今日の「天職人」は、三重県伊賀市の「伊賀組紐織子」。(平成23年3月12日毎日新聞掲載)
町を歩けば格子から 糸をトントン叩く音 窓に面した高台で 織子は座して紐を組む 亀甲柄に乱れ菊 まるで譜面か綾書きは 両手広げて糸を繰る 伊賀の弾琴織子町
三重県伊賀市で明治末期創業の松島組紐店。二代目織子の松島文代さんを訪ねた。

南に向いた窓からは、何万本の燭光でもとうてい敵わない、柔らかく大らかな春の陽射しが、組紐を織る高台を照らす。
「そりゃあいちんちじゅう、黙―ったまんま糸を組んどんやで、ポカポカ陽気に誘われて眠とうもなってくるに。そやでそんな時は、今日の晩のおかずどないしよとか、気を紛らわさんと。でも不思議と、どんな時でも組み口だけは、ちゃんと見とるんやでな。力の入れ具合がちごてくるとあかんで」。文代さんは、竹箆で糸を叩きながら組み口を指差した。

文代さんは昭和15(1940)年に沖家の次女として誕生。
中学を出ると組紐店で織子の修業を始めた。
「実家の父が柄出しさんやってな。えっ?柄出しさんか?それは、組紐で描く亀甲柄とか市松模様とかを組む、音楽でいう譜面のようなもんが綾書きゆうて、その手順を考える職人やさ。右の何番目の糸と左の何番目の糸を組んでてな具合に。今しそんなん、みなコンピュータやでな。私ら高台には、小学1年から座り続けとんやで、自然と体が覚えてもうとるでな」。

住み込み修業は10年に及んだ。
「そこで主人と知りおうて、一緒んなって独立したんが昭和40年やさ」。育敬さんと結ばれ、男子を授かった。
「組紐は織り始める前の、下回しの仕事が大変なんさ」。
生の絹糸を糸繰りし、柄色に合わせ染色。
ヘイジャクと呼ぶ糸合わせ行い、糸玉に巻き取り組み糸に。
作業は20工程に及ぶ。
「織子は高台いう舞台に載せてもうて、紐を組む女優のようなもん。せやけど一番手間で大変なんは、下回しする男衆の黒子やに」。
織子の作業は綾書きに基づき、左右60個の糸玉を配置することから。
「上段が表、下段が裏の色やさ」。
そして紐の始点を玉に結び縁ぶりを拵え、それを高台の前方に取り付けられた、鳥居型の貫に巻き付け固定する。
後は綾書きに記された手順に沿い、左右上下の糸を組む。
「糸を組んでは箆で叩いて箆止めし、段々に組み上がって来ると、鳥居さん(貫)に巻き上げてくんやさ」。

1メートル50センチの帯紐を組む場合、倍の3メートルを織り上げる。

「最後の仕上げは、縁ぶりを解いて、ほてから始点を糸で括って、その先っちょを総にすればやっと完成やさ」。夫の育敬さんが傍らで笑った。
一日7時間の単調な織り作業が、惜しげもなく丸3日費やされ、帯締めの美しい柄が浮かび上がる。

「そんでもな、織子してる時が何より楽しいよ。せやけど織子は手が命や。ささくれだったらあかんし、体調が悪いと目が飛ぶでな」。
文代さんは、家伝の亀甲柄の綾書きを、そっと指先で繰った。

織子が絹糸で奏でる弾琴の音は、古から受け継がれる美の模様となり、眼の奥深くへと響き渡る。
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子供の頃良くやっていたリリアン編みも組紐の一種かしら。あと、ミサンガ(プロミスリング)も。それならやった事があるんだけどな。
ひたむきにタテの糸と横の糸を、願いや祈りを込め編み込んでいくなんて素敵ですよねぇ。
ぼくはぶきっちょだからとても無理ですが・・・(汗)
自分自身のオリジナル組紐、作ってみたい!
ギターストラップ、オシャレな感じがして、イイかも⤴
話変わるけど・・
今日も暑かった!
何か?今年って、火事が多い気がする、山火事、住宅火事
おまけに、我が家は火の車!
皆さん気を付けましょうねぇ!
上手い!
我が家の家計ももれなく、火の車です!
組紐織りや機織り 一度は体験してみたい。ただひたすらに編んでいく。いいなぁ〜。
そう言えば ブログの四枚目の写真を見て思い出した事が…。
小さい頃 リリアンで遊んでました( ◠‿◠ )
多分 女性の方は知ってるとは思いますが プラスチック製でヤクルトの容器を縦に細長くしたような簡易編機。何を作るわけでもなく ただ編んで 容器の中から出て来る編み込まれた紐を見ては 楽しんでました。
かわいい時代だったなぁ〜(笑)
そうでした、そうでした!
ぼくらのクラスの女子は、授業が終わるとリリアンを取り出して、夢中で編んでいたものです。