「天職一芸~あの日のPoem 399」

今日の「天職人」は、愛知県清洲市須ヶ口の「ソース醸造所」。(平成22年12月18日毎日新聞掲載)

恵ちゃん()のおばちゃんは ご近所一のハイカラさん       昼のお呼ばれオムライス 卓上ソース掛け放題          それに引き替え我が家では なにかにつけてお醤油派       天ぷら炒飯目玉焼き 挙句の果てにコロッケも

愛知県清洲市須ヶ口で1928(昭和3)年創業の太陽食品工業。石川まささんを訪ねた。

昭和半ばの洋食と言えばコロッケ。

ソースをドボドボにしては「もったいない!」と叱られたものだ。

「祖母の話だと、昔ソースは薬局で売ってたって。まあ匂い自体は漢方薬みたいやでね」。眞美さんは、帳簿付けの手を止めた。

「あら、そう。私はそんなこと、初めて聞いたわ」。

二代目女将の早川和子さんが、長女を見つめ笑った。

和子さんは昭和4年、同県津島市に誕生。

昭和23年、東京女子専門学校(現、東京家政大学)を出ると、母校で家政科の教壇に立った。

昭和27年、知人の紹介で守男さん(享年83)と結ばれ、やがて一男二女が誕生。

だが長男は、生後間も無く他界した。

「嫁に来た頃義父は、朝から業務用の瓶を洗って、それにソースを詰めてました。そして釜に大鍋掛けて、一晩中火の番しながら原料を煮込んでたもんです」。

敗戦からわずか7年、統制経済の解除からもまだ2年目のことだった。

しかしその後この国は、驚異的な勢いで高度経済成長へと走り出す。

「幼い頃、毎朝トラック一杯のトマトが来て。祖父は単車で営業に、全国各地を飛び回る毎日。私の顔もわからんかったほど」。眞美さんが懐かしげに窓の外を見つめた。

「ここらは大手の天下だから、家のソースは静岡から関東、そして西は関西中国方面へと、逃げ延びるようにして得意先を開拓して。そしたらあのB-1グランプリで有名になった、富士宮の焼きそば屋さんがこぞって使ってくれて。それ以来、全国からのお取り寄せも増えましてね」。

和子さんは、創業当時から代わらぬ、瓶詰めソースを誇らしげに手にした。

「祖父は昔、このラベルに『世界に誇る』って入れてましたが、業界から誇張せんといてくれって指導されたとか」。親子は顔を見合わせ大笑い。

世界に誇る太陽ソースの作り方は、野菜と果物をじっくり煮込むことに始まる。

そしてシナモン、セージなど10種類の香辛料を製粉機で挽き、それを2つに分割。

「昔は、それこそ薬研で挽いてました。香辛料を生かしたまま使いたいから」。

和子さんは義父と夫の、頑ななソース作りを受け継ぐ。

そして片方の香辛料には酸を加え酸分解。

もう一方は、炊き込んだ原料にカラメル、液糖と共に加え沸騰。

次に酸分解を終えた香辛料の入りの木桶に移し変えて熟成。

その後香辛料を3回漉し、約1ヶ月を費やせば完成。

やはり一族は、天ぷらもソースかと問うた。

「そりゃあ家は、てんぷらもみんな何でもソースです」。

現場で製造を手伝う、孫の石川達也さんが胸を張った。

町の小さなソース工場。

だから製造量にもおのずと限りがある。

だが侮るなかれ!

誰よりもソースを愛し続けた、親子三代の舌が、幻の味を今も守り続ける。

世界に誇れ!太陽ソース。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 399」」への8件のフィードバック

  1. ワタクシも、実家が何でもソースかけてたので天ぷらはソースっす!が、目玉焼きだけは醤油に転向シマシタ。

    1. ぼくん家は、お醤油派でしたねぇ。
      だから今でも鰺フライは、お醤油です。
      もちろん付け合わせにキャベツの千切りが添えられていたら、キャベツもお醤油でいただいちゃうほどです。

  2. ソースは断然!
    ウスターソース⤴
    ドロドロより・・
    シビシャビ・・いいねぇ~⤴
    私は天ぷらには醤油!フライにはウスターソース!
    これは譲れない!
    因みに、目玉焼きは、その日の気分!

    1. だよねぇ!
      ドロッドロのソースは、ちと・・・(同感)
      目玉焼きには勿論!お醤油派です。
      だから海外遠征の時には、ポケット醤油を忍ばせて、サニーサイドにチャレンジですって!

  3. 私もお醤油派ですよ。
    もちろん目玉焼きにも( ◠‿◠ )
    小さい頃の事を思い出しても 何かにソースをかけた思い出がない!
    卓上には 置いてあったんだろうけど。
    今でも 揚げ物は そのまま頂くかソースは ほんのちょっぴりかけるだけ。
    なんなんでしょうね?
    お醤油のほうが 落ち着く気がします。

    1. そうでしたかぁ!
      家のお母ちゃんが作ってくれた、炒飯じゃなくって、炒り卵の入っていない焼き飯には、ソースをドボドボとかけたものです。
      なんせ夏場なんて、お櫃に入ったままの据えた臭いのする冷ご飯を、笊で水洗いしてぬめりを落としてから焼き飯にしてくれたので、その臭い消しのような感じだったのかも知れませんねぇ。

  4. オカダさんのブログで紹介された豊橋市の濱納豆と同様、西濃地方に太陽ソースを販売しているスーパーがあることを知ったので、買いに行きます。ブログを読んでソースだけでも食べたくなりました。

    1. どことなく大手のソースとは異なり、やさしい味がしたものです。
      ぜひまたお求めになられましたら、感想をお教えくださいね。

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