今日の「天職人」は、三重県伊賀市の「アドバルーン職人」。(平成23年8月27日毎日新聞掲載)
先着粗品見比べて 母はチラシと睨めっこ 空に三ヶ所アドバルーン 段取り組んでチャリを漕ぐ 値の張りそうな粗品から 順に三軒店巡り ぼくまで列に並ばされ 他人の振りで頭数
三重県伊賀市で昭和39(1964)年創業の中部アド。アドバルーン職人の田中博さんを訪ねた。

昭和11(1936)年、2月29日。
世に言う二・二六事件の最後の日である。
反乱兵に向け、一本のアドバルーンが揚がった。

そこには「勅命下る 軍旗に手向かふな」の文字が。

「その歴史に残るアドバルーンを、反乱兵から狙撃されそうになりながらも、必死に揚げたのが、先輩の池田さんですんさ。私はその池田さんから、アドバルーンの揚げ方を教わりましてな」。
博さんは昭和8年、2人兄弟の長男として誕生。
昭和26年、東京の大学へと入学。
「学校の掲示板に、アドバルーン屋のアルバイト募集が、貼り出されてましてな。大正10(1921)年に日本で一番最初のアドバルーンに、縦文字の垂れ幕広告を付けたのが水野勝蔵。その人の銀星アド社で、日給450円のバイトを始めましたんさ」。
学業どころか、バイトに追われる毎日が続いた。
「今のように東京もまだ、高層ビルとかありませんでしたで、手っ取り早い広告ゆうたら、空にぽっかり浮かぶアドバルーンばっかり」。

昭和29年、ついに大学を中退し、そのまま銀星アド社に入社。
「もうその頃は、ほとんど私がアドバルーン作りしてましたでな」。
昭和38年、郷里からヨシ子さんを妻に迎え、やがて2男を授かった。
翌年社を辞し、郷里で中部銀星アド社を設立。
「まあ、暖簾分けみたいなもんですやろ。ここでアドバルーン作っては、銀星の本社に収めたり、名古屋や大阪の業者に業販してましたんさ」。
丸い大きな風船状のアドバルーンも、時代を下るにつれ、様々な意匠をこらすようになった。
「だんだんと暮らしもようなって来て、アドバルーンも他所より目立たせろゆうて。巨大なゴジラやサンタクロース、カルガリー五輪の時なんか、ロッキー山脈まで」。

変形物製作の第一人者として、海外や全国各地からも注文が押し寄せた。
「今とちごて昔は、揚げる場所にも不自由せんかったし。昭和40年代の最盛期には、1日に250ヶ所も揚げたもんですに。それが今では、週末にポツポツッとあるくらいやさ」。
変形物のアドバルーン製作は、まず意匠に合わせて粘土で縮小模型を製作。
その粘土型に薄紙を貼り、それを剥がして拡大し、部分ごとに型を起こす。
そして塩化ビニール製の生地の上に型紙を載せ裁断。
ビニール同士の糊代に溶剤塗り、鏝を当てて溶かすように接着。
大きな龍などは、頭だけで長さ11㍍、直径2㍍、全長120㍍にも及ぶ。

「この複雑な変形物に、何立米のヘリウムが入るか?その面倒くさい算出には、父が編み出した計算式が役にたちますんさ。コンピュータもまだ無い時代に、平面図を三次元に展開して考えたんやで、大したもんですわ」。
二代目を継ぐ次男の穣さんが、傍らの父を頼もしそうに見つめた。
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アドバルーン
懐かしいね~ぇ
昭和30年代には、ビルなんて少なかったんで・・
我が家はから、丸物百貨店、新岐阜百貨店、山勝百貨店、
アドバルーンがよく見えたもんです。
岐阜市民の方はどれもこれも懐かしいね~ぇ⤴
アドバルーンの垂れ幕には「大売出し!」やら、「本日開店」なんぞの文字が揺れてましたよねぇ。
子供の頃は、家の近くでも良く揚がってましたよ。新しくお店が出来た時や、セールの垂れ幕⤴️今でもアドバルーンを揚げてる所ってあるのかしら。見付けたら興奮しちゃうよねぇ⤴️⤴️
高層ビルが林立する前は、アドバルーンが揚がって、セスナの宣伝飛行もありましたものねぇ。
「天職一芸〜あの日のpoem 431」
「アドバルーン職人」
青空を見上げて 自然に笑顔になっています。紅白のアドバル〜ンがとても懐かしいですね。お客様のご要望で進化していったとは青色の忍者姿にみょうに親近感を覚える今日この頃です。とほほ
もう最近では、大空にポッカリ浮かぶアドバルーンを見かけませんよねぇ。
ブログを読んで アドバルーンを見かけなくなった事に気がつきました。
言われてみれば…。
昔 アドバルーンを見つけると 一体どこからあげられてるんだろう?と気になって仕方がなかった記憶があります(笑)
セスナの宣伝飛行は まだ時々日曜日の午前中に見かけますよ。
『 宝石の八神』ってね!( ◠‿◠ )
セスナの宣伝飛行も、昔の様に交通量が少なかったり、高層ビルが林立していなかった頃は、街の喧騒に掻き消されず宣伝の案内放送も聞き取れましたが、今のこのノイジーな街中じゃ、何を言ってるのかさっぱり聞こえない気がします。