今日の「天職人」は、愛知県知多市の「釣りエサ屋」。(平成22年7月31日毎日新聞掲載)
「晩のおかずは任せとけ」 寝巻き姿の母に告げ 夜も世も明けぬのに颯爽と 父はエサ屋へ大急ぎ 待てど暮らせど引きは無し 餌だけ食われ帰り道 「手ぶらじゃかん」と釣りエサ屋 生簀覗いて品定め
愛知県知多市、釣りエサ友松。主の友松昭治さんを訪ねた。

確かにこの店のはずだが。入り口を少し開け、声を掛けるが一向に応答が無い。
こっそり耳を凝らすと店の奥から、気持ちよさそうな鼾が聞こえて来るではないか。
「雨降りの昼間は客がこんで、うつらうつら仮眠ベットで居眠りしてまうんだわ」。昭治さんは、大きな伸びを一つした。

昭治さんは昭和14(1939)年、大分県中津市の農家で5人兄弟の次男として誕生。
中学を出ると線路工夫に。
「卒業式の明くる日から、鶴嘴担いどったって」。
18歳になると今度は、北九州市へ出て沖仲仕に。
さらに4年後の昭和36年には、大阪難波の天ぷら屋に住み込んだ。
「そんなもん、いつまでたっても海老の皮剥きばっかだて」。
翌年、さっさと飲食業に見切りを付け土木作業員に。
それから3年後。
同郷出身の佳子さんと所帯を持ち、姉を頼って名古屋へ。
「倉庫で麦や米の積み下ろし作業だわ」。
やがて一男一女に恵まれた。
それからフォークリフトの免許を取得し、平成4年に退職するまで、数社を股に掛け家族を支え抜いた。
「51歳になった平成元年だわ。この店の道挟んだ前で、『たこ焼の友ちゃん』を始めたんだて。だって給料は振込みだで、みんな女房の懐に入ってまうだろ。でも店やっとりゃあ、小遣いちょろまかせるがあ」。
だが、たこ焼きを焼いた経験すら無い。
「そんだで、昔たこ焼き焼いとったおばちゃん見つけ出して来て。そしたらこれがどえらい売れるんだって。近くには海釣り公園や、マリンパークがあるもんで、客から『釣りエサないんか?』ってよう言われてな。そんなら、エサも売るかってなもんで」。
ところが肝心の、エサの仕入れ先がわからない。
「毎日、問屋探しだわ」。
やがて3軒の問屋にたどり着いた。
「東浦の問屋からは、四国で養殖したイシゴカイ、アオムシ、カメジャコ、それにインドネシアから輸入するストロー。常滑からもイシゴカイに中国産のアオムシ。静岡からは、冷凍のアミエビ、注しエサ用のオキアミだわ」。

徐々に常連客も付いた。
「朝4時に店開けに来ると、もう4~5人客が待っとるんだて」。

秋冬は黒鯛にセイゴ、春から夏に掛けてはキス、メバル、タコが上がる。
「常連の多くは、自分の釣り船持っとる人らだわ。中には定年後に毎日来る客もおるって」。
1杯500円のエサで、日がな1日釣り人たちは波間に竿を延べる。

「でも10年前から、たこ焼きがさっぱり売れんくなってまってな。それで今は釣りエサ一本だわ」。

2年前暮れのことだ。
「あんたとこのエサ屋から火出とるで!って、近所のもんが慌てて飛んで来てなあ」。
心無い放火で店舗が焼失した。
「一時は、店畳もうかと思ったて。でもそんなこと知らずに、客は楽しみにエサ買いに来るで、まんだ閉めるわけにもいかんわ」。
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楽しそうなお店ですが、やっぱ人生、山あり谷ありですね。でも放火はひどい!
父は川釣り用のミミズを庭で飼っていて一時、爆発的に繁殖しておりやんした!
また、家人は海釣りが好きで、オキアミ?の塊が知らない間に冷凍庫に入っておりました。かき揚げにしたら美味しそうなヤツでした。
結構な餌代が必要ですよねぇ。
それにしてもオキアミのかき揚げってぇのも美味しそうですねぇ。
糸を垂らして待つ釣りは好きでは無かったけど、ピクピクって手に伝わってくる感じは好きでした。まぁ、エサだけ食われちゃう事もありましたが・・・(笑)
竿に伝わる当たりって、微妙ですが、それを敏感に感じようとすると、無心になれたものです。
ヘタレの私は!
餌のゴカイを触るのはムリ!
恐いし気持ち悪い・・⤵
でも釣りはしてみたい!
けどなぁ~⤴船釣りはムリ!
きっと!船酔いして釣りどころではナイ!
結局は釣りには向いていないんだねぇ!
それじゃ~
美熟女を求めて丘釣りにでも行くかぁ?
美熟女の丘釣りの餌ってなんなのだろう?
やっぱり漁場は、ネオン瞬く裏町ですか?
魚釣りはしばらくやって無いな(・・;)腕白、悪ガキで育ったから人から見ればグロテスクなエサもわりと平気で触れたりするよ。海釣りなんかエサが無くなれば釣った魚をさばいてエサ作ったりして魚釣りした事も有りましたよ
そっかぁ、さすがヒロちゃん!
ワイルドだねぇ!
知多ではありませんでしたが、子供たちに釣りを体験させるべく、兄と共に静岡県の浜名湖・弁天島へ何度か行きました。エサを購入してプラスチックの小さな籠に一杯詰めて、竿で海に沈めて魚を呼び込み、釣りをしました。
ぼくも子どもの頃は、三重の田舎の櫛田川で、両親や従兄妹と一緒に川原の石をめくってザザムシを取って、それを釣り針に付けて「シラハエ」釣りをしたものです。
「天職一芸〜あの日のpoem380」
「釣りエサ屋」さん
ひさびさに海が見たかったです。
ありがとうございます。の
後に 「きゃあ〜!」です。
エサ屋さんのお話ですもんね。
出てきますよね。
女性にしたらちょっと「きゃあ〜!」でしょうねぇ。
でもその「きゃあ〜!」を魚が肴が食べ、その魚をぼくたち人間がいただいているんですよねぇ。
「きゃあ〜!」そうなんですね。
ヒョエ〜!
海の写真の次は 職人さんの写真かと思いきや… グロテスク過ぎる〜(大泣)
それにしても この職人さんの職遍歴の凄いこと。
何をするにも初めてなんだけど それにしてもフットワークが軽い。柔軟性があるし精神力も強い方みたい。
またまた尊敬です。
紆余曲折を経て、きっといつかは巡り合う、一人に一つの「天職一芸」ってことですよねぇ。