今日の「天職人」は、愛知県豊橋市大井町の「管楽器修繕屋」。(平成21年1月20日毎日新聞掲載)
部活を終えた帰り道 急ぎ駆け出す川堤 君は待ち侘び橋の下 サックス奏でムーンリバー 橋の間近で歩を緩め そっと後ろに回り込み 目隠し「誰だ?」悪ふざけ 茜陽浴びた長い影
愛知県豊橋市大井町、管楽器修理調整専門のくじら管楽器工房。主である鯨行伸さんを訪ねた。

「定年が60歳なら、就職から約40年。私は折り返しの42歳で、安定した賃金を得る場としての職場に別れを告げ、残りの生涯を賭ける職を手にしたんです」。行伸さんは、真新しい作業場で少年のような眼を輝かせた。

行伸さんは昭和37(1962)年、静岡県湖西市で長男として誕生。
父は会社が休みになると、自慢げにサックスやクラリネットを奏でたという。
その影響か小学校からギターを爪弾き、高校に上がるとブラスバンド部へ。
管楽器の巨人チューバを担当。
しかし高校も3年生になると、今度はジャズのサックス奏者ソニー・ロリンズの音色に魅了された。
「父は大枚50万円を叩いて、テナーサックスを買ってくれたんです」。
大学では理工学部に在籍する傍ら、仲間とジャズバンドを結成し、ライブハウスでの演奏に明け暮れた。
夢のような4年の日々はあっという間に終わりを告げ、地元の自動車部品メーカーで設計の職に就いた。
それから8年、豊橋市への転勤が決まり、予てより交際していた豊川出身の美知枝さんと結婚。
一男一女を授かった。
美しい妻と幼い子どもたちに囲まれた幸せな日々。
しかし心の何処かに、言い知れぬ違和感が芽生えた。
就職から15年。
卒業と同時に仕舞い込んだサックスは、それ以来一度も手にすることもなく、仕事と家庭だけに生き抜いて来た。
「サックスを吹きたい」。
もうその欲求は限界を超えた。
「豊橋にビッグバンドは無いかと、自分で探してバンマスにメールしたんです」。
埃だらけのケースを抱え、スーパースウイングジャズオーケストラの練習スタジオを訪ねた。

「15年振りに吹いてみたら、もう楽しくって。みんなと一緒に演奏できる素晴らしさを改めて感じて」。
月に2回の練習には欠かさず通い続けた。
それから3年。
40歳の節目を迎えた。
「『残りの人生、会社勤めのままでいいのか?』って、真剣に思い悩んで。妻に話したら『この人何言ってるの?』と洟もひっかけられず。それから2年ほど悶々としてました」。
そして辿り着いたのが修理専門の道。
平成16年に会社を辞し、浜松市の管楽器修理専門の学校へと、2年間毎日通い詰め、退職金と預金を注ぎ込み、30種類の管楽器修理を学んだ。

そしてついに平成18年に独立開業。
「最初はバンドの仲間から、口コミで紹介してもらいながら細々と」。そう笑いながら、サックスのパットの革を交換し、何度もキーを叩いて密閉具合を確かめる。
「紙1枚分の隙間でも、息が洩れますから。それに管楽器は、奏者一人一人で音色も変わります。呼吸や吹く時の癖も、微妙に違いますから。だから心に響くんです」。
遅かれ早かれ、きっといつかは巡り合う、一つ限りの天職に。
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わぁー管楽器は息が続かないから小学校の、リコーダー以来触ってないです。ぃま夢中になっているのは弦楽器、指が伸ばせないから、指がつる、つる、痛いわ。でも楽器て音が出せて、メロディーを奏でると楽しくなりますね。
そうでしょ!
ヒロちゃんの弾き語りを楽しみにしていますからねぇ。
定年になってからじゃなくて、まだ子供さんも小さかっただろうに 42歳で転職とは凄いですね、奥さんが⤴️
でも人生、いつどこで自分の天職と出逢うか分かりませんものねぇ。
生まれた時から天職を定められている者もあらば、流転の末やっとやっと天職に辿り着くものまで様々ですもの。
楽器も人も一期一会…
ブログを読んでて そう思いました。
和蝋燭職人さんもだけど この方もホント少年のような表情で( ◠‿◠ )
天職なんでしょうね。
羨ましい気がします。
生涯で手にするお給料の多寡だけでは、人それぞれの人生って奴を語れませんよねぇ。