「昭和懐古奇譚~火鉢とおニューのセーター」(2015.2新聞掲載)

「火鉢とおニューのセーター」

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「あ~あ。折角のおニューのセーターが、雪でベッタベタやないの!」。

―ええ~っ!何を今さら~っ!―

暦の立春は過ぎても、余寒の寒波も侮れない。

今ほど優秀な気象衛星も無く、天気予報の当たる確率など、格段に悪かった昭和の半ば。

恐れ多くも当時のわが家で、天気予報を司るのは、今太閤ならぬカカア殿下の母であった。

つまり前夜のテレビで見た「ヤン坊マー坊天気予報」の記憶と、あくる朝の母の機嫌の良し悪しと、永年の勘働きだけで、その日の予報のお告げが下されたのだ。

参考資料

やれ、ツバメが低く飛んだとか、やれ、西の山並みが霞んで見えたとか。

そうして母が下したわが家の天気予報には、例えそれがどんなに疑わしくとも、もはや父もぼくも異を唱える事など出来はしない。

だから朝から快晴の日に、ぼくだけ傘を持って登校し、みんなから散々笑われたり、逆に「今日は降れへん!」の一言で、傘も持たずに送り出され、濡れ鼠で帰ったこともしばしば。

すると、「たぁーけやねぇ、この子は。こんな日に傘持ってかんでやわ」と。

―じゃあ、どーすりゃぁいいのよ、まったく!―

しかし、仮そめにもそんなことを口にしようものなら、何倍ものお小言をクドクドネチネチと、いつまでも捲し立てられるがオチ。

だからひたすら、触らぬ神に祟りなしと念ずる他ない。

その日は朝からよっぽど虫の居所が良かったのか、「今日は冬晴れのええ日やで、この白いおニューのセーター着ていき。バス停前の洋品店で、特売やったで買っといたんや」と母。

「おニュー」とは、昭和半ばの造語の一つ。

文字通り新たらしいの「ニュー」に、ご丁寧にも「お」を付けて呼んだものだ。

しかしそれも束の間。

給食の時間になると、北風が強まり一気に伊吹颪が流れ込み、瞬く間に鈍色の空となった。

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すると案の定、下校時刻には鈍色の雲の裾が解け、大粒の牡丹雪が降り出したではないか!

白く染まり始めた畦道を、懸命に駆け家路を辿る。

しかし牡丹雪は容赦なくおニューのセーターに纏わり付いた。

「たぁーけやねぇ、この子は。こんな日に選りによって、おニューのセーターなんか着て行くでや」と、母がしれーっとした顔で(のたも)うた。

さすがにこの日ばかりは、母の責任転嫁にただただ舌を巻いたものだ。

「もうさっさと脱ぎなさい!火鉢で乾かしてやるで」と、母は牡丹雪が溶けてベトベトになったおニューのセーターを、火鉢の真上を横切る物干し用の紐に吊るした。

冬場は洗濯物が乾かぬため、わが家の茶の間には物干し用の紐が張られ、冬の日差しで乾き切らぬ、厚手の股引やらメリヤスが吊り下げられていたものだ。

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ぼくはいつしか炬燵で、転寝を決め込んでいたようだ。

すると台所から母の声が!

「ちょっと!焦げ臭いやないの!」と。

慌てて目を覚ますと、物干し用の紐があまりの重さに耐えかねて弛み、おニューのセーターが火鉢を覆っているではないか!

せっかく特売品とは言え、やっと買って貰えたおニューのセーターが、たった一日でこげ茶色!

「あ~あ、あんたが居眠りしとるもんでやわ!」と、無常すぎる母の声が、さらに追い打ちをかけた。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和懐古奇譚~火鉢とおニューのセーター」(2015.2新聞掲載)」への12件のフィードバック

  1. 何を隠そう!
    私の子供の頃のあだ名が「ヤンマー」でした。
    勿論、テレビのCMヤンマーデーゼルの天気予報からあだ名が付きました。
    物凄く長寿CMですねぇ!
    オカダさんはやはり「ミノ君」でしたか?
    昔は、何のひねりもなく大体、みよじか名前からのあだ名でした。
    だけどさ~ぁ⤴
    そう考えると、落武者って見た目だよねぇ!
    まぁ~⤴それもアリか!

    1. でも誰が名付けたんだか、「落ち武者殿」なんて、なんとも時代がかってて素敵なあだ名じゃないですかぁ。
      だってそんじょそこらじゃ聞きませんもの!そんなあだ名!

  2. おニューという言葉、久しぶりに聞きました。昭和ですねー!火鉢も昔の実家にありました。祖母が亡くなってからは使うこともなくなり、物置にしまわれた気がします。

  3. 火鉢には、お湯を沸かす仕掛けがありました。祖母はそこで得られたお湯でコーヒーを入れてくれたものです。ただし、火鉢に内蔵された大型容器は内部を洗えたのでしょうか。謎です。

    1. 火鉢にも色んな種類があるようですものねぇ。
      銭形平次親分の長火鉢みたいなのを前に、鯔背に胡坐をかいて盃でも傾けたいものです。

  4. 『 ♬ ぼくの名前はヤン坊 ♬ ぼくの名前はマー坊 ♬ 』の天気予報 

    子供の頃は母が『明日は雨やで 傘持ってかないかんよ〜 』と 夕飯の時に教えてくれましたが、翌朝には すっかり忘れてしまって 、、、 

    今は 携帯アプリでの アメダスが自転車通勤の私には おお助かり (◍•ᴗ•◍)❤

    子供の頃 しもやけで痛く 冷えた足を 寝そべって火鉢に くっつけてました~
    ( ꈍᴗꈍ)    

    雪合戦で濡れた靴下や手袋を火鉢の端で乾かすつもりが、焦げてしまった イヤーな思い出も  (╯︵╰,) 

    あの 焦げた臭い 独特ですよね〰〰〰  

    1. やっぱりみんな同じような体験をしているものですよねぇ。
      いずれも懐かしくて恋しい、昭和の光景ですねぇ。

  5. あっちゃぁ〜!!、災難続きの一日でしたね。でも、お母さんの「焦げ臭い!」のひと声が無かったらオカダさんが丸焦げだったかもよぉ。

    1. 仰る通り!
      大人になってからは、セーターをタバコの火で焦がしちゃったこともありましたねぇ。

  6. 火鉢だ〜。これまた懐かしや〜。
    自分の家にはなかったけど 九州に住むおじいちゃんの家にはあって 年末に行くと いつも火鉢に金網を置いてお餅を焼いてくれました。炭の香りやほのかな暖かさ…
    良いですよね〜
    ウトウトしちゃう( ◠‿◠ )

    1. 確かに火鉢でこんがり焼いたお餅って、オーブントースターで焼いたのとは、明らかに香ばしさが違って感じられた気がしますねぇ。

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