「天職一芸~あの日のPoem 357」

今日の「天職人」は、岐阜県郡上市八幡町の「メロンパン職人」。(平成22年2月10日毎日新聞掲載)

郡上八幡小駄良川 窓を開ければ水音と             パンの香りが忍び込む 昼時岸の向こうから           老いた夫婦のパン屋では 子らが群がり品定め          片手の小銭差し出して 「これちょうだい」とメロンパン

岐阜県郡上市八幡町の平和パン、主の加藤昌美さんと千代子さん夫妻を訪ねた。

郡上八幡の町中を、南北に流れる小駄(こだ)()川。

川西の山裾には、わずかに昭和半ばの商店が残る。

「……?」。

どこからかパンの焼ける匂いが漂って来た。

だがどこにもパン屋はない。

すると一軒の民家から、パンを片手に子どもたちが飛び出して来た!

ガラスの引戸から中を覗けば、確かにパンが並んでいる。

「これどうぞ。今焼き上がったばっかやで」。

共白髪の老夫婦が、こんがりキツネ色に筋の入ったメロンパンを差し出した。

だが、どこにも屋号の看板が見当たらない。

「そんなもん看板出すなんて、おこがましいでかんわ」と、夫。

すると「この人は昔っから『他人(ひと)様を蹴っ飛ばしてでも儲けたる』っていう気がないんやて」と、妻。

「家が役所に届けとる本当の屋号は、三恵堂。でもここが尾崎町だでここらの人は『尾崎パン』とか『平和パン』って呼ばっせるわ。まあどれも通じるで、一つの名だけ看板上げるわけにもいかんだわ」と、夫。

昌美さんは大正10(1921)年、愛知県瀬戸市に誕生。

「小学校に入った昭和3(1928)年の時だて。鶴舞公園の御大典奉祝名古屋博覧会を、見に連れてってもらったんだわ。そしたら敷島パンがテントでパン焼いとって、これがまたええ匂いなんだて。でも金が無いで買ってまえんでかんわ」。

中学を出ると家業に従事。

だがコーヒーカップや西洋皿を製造する家業は、戦況の悪化で輸出が揮わず廃業に。

昭和18年には、召集令状が届き、海軍陸戦隊として中国へと出征。

だが昭和21年2月には無事、復員を果たした。

それから2年後、名古屋で看護婦をしていた千代子さんと結婚。

やがて一男二女が誕生。

昌美さんは、タクシーやトラックの運転で、家族を支え戦後の混乱の世を渡り抜いた。

統制も解除した昭和26年。

名古屋でパン屋を開業していた戦友を訪ねた。

茶飲み話がてら、パン作りを見学していると、子どもの頃の鶴舞公園での記憶が甦った。

直ぐに瀬戸市の家へと戻り、平和への願いを込めて「平和パン」を見よう見真似で開業。

2年後には現在地へ。

「私の実家が隣りなんやて」と、妻が笑った。

以来、夫婦2人で焼き上げるメロンパンは、今も平和のシンボルとして町中で愛され続ける。

今は月水金の週3日、朝5時半から中ダネの仕込みが始まる。

1時間半の発酵後成形し、秘伝のメロンパンの皮を被せ、ホイロで2次発酵し焼成。

半世紀以上変わらぬ、甘いメロンパンの香が町中に溢れ出す。

「そうすると迎えの幼稚園から『パン屋のおじいちゃ~ん』って声がして。近所の人らからは『辞めてかんよ』って言われるもんで、まあちょっと死ねぇせんでかんわ」。

熟練のパン職人は、捏ね上げたばかりのパン生地のように、ほっこりとした笑顔を向けた。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 357」」への8件のフィードバック

  1. メロンパンの、甘い皮の部分は後のお楽しみに取っておいて 下のパンの所だけ先に食べるって食べ方した事なぁ〜い?

  2. 「天職一芸〜あの日のpoem357」
    「メロンパン職人」
    うひょ うひょひょひょひょょょ
    オカダさんのお応えに変な笑い方になってます。

    メロンパン美味しいですもんね。
    はまってしまってメロンパンしか食べない時がありました。

    町にこんなにも素敵なパン屋さんがあったなら
    幸せですよね。

    1. 昭和半ばの時代は、菓子パンをおやつに2~3個食べても、ちゃんと晩御飯もペロリと平らげちゃったものです。
      菓子パンの中でもメロンパンは、王様のような存在でした。

  3. 見よう見真似でパン屋さん… 凄すぎる。
    子供の頃の思い出と平和への祈り。
    物凄い努力の賜物なんでしょうね。
    またまた尊敬に値する人 発見!
    ただ 私 メロンパンちと苦手なんです。ごめんなさ〜い。

    1. パン屋のお爺ちゃんもお婆ちゃんも、町の人気者でしたもの。
      お爺ちゃんなんて、ちょっと美人の奥さんがパンを買いに来ると、オマケだよってアンパンやクリームパンを袋にこっそり入れてあげたりしたものです。

  4. ご無沙汰しております。郡上八幡のパン屋さん、かつてオカダさんにお伺いしたところ、御令息さんが跡を継がれるやに聞いておりました。以前にオカダさんの「長良川鉄道ゆるり旅」を拝読して、いいなあ、と思ったので行ってみたいなあと思ったのでした。もし、消息をご存知でしたら教えてください。

    1. 取材をした頃は、息子さんが会社勤めの定年後に、後を継ごうかなと仰っておられました。
      しかしその5~6年後にお爺ちゃんが身罷られてしまいました。
      ぼくも通夜の祭壇に向かい、焼香させていただきました。
      それ以降どうやらお店は閉まったままのようです。

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