
まるで文金高島田の優雅な日本髪か?

新緑に彩られた、こんもり小高い山々の姿は。
関市の千疋大橋から長良川は西へと蛇行し、やがて武儀川と合流し南へ。
一方、支流となった今川は津保川と結ばれ、上芥見へと下り再び長良川となる。

この辺りの川堤から川下を眺めていると、真っ赤な欄干の藍川橋が、どうにもぼくには文金高島田のような小高い山に差した、簪に見えるから不思議でならない。

橋の中程に佇み川下を眺めると、正面に兎走山、右手に大蔵山、左手に清水山の三山が、大河の流れに立ちはだからんとばかりに鎮座している。

その大自然の造形美たるや、長良川下りの絶景でも一二を争うに違いない。
「日本の春は?」の問いに、桜と答える人は多い。

古くから桜は、日本人の心の琴線を揺らし続けて来た。
その潔い散り際に儚い死生観を重ねたり、時には満開の桜に大願成就の夢を託す。
子どもの頃のぼくは、和菓子屋の店先に春を感じたものだ。

鴬餅に草餅、そして一番馨しいのは何と言っても薄紅色の桜餅。

塩漬けの葉が、えも言われぬ香気を放つ。
だがどうにもその葉っぱが苦手だった。
年に一度、口に入るかどうかの桜餅が、なぜかその日は水屋に三つ。
父母とぼくの三人に各々一つの計算だ。
あまりに「美味い」と繰り返し、葉っぱだけ外してペロリと平らげたからか、母が自分の分を差し出した。
「そんなに美味いんやったら、これも食べ」。
「ええっ?本当にええの?」。
「お母さん今食べとうないで。お前が残した葉っぱで十分やわ。塩味が効いてええ香りやし」。
今思えば、母は何かに付けそうだった気がする。
特に我が家にとっての贅沢品が、卓袱台に上った日は。

鰻なら「端っこの方が美味い」と尻尾を、すき焼きなら「肉よりよっぽど糸コンの方が美味い」と嘯いては、父とぼくの皿へ大きな身の鰻や肉を取り分けた。

「あれっ、父ちゃん桜餅いらんの?さっきから葉っぱばっか食べとるけど?」。

五つになったばかりの娘の声に、ぼくは現実に引き戻された。
今から10年も前のことだ。
どうにも血は争えないと言うことか。
「息子の修業が明け、師匠のお宅へお礼に伺った時、桜餅が出されたんやて。何とも言えん、ええ色で艶々しとってね」。
岐阜市上芥見、菓匠「豊寿庵富田屋」二代目女将の後藤敏子さんは、店先で三代目の豊さんが拵えた自慢の桜餅を指差した。

敏子さんは二代目の民康さんの元へ、日本中が沸き返った東京五輪の開会式の日に嫁に入った。
「主人の父は4歳の時に戦死し、祖父が父代わりで。『孫の嫁を一目見んと』って、病を押してまで楽しみにしとってくれたらしいわ」。
二人は熱海へ新婚旅行に向かった。

しかし翌日、祖父危篤の知らせが。
「嫁入り3日にして、今度は祖父の葬儀やでね」。
背中合わせの吉凶。
だが、それでも人は生きてゆかねばならぬ。
その後、一男二女が誕生。
夫と共に家業を護り抜き、晴れて息子へと襷を渡した。
桜の花びらは風に舞い散る。

やがて芽吹く若葉に、自らの命を授けるように。

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背中合わせの吉凶
明日何が起こっても不思議ではないこの時代
大袈裟かも知れないけど 会わずに後悔したくなかったので 今月 一年半ぶりにマスクランチする事にしました。
息子達が通ってた養護学校の元校長先生と そして その学校で励まし合いながらPTA活動を共に頑張ってきた友人とで。待ってました…とばかりに日時や場所がすぐ決まり 今からワクワクしています( ◠‿◠ )
何だか緊急事態宣言が解除された途端、街中が人で溢れ返って来ているようですよねぇ。
まぁ予想通りなんでしょうが。
その反動を考えると、ちょっとためらっちゃいます。
しかし今までもこれからも、自分の警戒心を薄れさせないように心がけたいと思っています。
楽しんできてくださいね。
鶯餅に桜餅・・
いいね~~ぇ⤴美味しいよねぇ!
最近ウナギ同様食べてない!
勿論!すき焼きだって食べてない!
すき焼きは、肉より二日目のタレがしみ込んだ「焼き豆腐」が好きだねぇ
大人の味「菊菜」も好きだねぇ
大晦日まで「すき焼き」は我慢!我慢!
そうそう、二日目のこってり味の染み込んだすき焼きの焼き豆腐は堪りませんねぇ。
すべての食材の旨味を吸い込んじゃってますものねぇ。