昭和がらくた文庫10話(2011.10.27新聞掲載)~「母の祝日」

1年365日の大半が、母の祝日だった。

と言うと、まるで怠け者かと思いきや、それがどっこい正反対。

寸暇も惜しみ、身を粉にして働く、筋金入りの戦中派女だった。

だから享年64という、今にして思えば、まだまだこれからという歳で、永久(とわ)(いとま)を乞うたのか。

では何故母の祝日が、人より多いと気付いたのか?

それは母の野辺送りを済ませ、遺品整理の真っ只中でのこと。

冷蔵庫と食器棚の隙間から、壁掛け用のカレンダーが現れた。

埃塗れの古惚けた12枚綴り。

何気なく表紙を捲ると、日付が丸で囲まれ、癖のある母の細かい文字が、びっしり書き込まれているではないか。

写真は参考

5年前、愛犬を貰い受けた日。

2年前、父の基本給が微増した日。

6年前、月賦で洗濯機を購入した日。

といった調子で。

「お母さん、まだ寝んの?」。

「あんたは先に寝とりなさい。お母さんは除夜の鐘聴きながら、こうしてカレンダーに我が家の記念日を、1年分書き写してから休ませてまうで。それが年に一度の楽しみやし。毎年毎年、我が家の記念日が、また一つまた一つと増えてくんやで、幸せなことやて」。

写真は参考

不意に子どもの頃の、母の言葉が甦った。

国民の祝日さえも返上し、家族の世話に明け暮れ続けた母。

「いっぺんでええわ。一日中、上げ膳据え膳で過ごさせてまいたいなあ」、の口癖を残し早々(はやばや)と鬼籍に入った。

家族の歴史が刻まれた1年分の暦。

他人にとっては値打ちが無くとも、母にしてみれば、どれも価千金の祝日だったに違いない。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「昭和がらくた文庫10話(2011.10.27新聞掲載)~「母の祝日」」への6件のフィードバック

  1. 専業主婦の方は1年365日
    祝祭日がなくて家族の為に日夜働いているし残業代なんて無いし!
    ある意味サラリーマンよりも大変な仕事だと思います。
    私が総理大臣になった暁には
    月に一度「主婦の日」を作って日本全国の主婦の方に
    オカダさんのほろ酔いライブに参加にて
    ホッと一息して頂きたいと思います。
    そんな私にどうか清き1票を・・・・!

    1. 清き一票も、汚らわしき一票にせよ、ぼくはもちろん投票させていただきます。
      政党名はやっぱり、戦国落ち武者党でしょうかねぇ。

  2. 予定を書き込めるカレンダーが好き⤴️忘れないように、日付けの下に時間や場所を書いておきます。ついうっかりって事があるでしょ。最近は特に(汗)

    1. ぼくも大きなカレンダーに、その日その日の予定を書き込んでいます。
      スマホのカレンダーには、どうにも馴染めない昭和のオッサンですから。

  3. 素敵です ( ◠‿◠ )
    きっと笑みを浮かべながら カレンダーに書き写してらしたんでしょうね⁈
    誰かに話すわけでもなく 大袈裟にするわけでもなく ただ々 お母様にとっての幸せの日記のような感じだったのかも。

    1. ぼくもそう思います。
      えっって言う程、小さな出来事であったにせよ、一家を切り盛りする母にとっては、断じて忘れてはならない大切な記念日だった気がします。

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