平成の世は、その場の空気が読めない者を、「KY」と囃した。
しかし昭和の半ばは、それさえ逆手に取る強者が、掃いて捨てるほどいたものだ。
「あの人、お父ちゃんの戦友なんやて。昼時にいきなりやって来て、そのままずけずけと上り込んでまったんや。その上、お母ちゃんの昼ご飯まで平らげて。『主人は仕事で、今夜は遅くなりますよ』って、何度言ってもあかん。はよう帰って来てくれんやろか。もう夕飯時やし」。
夕暮れまで道草し、慌てて帰って見れば、見ず知らずのオッチャンが茶の間に居座り、バカ笑いでテレビを占領しているではないか。
「でもこの逆さ箒しとけば、じきに帰ってくわ」。
母は襖の裏側に、座敷箒を逆に立て掛けた。

箒の先に、日本手拭の頬っ被りまでかぶせて。
ところがオッチャンは、一向にお構いなし。
ちゃっかり晩飯まで平らげ、熱燗まで所望する厚かましさ。
母の堪忍袋の緒も、もはやこれまでかという矢先。
オッチャンは気を察したのか、重い腰を上げ我が家を辞して行った。
帰りの汽車賃が無いから、工面して欲しいと、口八丁で母を拝み倒して。
父の帰宅を待って母が問いただすと、「そんな名の戦友なんて、わしの部隊じゃ聞いたこともないぞ」と。
しっかりものを自負した母が、寸借詐欺に見舞われ、その落胆ぶりたるや。
「ついに箒神さんにも見放されたか。きっとこないだ、うっかり神聖な箒を跨いでまったでやわ。箒神さん、ゴメンナサイ。どうかお許しください」と、母は箒に向かい柏手を打ち、深々と頭を垂れた。
万物に神が宿ると信じ、決して疑う事を知らなかった母。
その姿がぼくには、どうにも小さく見えて仕方なかった。
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私も昔 逆さ箒を置いた事があります。
でも 相手が私より若かったせいか全く反応無し(笑) 。知らないですよね〜。
神が宿る…とまでは思ってないですが 最近 何かにつけて「ありがとう」と呟いてます。お湯が沸いたら やかんに向かって「ありがとう」とか 料理が出来たら「はい!ありがとう」って。
もしかしたら 自分自身に言ってるのかも知れませんね( ◠‿◠ )
「ありがとう」の一言は、自分も相手も心が解れだす、魔法の言葉ですものねぇ。
大切にしなくっちゃ!
昭和の時代
アナログ詐欺師!
今じゃ~⤴顔を見せないで「オレオレ」
デジタル詐欺師!
今も昔も詐欺師と言う者は言葉巧みに人を騙す、手口は一緒ですねぇ!
私なんぞ正直者でこの歳まで、人に騙されても人を騙した事はありません!
けどさ~ぁ⤴たまに嘘つくけどねぇ!
デェヘェ⤴(^_-)-☆
思い返してみるとぼくの人生、何度も騙されたことがあったものです。
でもそこに立ち止まってばかりいちゃ前に進めませんから、「まっ、いいかぁ」ってなもんで、その都度歩き出したものです。
きっとこれからも!
人の優しさに付け込む人や、あれやこれやの手口で後を立たない特殊詐欺。お金は勿論、人の心をも傷つけている事を分かっているのでしょうかねぇ٩(๑`^´๑)۶
絶対に天罰が下るって、ぼくはそう念じています。
逆さ箒、小津安二郎の映画「お早う」で杉村春子がこれをやっていて、何のことかわからなかった覚えがあります。後になって、「ああ!」と頷きました。今は箒がなかなかないので、掃除機を逆さまに?
ええええっ、それってダイソンってことですか?