「亀のまじない」

隣の家のサッチャンの自慢は、夏祭りの夜店で買って貰ったミドリガメ。

ぼくが小学3年、サッチャンは一つ年下の2年生。
サッチャンはミドリガメの胴体を麻紐で括り付け、公園を犬の散歩気取りで連れ回し見せびらかした。

挙句に雌雄も定かでは無いくせに、「メリーちゃん」とおよそ似つかわしくもない名前まで付けて。
それでもぼくは、サッチャンが羨ましかった。
だから何度も何度も、母の機嫌の良さそうなタイミングを見計らい、ミドリガメを買って欲しいと懇願するも、ケンモホロロ。
連日の雨乞いか?
カエルの鳴き声が、けたたましさを増した梅雨入り前の事。
忘れ物を取りに教室まで戻った帰り道。
通学路の畦道を行くと、田んぼの取水口の朽ちた木枠に挟まり、動けないでいる亀を発見!

寂しげに訴え掛けるようにぼくを見詰めていた。
亀はおよそ縦20㎝、横10㎝ほどの大きさで、ミドリガメのざっと4倍。

気が付けばその亀を木枠から救いだし、ランドセルの中へと放り込み、一目散に家路を急いだ。
そして玄関脇のブリキの真っ赤な防火バケツの水を捨て、それをひっくり返して亀の上から被せて隠した。

「ただいま!」。
玄関先で父の声がした。
「おおい!防火バケツがひっくり返ったまま、動いとるぞ!」と。
しまった!
亀のことなどすっかり忘れ、テレビに夢中になっていた!
しかし時すでに遅し。
直ぐにぼくの仕業と判明。
母からたんまりお小言を頂戴し、挙句に「亀は拾って来たらあかん!病人が甲羅の腹に、病気平癒の願いを書き入れ川に流すもんやで。そんなことしたら逆に、その災いを引き受けてまうやない!晩御飯済ませたらお父ちゃんと川へ返しといで」と。
父と自転車に二人乗りし、亀を携え川へと向かった。
水打ち際で父が亀を放った。
しばらくしてムックリ顔や手足を甲羅から出し、川の中へとノソノソ入って行く。
そして一度だけ立ち止まり、大きく首をもたげ振り向いた。

まるで亀が「ありがとう」と、そうつぶやいた気がしてならない。
ぼくが育った昭和の半ばは、ありとあらゆる迷信に言い伝えや習俗が、至る所に蔓延っていた。
思わずなるほどと呻るものから、俄かには信じ難いものまで。
ところが平成も四半世紀を過ぎた今の世では、それらの迷信に言い伝えや習俗も、ほとんど姿を消してしまっている。
まあそれが、時代なのかも知れない。
しかし迷信に言い伝えや習俗の奥に隠れた万物を思い遣る畏敬の念、それに先達が遺した精神性まで、果たして葬り去って良いものか?
ペットブームにあやかり、面白半分で購入された外来種は、飼い主が飽きてしまえば自然界の中へと捨てられ、それ故在来種の生態系をも危うくする。
だがその最たる被害者こそが、何の罪も無き外来種の動物たちであり、謂われなき駆除の対象となってしまう。
動物たちにしたって、人間だろうが、命の重さと尊さには、何の違いも無いはずだ。
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亀は万年、鶴は千年
そんなに長生きはしたくない・・
今、思うと子供の頃、66歳になるなんて想像していなかった。
ホント!身体の動きが鈍くなって来て
つくづく思う!
あ~ぁ⤴イヤだイヤだ!歳を取ると言う事は
また最近お年寄りの車の交通事故が増えて来ている。
私は70歳になったら免許証を返納しようと思っています。
その方が世の為自分の為だもんねぇ!
オカダさん何よりもお互い身体を大切に・・だっちゅうのぉ⤴
加齢にはどうしたって、勝てっこありませんものねぇ。
抗ったって無理!
だったら残りの人生も、じぶんらしくのらりくらり。
ランドセルに亀〜〜(笑)
もうホントにやんちゃ坊主だったんですね⁈
それにしても 亀に言い伝えがあったとは知りませんでした。亀は長寿する…と言われてるからでしょうか。
昔からの言い伝えって きっと大切な意味があると思ってるので 何かの折に見聞きした時は 信じるようにしています。おばちゃんだからかな⁈(笑)
昔の方の言い伝えには、やっぱりそれなりの道理があるんでしょうねぇ。
特に地名なんかは、その土地の姿形を表しているものも多いですが、町名変更やら市町村合併とか区画整理とかで、昔の震災の痕跡とかを遺したような字名も消えて行ってしまっているようですものねぇ。
子供が小学生の頃、2学年上の子たちが神社の池の亀を持ち帰って先生に叱られたと言う話を聞いたことがあります。子供たちには悪気は無く、大量の亀を目の前にしたら、つい持って帰りたくなったんでしょうね。子供らしい発想で笑えた。
だって亀は機敏に動かないし、襲ってこないイメージがあるから、子どもたちにとっても捕まえやすくって親しみがあったんですよねぇ。