「天職一芸~あの日のPoem 407」

今日の「天職人」は、三重県伊勢市大湊の「火造り和釘鍛冶」。(平成23年2月19日毎日新聞掲載)

カンカンカンと鍛冶場から 規則正しい鎚の音          お(とう)が背中丸うして 小さな和釘叩き出す            赤めた鉄が飴のよに 小鎚一つで七変化             ()(かす)(かい)(おれ)(いなご)(くぎ) 打出の小鎚和釘鍛冶

三重県伊勢市大湊、昭和初期創業の久住商店。三代目火造ひづくり和釘鍛冶の久住勇さんを訪ねた。

『『吊るくす折れ釘はないか?』とか、『鴨居の反り留めに使う()(かす)ないか』って、宮大工があれやこれやゆうてくんのやさ。無いゆうのんも癪やで、ついつい勘考してもうてな。せやでいったい何種類の和釘を拵えたかなんて、とんとわからしませんに」。勇さんは、()()で赤めた鉄の番線をヤットコの先に挟んだ。

そして金床の台座に宛がうと、小鎚一本を振り下ろし、あっと言う間に起用に巻き(がしら)釘を打ち出す。

写真は参考

「この巻き頭いうのんは、雨戸用やさ」。

金鎚で打ち込む頭が、巻き寿司のようにクルクルと丸められている。

長さ約13ミリ、頭の幅約7ミリ足らずの和釘が、たったの小鎚一本で、ものの数10秒で打ち出される。

「1日で1000本はやれやんと、とても一人前とは言えやんのさ」。

勇さんは昭和17(1942)年、7人兄弟の末子として誕生。

中学を出ると、父と共に鍛冶場に座した。

「一番上の兄貴が跡継いどったんやけど、途中でやめてもうてな。最初のうちは、火床へくべたるコークス割り専門やさ」。

相手が小さな和釘ゆえ、大きなコークスでは火力が上がりすぎるからだ。

「昔は電柱を引っ張る梁とか、筏から真珠貝吊るす、もう錆びてあかんようになった鉄線集めて来て、火床で赤めて釘にしよったもんやさ」。

和釘の種類は数多ある。

板と板を横に合わせる「(あい)(くぎ)」。

写真は参考

これは長さ約1.5センチで、両端を尖らせたものだ。

垣根に用いる「(かい)(おれ)」は、長さ約2センチ、頭がL字型に曲げられている。

写真は参考

何とも親しみが湧く名前の「(いなご)(くぎ)」。

写真は参考

これはコの字型の針先を、2本ともL字に叩き出して曲げたもので、吊天井に用いられる。

また釘の長さが約30センチと、やたら大きな「瓦釘」。

写真は参考

寺院などの鬼瓦止めで、頭が鍬のように幅広い。

床の間の掛け軸用は「二重折れ」。

写真は参考

これは針先がJ字状に直角に二度折り曲げられたものだ。

一方L字状に直角に一度折り曲げた物は、名札を掛ける「折れ釘」。

写真は参考

さらに和船用の落とし釘と呼ぶ平釘や角釘。

「いずれも洋釘とちごて、打ち込む針が丸やなしに、みな角やでどれもはってき(入って行き)にくいけど、その代わりに抜けぬ(に)くい。せやで錆びれば錆びるほど、材に食らいついて行きよる」。

写真は参考

和釘に釘抜きは無い。

だから宮大工は、己が金鎚一振りに神経を集中させる。

昭和49年、近在から久代さんを嫁に迎え、一男一女を授かった。

(ふいご)を足踏みして火床に火(おこ)し、土べたに埋めた金床目掛け、しゃごんで(しゃがんだ)まんま一日中、小鎚振り下ろすきっつい仕事やさ」。

和釘鍛冶職人は、半世紀に渡り和釘1本で、日本の伝統建築と家族を支え抜いた。

「他所へ勤めに出とった倅も、帰って来てくたんやさ」。

四代目の誠さんの手付きを眺め、勇さんは微笑んだ。

このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 407」」への4件のフィードバック

  1. ホームセンターでも釘の種類はたくさんあるのに 和釘*洋釘 があるなんて。
    和釘は 用途に合わせて1本ずつ手作りされてるから 頑丈なんですね。
    『錆びれば錆びるほど、材に食らいつらいて行きよる。』
    ホント昔々の人は 今では想像も出来ないくらいの発想や考えや知恵や行動で 大小いろんな物を造り上げていかれたんでしょうね。
    やっぱり『手』に勝るものは無いのかも⁈

    1. 便利になってなんでもかでも瞬時に手に入る分だけ、応用力や勘が失われてしまうかも知れませんよねぇ。
      今とは比べようもないほど、何かにつけて麩便利極まりなかった昭和の後半とは言え、それはそれでそこそこに毎日が楽しくって幸せだった気がしています。

  2. こんな感じの釘 父の道具箱に沢山入ってましたよ (θ‿θ)
    父は盆栽が趣味  庭に棚を作りその棚の上に盆栽を並べていたので、毎日毎日水をやりながら、棚のチェック!!
    傷んでいる所をこんな感じの釘や板を使って トントン カンカン (。•̀ᴗ-)✧

    80歳を過ぎた頃 盆栽の手入れが大変になり 泣く泣く 盆栽仲間にお願いする事にしました。
    その時 道具箱の中に入っていた釘を見て 『 お〜 こんな立派な釘 もっとんさったんやな〜 』 と 言われ 父が 『 珍しいやろ! 家 直しとった 大工さんに貰ったんや! 』❣ 
     
    その後も 道具箱の中の釘で会話が弾んでいた理由が オカダさんのブログを読みわかりました (◍•ᴗ•◍)❤  

    1. 一つ一つ量産ではない和釘は、一つ一つ表情も違うから、味わいがあるのでしょうねぇ。
      お父様もお目が高い!

夢ちゃん へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です