「昭和懐古奇譚~胸元に縫い付けた手書きの名札」(2015.4新聞掲載)

「胸元に縫い付けた手書きの名札」

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4月になると、昭和半ばを思い出す。

始業式で新しいクラスが、何組になったか判明した日のことである。

始業式から戻るのを待ち構え、何組になったかを問いただすと、母は血相を変え体操服やら上履き袋に給食袋、果てはパンツや肌着のシャツから靴下まで、ありとあらゆる物を茶の間に広げた。

そして布切れの名札を悉く取り外す。

晒し木綿を二重にし、縁をかがった名刺大ほどの名札だ。

進級に伴いクラス替えが行われ、新たな名札と付け替えねばならないからである。

晒し木綿の表面にマジックインキが滲まぬよう、ロウソクを塗り付け、そこに学年・クラス・名前を手書きする。

母は夜鍋までして名札を縫い付けたものだ。

今のような使い捨て時代ではない。

だから仮に紛失しても、直ぐに誰の所有物であるか一目瞭然となるよう、まるで護符のように名札を縫い付けた。

しかもわざわざ、メリヤス左胸の一番目立つ場所にである。

せめてズボンに隠れる、裾の方に縫い付けたって、罰は当たらぬだろうに。

大人になってその時の、母の心情が少し理解できるようになった。

それは調べ物の最中の事。

先の戦時下における、庶民の生活を記録した、写真集を眺めていた時だった。

誰もが防空頭巾を被り、竹槍を手に訓練に勤しむ、モンペ姿の女学生たちを写した一枚の写真。

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わが家の木綿の名札と瓜二つの物が、女学生の胸元に縫い付けられているではないか!

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すぐに悟った。

耐えがたきを耐え、忍び難きを偲んだ、あの暗黒時代。

不運にも万が一、空襲で命を落とす事があっても、何処の誰れかを記し、せめて亡骸だけでも家族の元へと連れ帰って貰いたい、そんな哀しい願いが込められていたのではなかろうかと。

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母が祈る様に夜鍋で縫い付けた名札は、紛れも無き幼きぼくを護らんとする護符だったに違いない。

参考資料

もう二度と戦争に命を差し出す必要も無い、

新しい世の中が訪れたのだから、例えどんなに腕白で傷だらけになろうが大丈夫。

男の子らしく、大いに元気に飛び回れ!と、そんな母の祈りが聞こえるようだ。

しかし母の祈りも空しく、巷では恒久平和を誓ったはずの憲法を捻じ曲げようと、改正論議が一部の政治家どもの間で、もっともらしい曖昧な言葉に挿げ替えられながら、「無知なる国民よ」と嘲るような口調で、のごとく今にも聞こえて来るようだ。

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「お母ちゃん!ぼくはもう兵隊に取られることも無い、使い物にもならぬオッサンだから善しとして、ぼくらの子供や孫は、愚かなる一部の政治屋の手によって、赤紙が舞い込むやも知れぬ、そんな危うき時代を迎えてしまいました。どうかどうか、お母ちゃんやお父ちゃんが、耐えがたきを耐え、忍び難きを偲んだ、あの暗黒時代の苦しみが二度と再来せぬよう、天国から見守っていてください!」

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和懐古奇譚~胸元に縫い付けた手書きの名札」(2015.4新聞掲載)」への11件のフィードバック

  1. 小中学を思い出しますねぇ!
    白地に楕円のプラスチックに、何年何組、ヤマもモと書かれた・・名札
    嬉しかった!
    後、持ち物にも自分の名前
    我が家は父親が兄貴の分、私の分とそれぞれ書いてくれました。
    達筆の父親でしたが、何故か?
    私はその血筋を受け継ぐ事が出来なかった。
    ミミズにも負ける「へたっぴぃ~な文字」
    あ~ぁ⤴
    今度生まれて来る時は、モテ男になって達筆なヤマもモになりたい!

    1. 家はお母ちゃんが木綿の布地を重ね縫いして、マジックインクが滲まないようにと、ロウソクを塗りつけてから、ぼくの名前を書いてくれていましたねぇ。

  2. 今日、電車通勤復活

    ゆっくりブログみれる

    で、わたしは
    今、愛知名古屋空襲を知る記念館でボランティアしてます
    今月は13日土曜日

    1. へぇー、立派なボランティア活動じゃないですか!
      相変わらずフットワークがいいねぇ!
      まんちゃんは!

      1. アザ~す
        今日は何人来るかな~
        この前は
        26人来館されてました。
        無料です

  3. そう言えば、修学旅行の持ち物には住所まで書いてませんでしたぁ?今じゃかえって危険な事なんでしょうねぇ。

    1. 確かに!
      何かにつけ大らかだった昭和時代と違いますから、ギスギスとしてしまった令和の時代じゃ、個人情報を悪用されかねませんものねぇ。

  4. 思い出しますね〜( ◠‿◠ )
    小学校の入学式の日の夜 算数のお道具箱の中のひとつひとつに名前を書いた事を…。
    進級する度に また書いて。
    でも未だに変わってません。
    息子達の持ち物には 必ず名前を書いてますから。ハンカチや下着 更に靴下においては 二人同じサイズなので 私が間違えないように 一人だけ靴下に赤い糸で印を縫い付けてます(笑)

    1. さすが、お母さんの思いやりですねぇ。
      そんな端々の母親の温もりを息子さんたちが誰よりも感じていらっしゃるはずですよ。
      ただ普段言葉に出来ないだけで!

  5. 新学期になると母は 仕事の合間に苦手な針仕事をして 姉と私の2人分の名札をつけてくれてましたね〜  (θ‿θ)  

    小学校低学年の時に仲良しだった友達のお母さんが 内職で婦人服を作っていた事やエプロンや、お揃いの服を作って貰った事で洋裁に興味を持ち 中学入学の時は自分で体操服に名札をつけました ( ◜‿◝ )♡

    自分の服や孫達の物を作る事で ストレス解消にも役立っています (◍•ᴗ•◍)❤

    最近は名札用の生地が売られているようで  す   びっくり❕   

    1. ぼくはボーイスカウトだったので、制服に肩章を縫い付けたりすることを、母の手仕事を見よう見まねで真似てやっていたものです。
      だから下手糞ながら今でもボタンつけくらいなら!
      でも老眼で針穴に糸が通せなくって!

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