そう言えばあのオジサンは、一体どこからやって来たのだろう。
「オッチャンの時代はなあ、ストライクを『よし1本、正球』って呼ばされたんやぞ。見逃し三振なんてもんは、『よし3本、それまで』。もう何から何まで一事が万事そんな調子やった。エッ、何でそんな呼び方やったかって?そりゃあもうその頃は、戦争も末期やったし、日に日に旗色も悪くなるばかりでなあ。敵国の言葉を使うなど『けしからん』『非国民だ』と、敵性語の使用が禁じられたんや」。

昭和の半ば。
ぼくらは草野球の真っ最中。
夢中で白球を追い掛けていた。
するといつの間にか、キャッチャーの真後ろにオッチャンが居た。

両膝に両手をつき、アンパイアーを真似るように、ぼくらに語り掛けて来たのだ。
「オッチャンこう見えてもなあ、学生の頃はエースやったんやて!並み居る打者を、自慢の剛速球でバッタバッタと薙ぎ倒し、三振の山を築いたほどさ。エッ、プロからのスカウトか?それならええけど、陸軍から赤紙のスカウトや。おっと!」。

ぼくの投球がキャッチャーの脇をかすめ、オッチャンの後ろの方へと転がって行く。
するとオッチャンはキャッチャーを制し、片足を引き摺るようにボールを追い駆けた。
「ええっ!オッチャンの剛速球が見たいやと?」。
オッチャンは拾ったボールを両手で捏ねながら、トボトボとぼくらに歩み寄った。

「オッチャンなあ、軍隊で来る日も来る日も、敵陣に手榴弾を投げさせられてばっかりやったんや。学生野球の投手やったと知れて、上官の嫌がらせやろうな。それが元で肩を壊してまって、野球やりたくてももう出来ん体になってまったんやて。すまんな、剛速球を見せてやれんで。でもお前らはもう、戦争に取られることも無い。誰に憚る事無く、好きなだけ野球したらええ」と、オッチャンは寂し気に言い放った。

敗戦から70年。
オッチャンが言った「戦争に取られることも無い」世の中は、果たしていつまで続くことだろう。
もうすぐ、夏の甲子園野球が始めるけど
酷暑で甲子園野球のやり方も変わって、給水タイムがあるけど
年々、色んな事が変わって行く、当たり前が当たり前でなくなって来た。
もう⤴2年以上、オカダさん、オカミノファミリーの皆さんと
お会い出来ていないけど・・皆さん変わったかな~ぁ⤴
えっ?あたしですか?
勿論!変わらないですよぉ!
オカダさん、オカミノファミリーの皆さんへの愛はいつまでも・・・!
少なくとも最後のほろ酔いLiveから、はや1年半が無情にも過ぎてしまいました。
でもどんなに時が無情に流れたとしても、それはそれで意味合いがあるって思っています。
だからたとえどんなに無情な時間が過ぎたとしても、再び皆々様とお逢いできれば、瞬時に1年半前のあの時の続きから始められると、ぼくは信じています。
大人の心の中は分かりませんでしたが、物心が付いた時から周りには戦争の跡は無かったので、自分が生まれたのは戦後10年しか経っていなかったのだと気付いたのは随分大きくなってからだったと思います。(やだ、歳がバレちゃう)
そうですって!
ぼくらは戦後生まれだって言ったって、たった一昔前の10年ほど前までは、当たり前のように人が人を殺め合っていたんですもの。
一部の好戦的な人間を除けば、誰も好き好んで人に銃口を向けることなどなかったことでしょうね。
今の世の中が良いのか?そうでないのか?
私は 学校での授業で ○年に○○戦争が起きた…と勉強したぐらいで 深くは知りません。報道や映画などで見たとしても 想像したとしても その場に立った方にしかわからない心情があるわけで。
どうして人が人を…。
この先 未来永劫 戦争など起こりませんように。
ぼくも心からそう願いたいものです。
❖ 鈴懸の径 ❖ を聴きながら
平和を祈りたいですね ♥
東京オリンピックに行く楽しみも失われてしまったけど とりあえず 今夜は無事に閉会式が開かれるであろうが 関係者の コロナ感染者は ???
♬ (^∇^)ノ♪ あれから 1年半 ♬
みんなが集れば 直ぐにあの日 あの時に帰れますよ〜 (◍•ᴗ•◍)❤
『 泪で Cheers ! 』って ね
それとってもいい考えです!
またみんなして集まれたら、なにはなくともキリン一番搾りで『 泪で Cheers ! 』ですね!