「天職一芸~あの日のPoem 337」

今日の「天職人」は、岐阜県高山市八軒町の「紙絵馬師」。(平成21年9月16日毎日新聞掲載)

飛騨の盆地に蝉時雨 短い夏を競い鳴く             盆も間近の茹だるころ 松倉山へ一詣              観音様の境内にゃ 縁起紙絵馬市が立ち             商売繁盛みな健康 跳ね飛ぶ駒に願立てる

岐阜県高山市八軒町、松倉絵馬総版元の池本屋。六代目紙絵馬師の池本幸司さんを訪ねた。

「ぼくの書いた馬は、先代のに比べたらまんだ生きてない。やっと皆に認められるようになったのは、刷毛で描く鬣(たてがみ)。馬が颯爽と走っとるように、鬣が風に靡(なび)かないかんのです。昔はよう『この馬鬘(かつら)被っとんのか?』って、笑われましたわ」。幸司さんは、そう言うと一息で和紙に筆を走らせた。

池本屋の創業は、文政年間(1818~29)の後期。

高山市の西、松倉山の中腹にある馬頭観音を本尊とする松倉観音堂には、毎年8月9日と10日の両日絵馬市が立つ。

人々は、和紙に描かれた紙絵馬を、家内安全や商売繁盛祈願の縁起物として、我先にと買い求める。

「江戸末期ころは、牛馬を牽いて危険な山道を登り、牛馬の安全や養蚕満足を願い、観音様詣をしとったらしい。だから途中、牛馬ごとよう崖から落ちて。それを初代池本屋長助が見かね、紙絵馬で代参することを思い立ったらしいんやさ」。

幸司さんは昭和46(1971)年、2人姉弟の跡取り息子として誕生。

高校を出て名古屋の専門学校で学び、20歳の年に帰郷。

プロパンガスの配送や、駄菓子製造に携わり平成9年に家業へ。

「しばらくは、社会勉強のつもりやったんやさ」。

父を師と仰ぎ、描いては捨て描いては捨てを繰り返した。

「先代は一枚の素描(すがき)にわずかたったの2分。それでもどの馬見ても、生き生きと走っとるんやさ。だから先代の手先を盗み見て、筆づかいを覚え込んだり、上絵の色づかいを真似てみたり」。

幸司さんの試行錯誤は続いた。

世襲という重き荷物を背負い、いつかは先代を超えるのが宿命と、自らに言い聞かせながら。

池本屋の紙絵馬は、手描きと木版の2種。

道具は4種類の筆に墨汁と刷毛、そして顔料に馬楝(ばれん)。

手描きの場合は、まず素描の上に色付けし、さらに上絵を施す。

木版摺りの場合は、版木に刷毛で墨を塗り、最初に新聞紙の油を吸着させてから、県内産の和紙をあてがい馬楝で摺り上げる。

いずれも最後に、代参でご祈祷を済ませた、馬頭観世音菩薩のご朱印を押印し、それで完了。

年間を通じ2000枚が描かれ、その内の半分に当る1000枚が絵馬市に用いられる。

平成14年、優子さんと結ばれ、翌年跡取り息子が誕生。

だがその代償は、余りにも大きかった。

「息子が産声を上げる10日前に、先代は息を引き取りまして」。

誰よりも孫の誕生を、希(こいねが)ったはずの先代の願いは、無常にも聞き入れられなかった。

「でもこの子の性格が、先代の生き写しみたいに、そっくりなんやさ」。

幸司さんは、まだあどけなさの残る、将来の七代目をこっそり見つめた。

「今でも毎日が修業やもんで、先代に追い付くにはまだまだやわ」。

間もなく飛騨の盆地に、馬肥ゆる秋が訪れる。

このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 337」」への10件のフィードバック

  1. 絵の上手な人が羨ましいです。特徴を掴むために観察力も必要なんでしょうねぇ⤴️クマの絵を書けと言われて眉毛、描いちゃったりして(笑)

  2. 池本屋さんで、馬の頭を家の中へ向かせて飾るように教えていただいた記憶があります。ウチの玄関を入るとすぐ、その黒馬ちゃんが跳ねております。もう20年以上も前に来た子です。
    もし剥がすと、そこだけ壁が白くなっていそうなので、まだ暫くは居てもらいたいなぁと思っています。お顔も愛嬌があって可愛いデス。

    1. 飛騨地方のお家には、必ずと言っていいほど、紙絵馬が貼ってありますよねぇ。
      古来からの庶民信仰が、今なお色濃く根付いている証ですよねぇ。
      虚舟さん家の紙絵馬も、きっと福を招き入れてくれているんでしょうね。

  3. 絵馬といえば、最近は行ってませんが、京都へ行くと必ず絵馬を見に行く神社があります。祇園の南にある安井金毘羅宮です。ココはいわゆる縁切り神社で、絵馬には「誰々と誰々を別れさせたい」とか、「息子が彼女と別れますように」とか書かれた絵馬が奉納してあって、これはなかなかです!鷲田清一さんの「京都の平熱」という京都ガイドに載っていました。

    1. 安井金毘羅宮ですか!
      知りませんでしたが、そんな縁切り絵馬があるとは!!!
      何だか怖いもの見たさで伺ってみたい気もしますなぁ。

  4. 先代の願い… 直接叶わずとも きっときっと いつもそばで成長を見守っていてくださるでしょうね。
    絵馬と一緒に ( ◠‿◠ )

    1. きっと先代は、今も近くで見守って下さっているんでしょうねぇ。
      それが親であり、師匠でもあるんですものね。

  5. 飛騨高山の山桜神社の絵馬市は丁度 飛騨桃が美味しい時期なんですよね〜❣️ 
    いつも『これがいいね あれもいいね!』と話しいても 結局1度も頂いてくる事はなし •́ ‿ ,•̀
    毎年 新しい絵馬に替えないといけない!と思っていたんです (๑´•.̫ • `๑) 

    昨年夏はコロナの影響で 外国の方は殆ど見かけませんでしたが 今年の夏 東京オリンピックが開催され 飛騨高山にも足を運んで頂けるといいですね❣   

    オカダさんが観光大使の 飛騨高山 飛騨古川には美味しいお酒も沢山ありますからね〜 (◕ᴗ◕✿)    

    ちなみに今 私が呑んでいるのは 
    高山 舩坂酒造さんの【どろどろ濁原酒 濃 】です ❢
    ネーミング通り 真っ白 どろどろ 
    アルコール度数は18度です
     (◍•ᴗ•◍)❤ 

    いかの珍味 忘れた 〰〰 (╥﹏╥)

okadaminoru へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です