今日の「天職人」は、岐阜市本町の「納豆職人」。(平成23年5月21日毎日新聞掲載)
朝の食卓カツカツと 小鉢掻き混ぜ糸伸ばし どっちが勝つかいざ勝負 父と競った糸納豆 嫁に来た日が忘られん 「おおい、納豆」と呼ばはるで 甘納豆を差し出せば 醤油垂らしてめしの上
岐阜市本町の三角屋貝﨑商店、納豆職人の貝﨑浩一さんを訪ねた。

鹿児島出身の母にとって納豆と言えば、それは取りも直さず、甘納豆を指したのだろう。
昭和半ばに、所帯を持って間もない新婚当初。
朝餉に父が納豆を所望し、母は何の疑いも抱かず、小鉢に甘納豆を盛って差し出した。
すると極度の近視である父が、甘納豆の上から醤油を垂らし、箸で掻き混ぜご飯の上に掛け、そのまま掻き込んだという。
さすがに母は、父の味覚を疑ったそうだ。
それ以来、倹しい食卓に糸引き納豆が登場するたび、母は新婚当初の「納豆取り違え騒動」話しを持ち出し、一人で笑いこけたものだ。
「関西より西では、納豆と言えばやっぱり甘納豆。それに対し中部辺りから東は、東京式の糸引き納豆やね。家が納豆屋を始めたのは、昭和も初め。もともと家の三角屋の創業は、寛永元(1624)年やで、あと10年ちょっとで400年やわ。今の私で14代目。納豆屋を始めたのは、11代目の曽祖父の時代やて。屋号の由来は、ちょうど三叉路の角にあったで三角屋とか。もっとも400年の間には、何度も商売換えもしたようで、鍛冶屋に八百屋、呉服屋やったりと」。
「『岐阜は海が無いのに、なんで家の苗字は、貝の﨑なんやろ。信長公が開いた楽市楽座の頃に、海辺の村から一旗揚げよと、この地にやって来たんやろか』とか。とにかくご先祖さんの由来に、もの凄く浪漫を感じるんやて」。
浩一さんは昭和32(1957)年、3人兄弟の長男として誕生。
大学を出ると、京都の納豆屋で住み込みの修業へ。
2年後帰郷し家業を継いだ。
「京都も岐阜も、気象条件はよう似たもん。納豆は生き物やけど、京都で学んだこととそれほど違わんし、戸惑いなんてなかった。せいぜい違いは、発酵室くらいのもん」。
三角屋の納豆作りは、清流長良川が運んだ伏流水に、大豆を一晩浸す作業から。

そして翌日蒸し上げ、噴霧器を使って納豆菌を満遍なく噴霧。
発酵室へと移して一晩寝かせる。

翌朝、発酵室から取り出し、今度は冷蔵庫でまたゆっくり一晩寝かせる。
すると大豆は、都合3泊4日の旅を終え、全身に繭のような菌糸を纏い、地元の小売店へと出荷されてゆく。

「昔は今と違って、杉板の経木の間に、蒸し上げた大豆を入れ、蝋を引いた紙で封をして発酵させたもんやて」。
昭和60年、関市出身の紀子さんと結ばれ、二男を授かった。
「倅が中学2年のころ。『おめえ家継ぐんか?継がんなら、一筆書け』って言ったったら、畑違いの世界へ就職してまった。だで、先のことなんてわからんて」。
400年続いた家の歴史は、荒れ狂う時代に抗い、生業を転じ活路を拓いた、先祖の尊い足跡だ。
「たとえどんな商売でもええさ。倅らが、ご先祖様から託されたこの家を、守り続けてくれたら」。
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岐阜の納豆は粒かでかいのよね。それが美味しいのですがチョツとムズい時は、包丁で細かくしてネギ、梅肉、梅シソのエキスをたらり、醤油は入れない。混ぜ合わせて温かいご飯にぶっかけて混ぜ、口にほりこむ。はぁ~美味しい。
ひき割りにすればと突っ込みが入りそうだけど形の整ってるのは好きじゃない。
そうかぁ!
そこがヒロちゃんのこだわり納豆なんだねぇ。
納豆が苦手だった私から生まれた子供は納豆が大好きでした。そこで、子供の納豆を一口貰って食べてるうちに、私も食べられるようになりました。子供のお陰です(笑)
それって、食わず嫌いでらっしゃったってぇことですねぇ。
納豆ってさ~ぁ⤴
値段安くて、健康にもイイし
熱々のご飯、タマゴかけごはんの次に相性がいいねぇ~⤴
私の好きなのは「たまご醤油たれ納豆」
でもさぁ~⤴
納豆スパ、カレー納豆だとかは・・・⤵
チョット!ダメかも
あらら、納豆って色々調理出来ちゃうのに!
でもやっぱ、炊き立てご飯に卵と刻み葱を合わせた納豆って堪りませんものねぇ。
納豆なんて、子供の頃には全く知らない存在で、学生時代に食堂で初めてお目にかかりましたが、意外にイケるな、と。その後、兄が水戸に住むようになって身近かな存在になり、現在に至っていますが、岐阜県ではメジャーな存在ではないような。甘納豆はあったケド、、、。
納豆に関しては、地域差がありますものねぇ。
ぼくの家も、子どもの頃はほとんど納豆が食卓に上ったことはなかったような?
小学校の高学年頃になって、やっと納豆と言う不思議な食べ物を恐る恐る口にした気がします。
「天職一芸〜あの日のpoem 418」
「納豆職人」
岐阜で納豆が作られているとは思わなかったです。勝手に納豆といえば水戸の納豆と思っていました。
いつもは3個パックの重なった納豆ですけれども藁に包まれたのを見かけた時は美味しそうとか紙にひらたく包んであるのも 美味しそうとか 思いながら 買い求めるのも
楽しいものですね。
しかし今は色んな納豆がありますから、それぞれに面白いものですよねぇ。
でも味の違いは、微妙過ぎてぼくにゃあ難しすぎます。
小さい頃は 一枚目の写真のような納豆が食卓にあったような…。
いつからパック入りになったんだろう。
パックの底が波々になってるのは 納豆がよく混ざるようにだったり タレを入れる工夫もいろいろ。
そして味もホントにいろいろ( ◠‿◠ )
冷蔵庫には シンプルな納豆が常にあります。時々 食パンに納豆(タレ付)→トロけるチーズ→刻み海苔を乗せてトースターで焼いて食べる事も。栄養満点!
お試しあれ( ◠‿◠ )
とろけるチーズまで載せたことはありませんが、ぼくもバタートーストに刻み葱と納豆、そして辛子とお醤油で混ぜたものをのっけて食べたりしますよ。
これがまた美味い!
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