
「昼飯付きの日当片手!さあ、乗った乗った!」。

ヤクザ映画で見かけるような、強面の手配師が、片手の5本指を大きく広げ、軽トラの荷台の上に立ち、大声を張り上げる。

確か高校1年に上がった、昭和48年の夏休みに入って間がない、早朝7時前のこと。
名古屋の笹島交差点を南に下った、今は25階建ての住友生命ビルが建つ辺り。
近くに職安があるせいか、その辺りには毎朝、人相の悪い日雇い労務者と、それ以上にも一つ人相の悪い手配師が屯し、ある種独特な賑わいを見せていた。

「おい、どうする?昼飯付きの5千円やと」。
同級生がおどおどしながら、小声で呟き肘でぼくを突く。
「どうする?」って聞かれたって、こっちだってこんな経験は初めての体験だ。
数ある手配師の顔を見比べ、最も人の好さそうなオッチャンの、トラックの荷台にぼくらは、荷物のように詰め込まれた。
到着したのは郊外の住宅造成地。
ぼくらはスコップを手渡され、日が暮れるまで日雇い労務者のオッチャンたちに混ざって、側溝堀の手伝い。

それでも唯一の楽しみは、手配師が声高に叫んでいた弁当。
しかし手渡されたのは、味も素っ気もない塩結び2個に、薄っぺらなお新香2切れ。

夕方再びトラックの荷台に詰め込まれ、ヘトヘトの状態で笹島へ。
そこで虎の子の、日当5千円を手にするという塩梅。
そんな過酷なバイト代を貯めに貯め、友と一緒の50㏄の中古バイク、ホンダ・モンキーをやっとのこと手に入れた。

その夏の終わりのことだ。
モンキー仲間3人で、伊吹山の麓を抜け、国道8号線を経て若狭湾へ出掛けることとなった。
まずは、行きがけの駄賃にと、原付モンキーを唸らせ、伊吹山へ登ることに。

しかしさすがに、所詮馬力にかける原付モンキーでは、伊吹山のドライブウェイは手強い。
5合目に何とか辿り着いたものの、いずれも中古の3台のモンキーは既にグロッキー。
若狭湾の浜辺どころか、何とかかんとかモンキーを宥めすかしながら、這う這うの体で家へと帰り着くのがやっとだった。

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美しい稜線ですね。
参考写真に見入ってしまいました。
それにしても素晴らしい行動力ですね。
若い頃って、何でもかでも面白半分に突き進んじゃったりしたものです。
悪質な手配師に引っかからなくって本当に良かったと思います。
私も高校生の時アルバイトしてましたよ。小さなパン屋さんの工場、某薬品会社の工場、サカエ地下街の靴屋さんなど。色々勉強させて貰いましたよ⤴️バイト代は友だちとの旅行費に使ったかなぁ。
舞台の表と裏の様に、その世界に飛び込んで見て初めて見えてくる景色ってぇのがありますよねぇ。
バイトは後にも先にも
新聞配達しかないですが
朝刊で朝、岐阜駅で新聞を受け取り・・
25件位の家へ配達「関西版デイリースポーツ」
でもねぇ!
何か?塀が高くて、やばそうな!家ばかりの配達でした。
そんなだから配達する人もいなくて
訳ありだから配達件数も少なかったんだねぇ!
一ヵ月で私も即刻やめました。
それでもちゃんと一ヵ月はお勤めを果たされたんですから、そりゃあもう大したものじゃないですか!
さすが義理人情を貴ぶ落ち武者殿ですなぁ。
昔見てた青春ドラマの場面が 頭に浮かびましたよ。
スコップ片手にバイトをして お給料でバイクを買う…
そんな時代があったんですね( ◠‿◠ )
私も少しだけバイトの経験が…。
喫茶店のウエイトレス、スーパーのレジ打ち、そろばん塾の先生の補助など。
人を相手にする仕事ばかりだったから いい勉強になりましたよ。今思えば(笑)
色んな職業の入り口だけでも、実際に自分が飛び込んで見るだけで、随分な社会勉強になっちゃうものですよねぇ。
私も高校 2年と3年の夏休み 父親の知り合いの飲食店で 厨房ではポテトサラダを作ったり、フロアースタッフのアルバイトをしていました 。◕‿◕。
この時頂いたバイト代は 洋服や靴等 おしゃれに使ってしまいました (◍•ᴗ•◍)❤
モンキーではありませんが ホンダ50㏄のバイク 22歳から15年くらい通勤に乗ってました (◕ᴗ◕✿)
アルバイトは、決して学校では学べない、人間力育成に欠かせぬ大切な時間だった気がいたします。
It?s the best time to
make a few plans for the
long run and it?s time to be happy. https://fr.mmeco.ca/collections/liquidation