「昭和懐古奇譚~一升瓶入り濃縮ジュース」(2015.7新聞掲載)

「一升瓶入り濃縮ジュース」

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「ちょっと!あんたら、何やっとるの!そんなに濃いの飲んだら体に毒やがね!」。

昭和半ばの小学2年。

夏休みも目前、土曜の半ドン。

友と二人台所の片隅に蹲り、母が買い物に行ったのをこれ幸いにと、大盤振る舞いに濃いめのジュースを作っていた矢先の事だ。

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買い物に出掛けたはずの母の怒鳴り声が!

どうやら、買い物のメモ書きでも忘れ、取りに帰ったようである。

当時、母の作ってくれるジュースときた日にゃあ、シャビッシャビ。

辛うじてオレンジジュースに見える程度の、とにかく水っぽいだけの代物。

しかもその極薄ジュースが、母の勝手な掟により一日たったの一杯と来たもんだ。

チクロやサッカリンで甘みを増した、今の世ならば体に毒と目を背けられるに違いない、独特な甘さではあったが、昭和半ばの子どもたちにとっては、そんな物でもささやかな愉しみであった。

「あんたら、いったいどんだけ贅沢に入れれば気が済むの!」と、母が一升瓶を取り上げ指をさした。

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そこにはマジックインキで、横に手書きの線が引かれ、ご丁寧に日付まで書き込まれているではないか!

「確かに昨日はここまであったはずや。ってことは、あんたら二人していっぺんに、四日分も飲んだ勘定やない!」。

母の怒りは頂点に達した。

すると今度は母の視線が、ぼくらが手にしたコップへと。

「ああっ!なんてことしてくれるの!今夜の冷麦用にと、一昨日からやっと凍らせとった氷まで、みんな使ってまって、もうどーしてくれるんや!」と、母のヒステリーは止まらない。

確かに当時の冷蔵庫に、冷凍室など無かった。

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辛うじて庫内上部に金属で囲われた、付け足しの様な製氷室があっただけ。

しかもアルミの製氷皿で一度に出来る氷など、たかだか20個にも満たず、しかも小さく薄っぺらいときている。

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現代の多機能で優秀な冷蔵庫と、製氷能力を比べようものならそれこそ月とスッポン。

製氷皿の氷が出来上がるまでに、ゆうに丸々一日以上を費やすほどだった。

それでも当時とすれば、まさに夢の様な神器の一つだ。

そんな虎の子さながらの僅かばかりの氷を、すべてぼくらが濃縮ジュースで使い果たしたのだから母の怒りもご尤も。

だがそんな母との攻防は、何も一升瓶の濃縮ジュースに始まったわけじゃない。

カルピスやミルトン、果ては粉末のシトロンソーダに至るまで、暑い夏の間中続いた。

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ところがそんな折に、目から鱗の瓶入りクリームソーダが出現。

駄菓子屋とか風呂屋でしか見かけぬクリームソーダ、その名も「スマック」。

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風呂上り銭湯の脱衣場で、これを一度飲んで見たくてたまらず、母に何度も何度もせがんで拝み倒し、やっと渋々買い与えてもらった日もあった。

南から梅雨明けの便りが届く頃になると、濃縮ジュースの濃い薄いを巡って、熱い攻防を繰り返した、母と過ごした遠いあの夏の日が、今は無性に恋しくてならない。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和懐古奇譚~一升瓶入り濃縮ジュース」(2015.7新聞掲載)」への8件のフィードバック

  1. 春日井シトロンソーダ
    確か?粉ジュース水で薄めて飲むんでしたよねぇ!
    こりゃまた!懐かしい!
    炭酸は、あまり好まない私
    これは超微炭酸で唯一飲める!
    子供の頃には瓶ジュース・缶ジュース
    高価で飲めなかったけど
    子供には嬉しいプライスで飲めた粉ジュース!
    それに袋の中に指を入れて舐めてた。
    粉オレンジジュースだと指がオレンジ色になっていつまでも
    舐めていたねぇ!

    1. みんな舌ベロがイチゴの赤やメロンの緑、オレンジ色に染まっていたものですよねぇ。
      今思うと、たいして綺麗に洗ってもいなかったような指を舐って、粉末を付けて味わってましたものねぇ。
      何とも今にして思うと、不衛生でしたけどねぇ。

  2. カルピスは、買う物じゃなくて頂く物だったなぁ子供の頃は。粉末ジュースは指に付けて舐めてた。不衛生なんて言葉自体あったのかなぁ。

    1. 不衛生とか不潔と言った概念自体が、今の世とは比べ物にならないほど、何もかもが緩やかと言うか、大らかと言うか、大雑把な時代でしたよねぇ。

  3. 小学生の時分、同じ様な体験で粉ジュースを洗っていない指先に付けて舐めていた不衛生極まりない記憶があります(笑)
    それでも不思議と腹痛にもならず過ごせました。それ位の不衛生だったからこそ今現在、花粉症や食物アレルギーにもならず過ごせていられるのではないかと思います。
    今の子達に食物アレルギーが多いのは環境が過度に衛生になりすぎて免疫が体内に向いてしまうと聞いた事があります。昭和の時代は本当におおらかな時代でしたね!

  4. シトロンソーダ 懐かしや〜。
    薄めて薄めて飲んでましたよ( ◠‿◠ )
    それに 我が家もカルピスは頂き物!
    滅多に飲めるわけじゃないので ここぞとばかりに母親の目を盗んでは カルピスを追加して濃〜いカルピスを味わってました。
    あと 夏にはヤクルトを凍らせて スプーンでガジガジ削りながら食べてました(笑) 食べ終わるのに時間がかかるので そのひとつでおやつ終了〜( ◠‿◠ )

    1. 昭和半ばのあの頃って、今とは比べ物にならないほど、粗末な物しかありませんでしたが、子どもたちは子どもなりに楽しみを見つけ出していたものですよねぇ。

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