昭和がらくた文庫1話(2011.2.17新聞掲載)~「日本初、美濃電女性車掌」

♪汽笛一声新橋を♪

とは、のちの世で謳われた鉄道唱歌。

それも明治5(1872)年9月12日(グレゴレオ暦10月 14日)、新橋―横浜間の日本初の鉄道が開通したればこその賜物である。

参考

当時、新橋―横浜間の所要時間は、約1時間。

現在の2倍以上を要した勘定だったとか。

それから時代を下ること約半世紀。

大正7(1918)年4月18日。

岐阜県の美濃電気軌道(通称/美濃電)に、日本初の女性車掌が登場したというではないか!

写真は参考

しかも元号が大正に改まったとは言え、まだまだ男尊女卑の風潮を色濃く残す時代に。

いやはや天晴れ!美濃電。

写真は参考

つまり昭和61(1986)年施行の男女雇用機会均等法より半世紀以上も前に、美濃電ではいち早く女性車掌の導入に踏み切り、全国の鉄道会社に先鞭をつけていたのだ。

♪私は東京のバスガール発車オーライ♪

コロムビア・ローズの歌でお馴染みの「東京のバスガール」は、はとバスのガイドさんがモデルとか。

その元祖の誕生は、東京青バスが全国初として、バスガール25名を採用した大正9年のこと。

写真は参考

美濃電の女性車掌誕生より、遅れること2年。

しかしこうした女性登用の裏には、避けて通れぬ時代背景もあったそうだ。

美濃電の女性車掌誕生の年には、第一次世界大戦が終結。

国土が戦火に塗れなかった日本は、大戦景気に沸き、乗務員が不足。

その解消手段が、女性車掌の登用だったのだ。

しかし、とは言え日本初の女性車掌導入が、岐阜県の美濃電であった事と、それが女性の地位向上に一役買ったと言う史実も、岐阜県の誇りの一つとして、決して忘れてはならぬ。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「昭和がらくた文庫1話(2011.2.17新聞掲載)~「日本初、美濃電女性車掌」」への4件のフィードバック

  1. へ~~ぇ⤴
    日本初の女性車掌さんが美濃電だったとは・・
    岐阜も中々やるじゃん!
    でもさ~ぁ⤴
    美濃町線とか岐阜バスに乗って何処かへ行った記憶がありません!
    子供の頃は乗り物酔いが酷くて、長距離はとてもとてもムリだったと思います。
    ま~ぁ⤴子供の頃から繊細だったんだな~ぁ!

    1. ぼくは一度だけ取材のため、徹明町から美濃町線で関まで行ったことがあります。
      良いものでしたねぇ。
      やっぱりぼくは乗り鉄のようです。

  2. 何事も ” 初 ” というのは 凄い事ですよね。まして その当時に女性 の車掌さんなんですから。
    その世界に飛び込んだ勇気にあっぱれです。同じ女性として。
    きっと凛とした方々だったんでしょうね〜( ◠‿◠ )

    1. 何事も未知なる分野に挑戦するってぇのは、男女ともに勇気のいる事だったでしょうねぇ。
      周りの者の目とかも気になったりして。

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