「昭和懐古奇譚~菜っ葉服?それともドンゴロス??」(2014.2新聞掲載)

「菜っ葉服?それともドンゴロス??」

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昭和も第4コーナーに差しかかる、昭和40年代後半の事。

「ちょっとあんた、そんな色の剥げた菜っ葉服みたいな、みっともないもん着て行かんといて!」。

ギターを抱え出掛けようとした途端、母のいつものお小言が始まった。

それにしても今日のお小言は、どうにも意味不明で尋常ではない。

その日の()で立ちは、なけなしの小遣いでやっと手にした、ダンガリーシャツにジーンズ。

それが何故(なにゆえ)「菜っ葉服?」なのか。

フォークソングクラブの練習だから、それ相応のはずなのに…。

ってか、「これじゃなきゃ、フォークソングっぽく無いジャン!」と、母への反論を思わず呑み込んだ。

なぜなら、万に一つでも口答えしようものなら、それこそぼくの一言に対して十倍返しの口数で、ネチネチ長々と応戦されるのがオチ。

既に学習済みであるから、ぼくの戦意も自ずと喪失。

見ざる、聞かざる、言わざるを信条に、スタコラサッサと玄関を後にした。

すると今度は背後から、「なんやの!そのドンゴロスのずた袋は?まるでルンペン(今なら不適切な言葉だと、お叱りを受けるとしても、昭和半ばには立派に通用していた)みたいやがな!」と、母はまだ戦意を無くしてなどいなかった。

しかもこれまた「ドンゴロスのずた袋」とは?

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ぼくはその日、珈琲豆を輸入する際の、麻袋の生地で仕立て直した巾着袋に、ギターの小物などを入れ、ショルダーバッグのように肩から吊り下げていた。

もっともぼくとしては、アメリカン・ヒッピーを真似た、イケてるファッションのつもりだったのに。

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それをこともあろうに、「ドンゴロスのずた袋」などと、一刀両断に切り捨てるとは。

さて、これまでの(くだり)の中に登場した語に、何一つ疑問を抱くこともなく、一気に読み進められたであろうか?

だとすれば貴方は、もはや押しも押されもせぬ、泣く子も黙る立派な昭和人の鏡である。

なぜならここに登場した「菜っ葉服」に「ドンゴロス」、「ずた袋(頭陀袋(ずだぶくろ)の誤読。僧侶が托鉢に用いた布製の袋。現在は巾着袋同様で、ショルダーバッグに近い)」や「ルンペン」は、平成も四半世紀が過ぎた今、昭和の終焉と共に死語になりそうな、いずれも絶滅危惧種の語だからだ。

参考資料

本来の意味はと言うと、「菜っ葉服」は労働者が着る青色の仕事着。

一方の「ドンゴロス」は、ダンガリー「dungaree」から転じた語で、粗く織った薄茶色の丈夫な麻布。

この麻布の袋に胡椒を入れ、インドから輸出したことから、麻袋までドンゴロスと呼ばれたという。

そして子ども心にも、忌み言葉の様に感じ、その本意を誰にも尋ねられず、勝手に解釈してしまっていた「ルンペン」。

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これはドイツ語のLumpenそのもので、布切れや襤褸(ぼろ)服を意味し、それをまとってうろつく浮浪者の意味だと辞書にある。

いずれもぼくには、懐かしさの込み上げる、味わい深い言葉だ。

「昭和は遠くなりにけり」。

果たして時代が遠退いたのか?

そうでは無いであろう。

今を生きる私たちが、今の世を生き抜かんと身の丈を合わせ、過去の言葉や道具に風習さえ、自らの手で葬り去って来たからではなかろうか?

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和懐古奇譚~菜っ葉服?それともドンゴロス??」(2014.2新聞掲載)」への8件のフィードバック

  1. 昭和時代にはよく聞いたルンペンだけど
    いつの間にか?聞かなくなった。
    今は、ホームレスになるのかなぁ~?
    悪い頭で考えてみると・・
    平成、令和時代
    世の中、物が溢れていて・・贅沢
    そう言う私も贅沢者になってしまったのか?も知れない!
    昭和の時代は良かった・・普通に生活すれば何不自由なく暮らせた。
    もう、アナログ人間では生活出来ないしねぇ!
    薄い髪の毛を凝らして俄かデジタル人間にならないと
    世の中について行けない!
    オカダさんYouTubeをやるなんて凄いねぇ!
    尊敬!

    1. いやいやぁ、ぼくだって昭和半ばの筋金入りのアナログオヤジそのものですって(笑)

  2. 大学を卒業すると、化学企業に入社し研究所に配属されました。入社前は、白衣を着て実験するのかと思っていました。しかし、貸与されたのは胸に会社のロゴが入った菜っぱ服でした。でも、僕は好きでした、この服。新田次郎の「孤高の人」にモデルとして取り上げられた不世出の山男、加藤文太郎さんが菜っぱ服を着て神戸近郊の山々を踏破していたのを知っていたからです。加藤文太郎さんは造船技術者。山が好きな僕は加藤さんの真似をして、関西の山を歩きました。いまは、往時の菜っぱ服に身を包んで、畑仕事をしています。

    1. 菜っぱ服って働き者の男の匂いがしそうですよねぇ。
      父の菜っ葉服からは、いつも煙草の匂いがしたものです。

  3. オカダさんは、ギター片手に歌っている姿をご両親に見て貰った事はあるのかしら?テレルよねぇ⤴️

    1. どうやらぼくが出演させていただいた夏祭りのステージを、こっそり人混みに紛れ込んで見たことがあったようです。
      恥ずかしい!

  4. 何ひとつ分からず…
    ブログを読んでもクエスチョンマークだらけという事は 目の前で直接聞いたら ただ呆然と立ち尽くすだけになっちゃう(笑)
    お母様って 物凄く言語力がある方だったんじゃないですか?
    頭の回転が早く 発想力も豊かな方なんじゃないかなぁ〜( ◠‿◠ )

    1. とんでもありません。
      いたって普通のお母ちゃんでした。
      戦時中育ちでしたから、満足な教育も受けられなかったと思います。
      でも新聞だけは、隅から隅まで読んでいたのを記憶しています。

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