♪野球すーるなら こういう具合にしやしゃんせ……アウト!セーフ!よよいのよい!ジャンケンポン♪

昭和半ば、秋の長雨の頃になると、草野球も雨天中止。
しかしそんなことで値を上げたら、悪ガキの名折れとばかりに、わが家の茶の間に集まった。
そして口々にこんなお座敷唄を口ずさみ、野球拳遊びに講じたもの。

ジャンケンに負ける度、薄汚れたシャツや半ズボンを脱ぎ捨て、誰もがパンツ一丁。
得てしてそんな頃合いになると、不意にお母ちゃんが現れ、それはそれは一際大きな雷を落とされたもの。
「そんなエッチな遊び、どこで覚えてきたんや!」と。
近所に町内一と評判の美人、独り暮らしの中年女性がいた。
いつも和服姿で凛とした雰囲気を醸し出し、周りからは「お師匠さん」と親しまれ一目置かれていた。
師匠の家は、こじんまりした数寄屋風の平屋。

坪庭の手入れも行き届き、時折り三味の音が聞こえた。

母の手伝いで回覧板を届けるのが、当時のぼくの何よりの愉しみ。
だって必ず「これ頂物やけど、良かったらお食べ」と、懐紙に包んだ駄賃をいただけたのだから。
ある日家路の途中、学習塾へと向かう同級のガリ勉野郎と出くわした。
「何大事そうに抱えてるの?」。
「お師匠さんからいただいたお駄賃さ」とぼく。
「お師匠さん…だって?ああ!あの花街上りのお妾さん?母さんがいつもそう呼んでる」と。
家で初めて耳にした、「花街」と「お妾」について母に問うた。
「何やて!誰がお師匠さんを、お妾さん呼ばわりしたって!師匠はその昔、売れっ子の芸妓さんだったのよ。ある日のお座敷で、学徒出陣される学生さんの壮行会があり、その学生さんとあっと言う間に恋仲へ。出征までの限られたわずかな一時。二人だけで将来の契りを結んだそうよ。でも南方で戦死され、師匠は独り身で三味線を教え、未だにその方の菩提を弔ってらっゃるの!それをなんて言い草!『芸が女を支える』と書くから芸妓なわけで、それを貫き、気高く生きる師匠によくも!」。
同時代を生きた女として、母の憤りたるや、とても尋常なものではなかった。
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野球拳をメジャーにしたのは・・
やっぱり、コント55号ではないでしょうか?
ドキドキしながらテレビを観ていたもんですぅ⤴
子供の頃からスケベだったんですぅ⤴
やっぱ!ハナ垂れ小僧でも男だねぇ!
*私の前頭部の髪が無くなったのは放射能で汚染された雨にうたれたからか~ぁ⤴
じゃ~ぁ⤴仕方がない!(涙)
ありましたねぇ、どこぞかの大国が原爆実験をして、その放射能を含んだ雨が日本上空にやって来るとかで、帽子をかぶるよう先生に言われたものでしたねぇ。
ほらねぇ、先生の言うことを聞かないから、落ち武者ヘアーになっちゃって!
お久しぶりです。
特にお伝えする事も無く、一ヶ月に一度の登場も危うい(^_^;) 強いて言えば、ワクチン2回目接種も完了した事くらいですかねぇ。
花街やお妾さんと言う言葉を知ってるなんて、オカダさんの周りにはおませな子がいたんですねぇ(笑)
だってそんな言葉が、現役だった時代の子どもだったんですもの。
当時その場に居たら 私もお母様と同じように言ってたでしょうね。
って言うか この間 言っちゃいました。
薬局で買い物を済ませ車に戻ると 隣の車から3,4歳の女の子が降りて来て 両手でドアを閉めウロウロ…。
近くの車がバックしてきたので「危ないよ」と静止させ 様子を伺うと他に誰もいない様子。どうやら 車に女の子一人残して親御さんは買い物中…。無風の中 エンジンがかかってなくて 窓が開いてるだけ。かなりの暑さ。「暑かったね〜」と言うと両手を広げてきたので 抱っこして店内へ。「この子の親御さんいらっしゃいますか〜?」と言うと おばあちゃんらしき人が「あっ!どうして出て来ちゃったの⁈」と叱るように大声で叫んできたので 「不安だから!めっちゃ暑いからでしょ!」と言い返すと無言に…。「何事もなくて良かったです」と付け加えたら「ありがとうございました」と。
最近 身近なところで不運な事があったりしたので どうしようもなく苛立ってしまいました。
毎年猛暑の頃は、そんな痛々しい事件なのか事故なのか、それともただの不注意なのか、子どもたちの犠牲が繰り返されますものねぇ。
ついうっかりじゃ済まされませんよねぇ。