今日の「天職人」は、三重県桑名市の「鉱泉職人」。(平成23年9月17日毎日新聞掲載)
風呂屋通いの愉しみは 痺れるような電気風呂 父の真似して浪花節 唸り声まで震え出す 湯気の向うの女湯で 「もう出るよ」っと母の声 腰に手を当て一気飲み ちょいと値の張るスマックを
三重県桑名市で大正2(1913)年創業の鈴木鉱泉。三代目主の鈴木武さんを訪ねた。

昭和40年代のなかば。
銭湯の番台横には、前面ガラスの引き戸になった冷蔵庫が、デーンと居座っていた。
子どもたちは風呂を上ると真っ裸のまま駆け寄り、物欲しそうな顔で清涼飲料水の瓶を眺めたものだ。
中でもメロン色の瓶入りクリームソーダ、スマックが王様だった。

「そんなんゆうてもらうと、嬉しいな。まあ、一本どうぞ」。武さんが懐かしげに笑った。
武さんは同市の辻家で3男坊として昭和9(1934)年に誕生。
大学を出ると名古屋の会社に就職。
昭和36年、遠縁の紹介で鈴木家の一人娘、公子さんと結ばれ婿入り。
やがて二男一女を授かった。
「あの頃はここらにも、ラムネ屋が43軒もありましたんやに。木箱に籾殻敷いて、ラムネやジュースを詰め、三輪車で多度までジャリ道をゆくんやで。途中でポンポン割れてもうてな」。
翌年、アメリカから上陸したコカコーラのCMが、お茶の間を席捲。
「こっちはラムネにニッキ水やらミルクコーヒーの時代。相手はバンバン『スカッとさわやか』って宣伝して、イメージで売ってくんやで。ラムネ屋なんか竹槍持って、B-29に挑みかかるみたいなもんやさ」。
日に日に疲弊する一方の、中小零細の鉱泉メーカー。
それを見かねた名古屋の取引先である香料会社から、あるアイデアが持ち掛けられた。
「『喫茶店のメロン色したクリームソーダを、どこででも飲めるようにしたらどないやろ』と。それで名古屋の2社と、私とこの3社が寄り集まって共同戦線や。うちとこは製造技術を担当し、脱脂練乳が固まらんように酸とのバランスを工夫して」。
ついに昭和43年、スマックが発売された。

スマックは、硬度40以下の軟水に、脱脂練乳、上白糖、クエン酸、リンゴ果汁、生ぶどう酒(ノンアルコール)、蜂蜜を混ぜ合わせ、炭酸水を入れれば出来上がり。
「生ぶどう酒は、ミルクを丸く包んでくれるし、何よりコク付けのためやさ」。
「発売前は3人で、毎晩真夜中まで商品名を考えたもんや」。
SmackのSmはスキムミルクのSとm。
aはアシッド(酸)。
Cはカーボネート(炭酸塩)。
Kはキープ。
その頭文字を取り命名。
「ラムネ屋初の、セスナで空中飛行宣伝までして。配達するトラックは、コカコーラのお下がりをスマックと書き換えて」。
80年代後半のピーク時には、全国45府県で販売された。
「人と人の縁が紡いだ、3人の3本の矢は折れやん。でも東京はあかなんだ。名古屋生まれのスマックなんかと見下され」。
やがてスーパーの乱立や、自動販売機の普及に押され、店頭で冷やして売る一本売りは衰退。
「今作っとるのは、うちとことあと一軒だけや」。
武さんは空瓶を覗き込んだ。
溢れんばかりの思い出が、瓶の底に詰め込まれてでもいるかのように。
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オカダさんは この『スマック』飲んだ事あるんですよね⁈
ちょっぴり甘いの?
クリームソーダの上にのってるアイスクリームとソーダを混ぜ合わせたような味かな?
クリームソーダを初めて見た時は ホントに感激したのを覚えてます( ◠‿◠ )
ぼくがまだ小学校低学年だった銭湯通いの頃は、お風呂上がりのスマックなんて、盆と正月が一緒に来たような、それはそれは贅沢な逸品で大好きでしたぁ❕
クリームソーダのアイスクリームを沈めてアワアワになり「キャァ〰!!」って焦った事なぁい。あの泡は好きじゃなかったけど、プッハァには泡が大事⤴️
そうそう!
泡泡のないビールなんて!!!
スマック?
うん⤴あったような?なかったような?
オカダさんの言われるように、銭湯に行っても
牛乳とかコーヒー牛乳なんて飲ませてもらえなかった。
確か?フルーツ牛乳一回だけ飲んだことがある気がする?
勿論!腰に腕あてて飲んだよ!
美味しかった!
大人になってから、飲んだけどあの懐かしい味は変わらなかった。
わかるぅ❕
やっぱりなんだかんだ言ったって、昭和生まれですものねぇ❕
☆スマック☆ いいな〜 美味しそう
メロン味の綺麗な色のジュース 私が行ってた銭湯には無かったんゃないかな?
私はりんごジュースとフルーツ牛乳と、どっちにしようかな〜? って 迷っていました ( ◜‿◝ )♡
ムシムシ 暑くなってきたので、我が家の冷蔵庫には カルピスソーダと炭酸飲料が並んでいます❣
モチロン 泡が命のビールも ( ˘ ³˘)♥
ぼくん家の冷蔵庫には、キリン端麗グリーン360mlが常時12缶は冷やされていますねぇ。
これが夏を乗り切る命ですから!
スマック、近所の駄菓子屋にありました!よく飲んでいましたよー!
もともと、クリームソーダは、当時憧れの飲み物で、小二の時行った大阪万博で初めて本物にお目にかかりました!{本物の高木ともふみが、本物のクリソに遭遇!}スマックはお手軽にクリソを味わえる飲み物でしたねえ!この飲み物は各地にあったのでは?有名なのは九州のスコールではないでしょうか?
マイナーですが、土岐市駄知町のジュース屋も作っていました。
ところで、クリソはクリームソーダの略称ですが、間違っても「クソダ」はいけません!
なるほどなるほど、最近の若者の様にうっかり略語にすると、大変なイメージ違いの言葉になっちゃいますねぇ。
「天職一芸〜あの日のpoem434」
「鉱泉職人」
夏休みの始まる頃に届くのはビンに入った三ツ矢サイダーでした。
ファンタの時には
ファンタのビンの側面下に▲が付いていると辛いとか⚫︎だと甘いとか
言ってました。シュワシュワしたのが大好きでした。
「ファンタのビンの側面下に▲が付いていると辛いとか⚫︎だと甘いとか」ってぇ都市伝説、ぼくはまったく知りませんでしたねぇ。
でも子どもの頃って、そんな実しやかな仮説を立てて遊んだものでしたぁ。
umepyonさん、初めまして! 〇・△の印、ありました。都市伝説だったんでしょうかね?
それから、今はなき「ミリンダ」が当時はありましたね。{ペプシ版ファンタ}どっちだったか忘れましたが、栓の裏ブタをめくると金額が書いてあって、その場で換金してくれたのも思い出です。確か、最高500円だったような、、、。