「天職一芸~あの日のPoem 356」

今日の「天職人」は、愛知県常滑市の「捻りオコシ職人」。(平成22年2月3日毎日新聞掲載)

縁に腰掛けばあちゃんは 陽だまりの中舟を漕ぐ         (ねじ)りオコシの菓子鉢を 胸に抱かえて夢の中           梅の蕾が春を呼ぶ 恥じらいながら色付いて           春告げ鳥を待ち侘びた 娘時代の夢草紙

愛知県常滑市で大正元(1912)年創業の山形屋製菓舗、三代目の捩りオコシ職人の榊原昇一さんを訪ねた。

飴色の土管坂。

レンガ組の1本煙突。

ゴー、ゴー。

作業場から響く動力の音が、静かな町の空気を揺らす。

「まるで鉄工所みたいやろ」。

男は黒光りする攪拌機(かくはんき)の前でつぶやいた。

「この機械も父親の代から使っとるで、えらい骨董品だわ。でももう、どこも作っとらんで手に入らんだ」。

写真は参考

昇一さんは、昭和26(1951)年に3人兄弟の長男として誕生。

中学を出ると名古屋の洋菓子専門学校に学んだ。

そして卒業と同時に、名古屋の洋菓子店で修業へ。

「とにかく家の跡継ぐのが嫌で嫌で。とは言え、何をしたいんかも分からん。でも蛙の子は、どこまで行っても蛙のまんまさ。親父とお袋みたいに、明けても暮れてもオコシ作らなかんと思うと、それが嫌でな。一旦は洋菓子志したけど、結局最後は親父と同じだわ」。

昇一さんは、プレス機で板状に熨したオコシを取り上げ、傍らで棒状のオコシを2枚重ねにして、(ひね)りを加える娘を盗み見た。

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23歳となった昭和49年、洋菓子店を辞し異業種へと飛び込んだ。

「どうしても菓子作りとかとは違う、全く別の世界が知りたくて。それで4㌧トラックで小口の荷を運ぶ仕事に」。

だが年々年老いてゆく両親が気掛かりでもあった。

昭和54年、それまで両親と共に家業に従事していた、末子の弟が病を患った。

「そん時『これが潮時か』と観念してな」。

跡目を継ぐ決心を固め、家業に入った。

「小さい頃から毎日、見飽きるほど見てきたオコシ作りやけど、見るとするとでは大違いだわ。結局3年ほど親父から仕込まれて」。

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やがて同県東海市出身の有佳子さんと巡り逢い、昭和58年に結婚。

3女を授かった。

「昔は名古屋で、嫁入りの菓子撒きに使われて、秋から春までは大忙しだったわ」。

今でも地元の人々から、郷土自慢の手土産として利用され、愛され続ける庶民の銘菓だ。

「オコシは全国にあるけど、家のみたいに捻ったオコシは、ちょっと聞いたこと無いな」。昇一さんが初めて自慢げな笑顔を見せた。

捻りオコシ作りは、水飴にグラニュー糖と蜂蜜を入れ、熱して溶かす作業に始まる。

次に攪拌機にイラ(澱粉)粉と水飴を入れ、しっとりなるまで混ぜ合わせる。

そしてプレートに青海苔を敷き詰め、その上に水飴と混ぜ合わせたイラを平らに敷き、プレス機で板状に押し伸ばす。

最後は縦3㌢横14㌢程に切り落とし、青海苔の面を外側に2枚重ねにして一捻りすれば完成。

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「娘がやっとる捻りでも、一端までには半年。オコシは生きとるし、手捻りだで2つと同じにはならんで」。

「親とは違う」。

水面に映る己の姿を見つめ、オタマジャクシはそう思った。

だが時が経ち、改めて水面を見れば、そこにはあの日の親の姿が。

蛙の子が蛙であれば、何よりそれが一番。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 356」」への6件のフィードバック

  1. 捻ったおこし…見たことないわ〜。
    でも 色合いや細さ加減が芸術的( ◠‿◠ )
    “おこし” って言うと 昔お土産で買った雷おこし=ちょっぴり固め の印象があったけど 最近食べたおこしは 食べやすかったですよ。
    五十代にも優しい”おこし” でした(笑)

    1. ぼくは全くもって変な子でした。
      いただき物の雷お越しや、浪花おこしにしても、湿気てグニュ~ッと回るくらいになってから食べるのが好きで、お父ちゃんやお母ちゃんがあきれていたものです。

  2. 『親とは違う』
    しかし、いつしか親に似て来た自分に気付くんだよなぁ。

    1. まったく同感です。
      どんなに親とは違うと抗えど、年々親の面影が鏡の中に現れるようになるものです。

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