いや!ただ食べたいだけかも…(笑)
ぼくも鶏がら醤油味の、昔ながらの志那そば風の、町場の中華そばが好きですねぇ。
今風の若者で人気のラーメン店は、味も雰囲気もちょっとなぁ~って、二の足を踏んじゃってます。
手術ともなるとまだまだ大変な時代だったと思います。今の病院は24時間看護ですが、昔は付き添いさんが必要だったんですよね。おばあちゃんがいてくれて良かったよ⤴️
そうなんですって!
家族が仕事の関係や家庭の事情で付き添えないとなると、家政婦さんのような付添いさんを雇って、病院で付き添っていただいている方もお見えになったものでしたねぇ。