「天職一芸~あの日のPoem 354」

今日の「天職人」は、愛知県豊橋市大井町の「管楽器修繕屋」。(平成21年1月20日毎日新聞掲載)

部活を終えた帰り道 急ぎ駆け出す川堤                     君は待ち侘び橋の下 サックス奏でムーンリバー                 橋の間近で歩を緩め そっと後ろに回り込み                   目隠し「誰だ?」悪ふざけ 茜陽浴びた長い影

愛知県豊橋市大井町、管楽器修理調整専門のくじら管楽器工房。主である鯨行伸さんを訪ねた。

「定年が60歳なら、就職から約40年。私は折り返しの42歳で、安定した賃金を得る場としての職場に別れを告げ、残りの生涯を賭ける職を手にしたんです」。行伸さんは、真新しい作業場で少年のような(まなこ)を輝かせた。

行伸さんは昭和37(1962)年、静岡県湖西市で長男として誕生。

父は会社が休みになると、自慢げにサックスやクラリネットを奏でたという。

その影響か小学校からギターを爪弾き、高校に上がるとブラスバンド部へ。

管楽器の巨人チューバを担当。

しかし高校も3年生になると、今度はジャズのサックス奏者ソニー・ロリンズの音色に魅了された。

「父は大枚50万円を叩いて、テナーサックスを買ってくれたんです」。

大学では理工学部に在籍する傍ら、仲間とジャズバンドを結成し、ライブハウスでの演奏に明け暮れた。

夢のような4年の日々はあっという間に終わりを告げ、地元の自動車部品メーカーで設計の職に就いた。

それから8年、豊橋市への転勤が決まり、予てより交際していた豊川出身の美知枝さんと結婚。

一男一女を授かった。

美しい妻と幼い子どもたちに囲まれた幸せな日々。

しかし心の何処かに、言い知れぬ違和感が芽生えた。

就職から15年。

卒業と同時に仕舞い込んだサックスは、それ以来一度も手にすることもなく、仕事と家庭だけに生き抜いて来た。

「サックスを吹きたい」。

もうその欲求は限界を超えた。

「豊橋にビッグバンドは無いかと、自分で探してバンマスにメールしたんです」。

埃だらけのケースを抱え、スーパースウイングジャズオーケストラの練習スタジオを訪ねた。

「15年振りに吹いてみたら、もう楽しくって。みんなと一緒に演奏できる素晴らしさを改めて感じて」。

月に2回の練習には欠かさず通い続けた。

それから3年。

40歳の節目を迎えた。

「『残りの人生、会社勤めのままでいいのか?』って、真剣に思い悩んで。妻に話したら『この人何言ってるの?』と洟もひっかけられず。それから2年ほど悶々としてました」。

そして辿り着いたのが修理専門の道。

平成16年に会社を辞し、浜松市の管楽器修理専門の学校へと、2年間毎日通い詰め、退職金と預金を注ぎ込み、30種類の管楽器修理を学んだ。

そしてついに平成18年に独立開業。

「最初はバンドの仲間から、口コミで紹介してもらいながら細々と」。そう笑いながら、サックスのパットの革を交換し、何度もキーを叩いて密閉具合を確かめる。

「紙1枚分の隙間でも、息が洩れますから。それに管楽器は、奏者一人一人で音色も変わります。呼吸や吹く時の癖も、微妙に違いますから。だから心に響くんです」。

遅かれ早かれ、きっといつかは巡り合う、一つ限りの天職に。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 354」」への6件のフィードバック

  1. わぁー管楽器は息が続かないから小学校の、リコーダー以来触ってないです。ぃま夢中になっているのは弦楽器、指が伸ばせないから、指がつる、つる、痛いわ。でも楽器て音が出せて、メロディーを奏でると楽しくなりますね。

  2. 定年になってからじゃなくて、まだ子供さんも小さかっただろうに 42歳で転職とは凄いですね、奥さんが⤴️

    1. でも人生、いつどこで自分の天職と出逢うか分かりませんものねぇ。
      生まれた時から天職を定められている者もあらば、流転の末やっとやっと天職に辿り着くものまで様々ですもの。

  3. 楽器も人も一期一会…
    ブログを読んでて そう思いました。
    和蝋燭職人さんもだけど この方もホント少年のような表情で( ◠‿◠ )
    天職なんでしょうね。
    羨ましい気がします。

    1. 生涯で手にするお給料の多寡だけでは、人それぞれの人生って奴を語れませんよねぇ。

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