今日の「天職人」は、岐阜県飛騨市古川町の「千鳥格子建具師」。(平成21年7月8日毎日新聞掲載)
路地の打ち水涼を呼ぶ 風鈴チリリン古都の宿 宵の口から湯浴みして 君の長湯に肘枕 衣擦れの音(ね)に目を覚ましゃ 千鳥格子のその向こう 浴衣姿で横座り 濡れた黒髪君が梳(と)く
岐阜県飛騨市古川町の匠工房、千鳥格子建具師の住寿男さんを訪ねた。

「先人の技を超えたい」。
その思いが、数100年前の匠の技を、深い眠りから揺り起こした。
匠の末裔としての己が手に、先人の魂が宿れとばかりに。
「まだまだ奈良や京都には、目から鱗の作品がありますって。修業は永遠やさ。まるで回遊魚みたいにな。だから極めた積もりになって、手を止めようもんなら、それで仕舞いや」。寿男さんは、飛騨古川まつり会館に展示されている、祭り屋台「瑞鳳(ずいほう)台」の扉として取り付けられた作品と同じ、面越(めんこし)千鳥格子の衝立を広げて見せた。

裏面には、秋田杉と神代杉(じんだいすぎ)が市松模様に、ピタリと組み込まれ一縷の隙もない。
縦桟を一本おきに、まるでチドリの足取りのように、互い違いに横桟で機を織るよう編み込まれている。
寿男さんは昭和16(1941)年、旧神岡町(現・飛騨市)の農家で6人兄弟の末子として誕生。
中学を出ると、高山市内に下宿し職業補導所に通い、木工関係の基礎を学んだ。
翌年、同市内の建具屋に入り、指物や雑木工の修業に。
「18歳の頃やったかな。親方と荘川へ向う途中、軽岡峠の頂上で地蔵堂を見かけたんやさ。そのお堂の扉に、機織りに組まれた不思議な格子があって。よう見ると、1箇所だけ格子が壊れとるんやて」。

そこから仕掛けのからくりを覗き込み、頭の中で編み方を思案した。
「明治の中頃、高山の名工と呼ばれた岡田甚兵衛が、地蔵堂に何度も通い詰めて、からくりの謎を解き明かそうとしたそうや。それにしても謎が解けず、ついに一部を壊してからくりをその目で確かめたとか。とにかくその技を目の当たりにして、職人の魂が揺さ振られたんやろな。いつの日か自分も手掛けたいって」 。
昭和35年、古川町でも指折りの建具屋へ移籍。
2年後には妻を得、やがて一男一女が誕生。
12年に渡る修業で、建具と指物の技を会得。
ついに昭和47年、親方に認められ住建具店を開業。
「独立した頃は、仕事に追われるばっかり」。
少し余裕が出来、千鳥格子に取り組み出したのは、昭和が平成へと改まる頃だった。
「しかしそれからも、試行錯誤の連続」。
やっと納得のいく作品が仕上がったのは平成6年。
直ぐに面越千鳥格子の製法組付け特許を申請した。
それから6年、晴れて念願の特許を取得し商品化へ。
面越千鳥格子は、まず檜の桟を木取りすることに始まる。
次に桟へ均等に墨付けを施す。
10分の1㍉の誤差もあってはならない。
そして編み込む部分の面越を4分の3切り込み、組み手も同様に切り込む。
次に4つの角を丸く面取りし、縦横の桟を生糸のように編み上げる。
衝立やガラス入り飾り窓。
意匠は異なるが、いずれも狂い一つ無き精密機器のようだ。
天晴れ飛騨の匠。
木の性質をとことん知り尽くす職人技。
果たして何100年か先の世に、寿男さんの技を見破る、後世の匠は現れ出でるであろうか。
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飛騨古川、バスツアーを思い出します!匠の館、見学しました。組み木の精度、ハンパ無かったですね。
物凄い緻密さで組み込まれていて、びくともしないからビックリですよねぇ。
そう言えば 神社に行くと千鳥格子の建具ありました。いつも何気なく見てるから 今回ブログを見て「あ〜」って(笑)
なるほど!からくりの謎だらけだ!
不思議は素敵!
だから 永遠に謎のままでもいいような気がします( ◠‿◠ )
そうかも知れませんねぇ。
でも職人魂のある方は、ついつい先達への競争心が刺激されてしまうんでしょうねぇ。