昭和20年8月15日。
陛下の玉音放送に接し、国中が項垂れ涙したその夜。

八幡では、一部の町衆らによって、郡上おどりが始まった。
敗戦の悲しみに暮れた山間に、郡上節が響き渡る。
すると瞬く間に、我も我もと、踊りの輪が広がっていったとか。
♪七両三分の春駒 春駒♪

終戦から72年。
今年も7月8日の発祥祭から31夜に渡り、郡上おどりが幕を開ける。
ここで一息、ぼくの楽曲「八幡様のお百度」を、長良川国際会議場大ホールでのLiveからお聴きください。
中でも圧巻は、8月13日~16日まで続く、盂蘭盆会の徹夜おどり。
八幡の町が見事なまでに、郡上おどり一色に染め抜かれ、夏のクライマックスを極める。
だが徹夜が終わると、急に川風さえもヒヤリと感じられるのだ。
だから残りの8夜ともなると、踊り子たちの誰もが、ゆく夏の名残惜しさを浮かべる。
そして9月2日。
おどり納めの大トリは、最後の郡上おどりを締めくくる「まつさか」。
八幡の闇に溶け入る唄声で、静かにそっと幕を下ろす。

ひと月足らずの、八幡の夏。
踊り子たちが去った後は、ぼんやり燈る町灯りと、何事もなかったように流れる、吉田川の瀬音だけが切ない。

郡上おどりは、江戸中期に誕生し、盂蘭盆会の行事として、連綿と受け継がれてきた。
しかし、明治の御代になると禁止令発布の憂き目に。
やがて時を下り、大正12年に、郡上踊り保存会が発足した。
しかしそれも束の間。
昭和に入るや軍靴の響きが、けたたましさを増す度、町衆の楽しみでもあり、先祖供養の仏事でもある徹夜おどりさえ、その制約を受けることに。
いつの世も戦争の犠牲は、罪もない市井の民ばかりだ。
敗戦が色濃くなると、8月15日だけ開催が許された。
そして迎えた終戦の夜。
敗戦国の民として、明日からどれほど辛酸を舐めようと、もうこれ以上の犠牲を払うことだけはなくなったと、誰もがきっと安堵したことだろう。
戦時中は、八幡にも踊りの中止勧告が出された。
しかし「英霊を慰める」との理由で、中止を免れたそうだ。
保存会の記録には、「終戦ノ玉音放送ノ為盆踊休止」とあるとか。
故に恐らく町衆が、微かな平和の兆しを感じ取り、同時に国中で戦火に倒れた、多くの人々の霊を鎮めんと、念じながら踊ったのだろう。
天晴れ、気高き八幡の町衆よ!
そして郡上おどりよ!
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今年もニュースで郡上踊りのお囃子を聞く事はなくて淋しい!
地元の人達はもっと淋しくて悔しい思いをしているんでしょうねぇ!
日本中のお祭りや盆踊りが再開される日を待ちたいと思います。
なんとしてもコロナを乗り切って、マスク無しで大声で歌って踊って!
そんな日が一日も早く戻って来てくれることを切に願いますねぇ。
土曜日がまだ半ドンだったOL時代に、会社の先輩がバス一台分の郡上踊りへの参加者を募集してたので、My浴衣とMy下駄を持って参加した事があります⤴️最初は踊れなくても、見様見真似でなんとか踊れるように⤴️若かりし頃の思い出ッス(*^^*)
いいもんですねぇ。
そうやって踊りの輪に入っていけるってぇのは!
ぼくなんて遠巻きに踊り子さんを眺めながら、プッハァするのがやっとこさです。
お祭りって いろんな祈願が込められてるけど 徹夜踊りだけではなく 夏に行われるお祭りには『御供養』という意味もあるのかも知れませんね。
ちょうど迎え火の頃だから。
空に輝く大輪の花火も空の上から見えるでしょ⁈ ( ◠‿◠ )
そうですよねぇ。
旧暦新暦を問わず、夏の期間に行われる踊りや御祭禮、そして花火大会は、いずれもそんな鎮魂の願いが込められていますものねぇ。
今はコロナでそうもいかないのが残念でなりませんけどね。