「天職一芸~あの日のPoem 422」

今日の「天職人」は、三重県松阪市大黒田町の「ニット編み職人」。(平成23年6月18日毎日新聞掲載)

古びたセーター糸解き 腕でかせくりお手伝い          母は毛糸を玉にして 魔法の編み機をシャーシャーと       どんな仕掛けかわからんが 母はハンドル右左          するとたちまち摩訶不思議 メリヤス編みが顔を出す

三重県松阪市大黒田町、昭和40(1965)年創業の山本ニット。創業者の山本佐子さこさんを訪ねた。

「タバコの火で穴の開いた、お父ちゃんのあのみすぼらしいセーターも、ほれっ、あんたのトックリに早代わりや」。

昭和も半ばの頃。

母は月賦で手に入れた、念願の編み機でセーターやマフラー、それに腹巻までも編み上げたものだ。

父と自分の、昔のセーターを解いては継ぎ足し。

「私らかてそうでしたんさ。物の無い時代でしたやろ。姉のお古で作り直したり。でも物の無いのが幸いして、自分でなとかするしかないで、逆にお洒落心の灯も点いたんやさ」。妃佐子さんは華やかな花柄のニットが、とてもお似合いだ。

「思い切って華やかなもんを身に着けると、気持ちまで明るうなりますやろ」。

妃佐子さんは昭和7(1932)年、大阪の高畑家で6人兄妹の次女として誕生。

戦時中、父の実家があった松阪市飯南町に疎開。

終戦後一旦大阪へと戻ったものの、昭和21年に家族で飯南町へと移り住んだ。

翌年中学を出ると、材木屋で事務員として勤務。

そこで巡り会ったのが、終世連れ添う山本修吾さんだった。

「主人の兄がその材木屋をしてましたんさ」。

昭和24年材木屋を辞し、大阪の服飾専門学校へ。

「ちょうど両親も大阪へ戻ってましたし、服飾の勉強がしとて」。

やがて修吾さんとの遠距離恋愛が実り昭和29年に結婚。一男一女を授かった。

昭和40年、子育ての忙しさからやっと手が放れた頃だった。

「主人は材木の本業以外にも、とにかく商売が好きで。大阪の親類がベビー用のニット製造をしとったもんで、今度はそれやって。私が親類からなろ(習っ)て、近所の人らにパートしてもうて」。

妃佐子さんの山本ニットが産声を上げた。

「最初の頃は手横機(ニット編み機)が5~6台で、立ったまま作業してました」。

しかしベビー服では、加工賃が少なく成り立たず、やがて婦人物へ。

「徐々に機械化の波が押し寄せて来ましてな」。

昭和45年には半自動、昭和後期には全自動へ。

「昔は1インチ(約2.5センチ)に3本の3ゲージでしたんさ。ところがどんどん針目の数も細こうなって、今しは14~18ゲージですんさ」。

ゲージが細かくなるほど、技術力も要求される。

「熟れて来ると、自然と指先が覚えますんさ」。

ニット編みは、デザインに応じパターンを引く作業から始まる。

次に型紙を起こし、身ごろなら身ごろだけ7着分ほど積み、型紙を当て裁断機で裁つ。

それをミシン掛けし、首周りや袖周りをリンキング(専用ミシンで縫う)。

最後にネームタグを付け、プレスすれば完成。

「ニットは夏暑いと思われがちやけど、化繊のブラウスなんかより風も通すで涼しいもんやさ」。

周りから『素敵ね』と言われる度、人は誰でも簡単に若返る。

妃佐子さんはそう言って笑った。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 422」」への10件のフィードバック

  1. 「天職一芸〜あの日のpoem422」
    「ニット編み職人」
    今の時代だと苦情が来そうですけど家庭用編み機の「シャーシャーシャー」の音も懐かしいですね。
    若い頃に家から「シャーシャーシャー」の音がするからと隣のおばさんが昔お店から注文を受けていた母の「シャーシャーシャー」を思い出して「編んでほしい」と頼まれたけれど「私のは趣味なので」と丁重にお断りをした事を思い出します。
    そしていつのまにか「袖はこんな感じで」と2着編んだ所で前のおばさんから
    「この毛糸で」と頼まれた時は
    それこそゲージの話からして
    説明して編みました。大変、長くなりましたけれど懐かしいです。

    1. 家のお母ちゃんも、お父ちゃんとお母ちゃんの古惚けたセーターを解いて、ぼくに両腕を直角に突き出させかせくり台の代わりをさせられたものです。
      そして月賦で買ったお母ちゃん自慢の編み機をシャーシャー言わせて、2トーンカラーのセーターに編みなおしてくれたものでした。
      そりゃあもう温かかったものです。
      でもお父ちゃんの毛糸からは、タバコの匂いがしたのを覚えています。

  2. OL時代に、ほんの少しだけ編み機を習った事があります。シャーシャー懐かしい。

    1. ぼくもお母ちゃんの編み機をシャーシャーやらせて欲しくって欲しくって・・・!
      でも「危ない」だのなんだのって、一切触らせてもらえなかったものです。

  3. シャ~シャ~!
    確かに何処かで?聞いた事があるけど
    はて?どこだろうか?
    でも!我が家ではないなぁ~⤴
    「You Tube」で
    編み機の商品名「あみむめも」の動画を見たけど
    なんか?面白そうで、やりたくなった。
    けどねぇ!セーターってあまり着ないから・・
    オカダさんにプレゼントしても良いけど
    オッサンの編んだセーターって
    どぉ~?気持ち悪いよねぇ!

    1. オッサンから手編みのセーターなんていただこうものなら、全身鳥肌が立って、思わず「コケーッコッコ」と鳴きそうですねぇ。
      ああ、考えただけでも悍ましい!

  4. やはり懐かしいです。
    母がお買い物に出ている間に
    編み機に近寄りすぎて 着ていた毛糸の服が編み機に引っかかって 身動きが取れなくなってしまい 母が帰って来た時には姉も隣に座っていっしょになって泣いていたそうです。知らずに近寄ると危なかったからかもしれないですね。

  5. 昔 手芸店に通っている時に 編み機で作品を作っている姿に憧れたものです。
    でも私は もっぱら手編み専門。
    かぎ針編みや棒編みで セーターやマフラーや帽子など。
    好きな人にプレゼントしたこともあったっけ…(ウフフ)
    手紙を書く時みたいに 贈る相手の事を考えたり 出来上がっていく作品を楽しみにしたりして 集中出来る素敵な時間でしたよ( ◠‿◠ )

    1. 一編み一編みに想いを込めて、まるで手書きの手紙のようで、心が伝わるってもんですねぇ。
      プレゼントされた方が何とも羨ましい!

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