「天職一芸~あの日のPoem 426」

今日の「天職人」は、愛知県豊橋市西羽田町の「帆前掛ほまえかけ型彫師」。(平成23年7月16日毎日新聞掲載)

母の手伝い酒屋まで 篭に空き瓶ぶら提げて           酔いもせぬのに千鳥足 陽炎揺れる炎天下           「暑かったろ」とオッチャンが 盥のラムネ取り上げて     「駄賃代わりや飲んでゆけ」 濡れた瓶拭く帆前掛け

愛知県豊橋市西羽田町で昭和8(1933)年創業の山佐染工所。58年(平成23年7月16日時点)勤務し勤務し、いまだ現役で帆前掛けの型彫りを続ける伊藤一士ひとしさんを訪ねた。

愛知県の東都、豊橋市。

昭和40年代まで、生糸に玉糸、がら紡と、糸の町として全国に知られた。

その名残の一つが帆前掛けである。

和船の帆にも用いられた、丈夫な帆布を藍染し、清酒名やその意匠を白く染め抜いたものだ。

写真は参考

「丈夫な前掛けだで、酒の入った木箱の角を、腿に宛がって積み下ろししたって、ズボンを傷めたりせんだあ」。一士さんである。

「わしの座右の銘は、『生涯修業』に『臨終定年』だで」。

一士さんは昭和4(1929)年、3人兄弟の長男として誕生。

尋常高等小学校を出ると豊川の海軍工廠へ。

「ちょうど豊川空襲のあった8月7日は、10日続きの夜勤明けじゃって、外出許可をもらって出かけとっただ。そしたら空襲警報が鳴り出すもんで、慌てて牛久保駅の防空壕へ駆け込んだだて」。

終戦後、製綿所へ6年勤務。

その後昭和28年に、山佐染工所へ入社した。

「元々手仕事が好きで、子どもの頃から切り絵とかもやっとっただ」。

同年、製綿所の綿工だった寛子さん(故人)と結ばれ、一男一女を授かった。

やがて時代は高度成長期へ。

大手酒造メーカーからの注文に追われる日々が続いた。

昭和39年、東京五輪が開幕。

その年一士さんは、35歳の若さで工場長に抜擢された。

「あの頃は、まだ先代の親方が型彫りしとっただ」。

昭和54年、50歳になってやっと型彫りを任された。

「染めの工程を全部知らな、型は彫れんらあ。50歳にしてやっと、子どもの頃の切り絵が役に立っただて」。

以来、一士さんは32年に渡り、(ほり)()(彫刻刀)を揮い続ける。

型彫りの準備作業は、まず施主の要望する意匠を、型紙に黒インクで描き起こす作業から。

「昔は伊勢型紙ばっかだったけど、もう今はどこでも近代的な型紙だらあ」。

そして切り絵の要領で彫刀を入れ、白く染め抜く図柄を彫り進める。

「型紙を彫り上げたら、網目の(しゃ)を漆で貼り付けるだ」。

織り屋から仕入れたばかりの白生地を煮て、表裏に型を当て糊引き。

その上から川砂を被せ、硫化釜へ5分ほどドブ浸け。

藍に染まると布地を広げ、空気に触れさせ藍の発色を促す。

そして水洗いで砂と糊を洗い落とし、天日で丸1日乾燥。

写真は参考

「後は、帆前掛け専門の紐屋で織った紐を縫い付ければ出来上がるだ」。

果てしなく深い藍色に、純白に浮かび上がる意匠。

手染めの癖を知り抜いた彫師だからこそ、染め際の彫刀捌きが際立つ。

写真は参考

一士さんの顔の色艶は、御歳82にはとうてい見えぬ。

秘訣を問うて見た。

「平成13年に女房に先立たれてまっただ。それで寂しさ紛らわそと、元々酒好きだで飲みに行っとったじゃん。そしたら店の板前と友達になって、気が付いたらその母親と恋仲になっとっただ」と。

八十路の万年青年の頬が、一際赤らんだ。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 426」」への10件のフィードバック

  1. 昔は、八百屋へ行くと、店のオジサンがこんな前掛けをしてました。
    そう言えば八百屋ってこの辺では見なくなりました。
    ハナ垂れっちの頃には町内に、八百屋があったけど
    小学校の頃には「主婦の店」なんてスーパーが開店して
    やがて八百屋も姿を消して行ったような気がします。
    でもさぁ~⤴地元の八百屋ってイイよねぇ
    近所の人と、何でもない与太話で盛り上がる!
    そんな時代は遠い昔になりました。
    いつかオカダさんと与太話で盛り上がりたいもんです。

    1. 古典落語の常連、そそっかしくって愚か者の「与太郎」を真似て、何でもない他愛ない話をマスク無しで止めどなく話して、そして騒いでプッハァ!
      早くそんな何でもない、ちょっと前の日常が戻って来てくれますように!

  2. 近所の酒屋、八百屋のおじさんが、前掛けをしてましたが、ちゃんと『帆前掛け』って言う名前があったのですね。
    みんな年季が入ってたなぁ⤴️

    1. 帆掛け船の帆にするくらい丈夫な生地だから、それこそ一生モノの前掛けですよねぇ。

  3. 「天職一芸〜あの日のpoem 426」
    「帆前掛け型彫師」
    「 」から天職を導き出すのも好きな楽しみのひとつです。けれども 今日は難しかったです
    藍色に惹かれますね。

  4. 小さい頃 よく行ってたお米屋さんのお兄さんが この帆前掛けを着けてました。背が高くて細身で。なんだか懐かしい。
    でも先日 ワークマンで見かけたんですよ。一瞬「えっ?」って思って エプロンをかき分けて暫く見ちゃいました(笑)
    酒屋さんがあるから 帆前掛けが販売されてるのも当たり前なんですけどね( ◠‿◠ )

    1. もうお爺ちゃんやらお婆ちゃんの心を、鷲掴みに違いありませんって!

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