「天職一芸~あの日のPoem 325」

今日の「天職人」は、岐阜県郡上市白鳥町の「玩具屋(おもちゃや)主」。(平成21年6月17日毎日新聞掲載)

指折り数え待ち侘びた 年に一度の誕生日            父に連れられ玩具屋で あれこれ悩むプラモデル         スポーツカーに戦闘機 目移りばかり決め兼ねて         父に相談したくとも 子供返りで無我夢中

岐阜県郡上市白鳥町、オモチャのごんぱち、二代目主の野々村昇さんを訪ねた。

長良川に架かる白鳥橋を東に渡ると、旧街道に沿いわずかに昔家並みが続く。

その突き当たりに、今も昭和の面影を色濃く残す、子ども達の楽園はあった。

その名も「オモチャのごんぱち」。

店内には、野球盤や鉄道模型、初代人生ゲームにゴジラからリカチャン人形まで。

色褪せた箱の色に、過ぎ去った年月が刻み込まれている。

「祖父の名が権八やったもんで、周りの人がそういいないたんやわ」。昇さんは、子どもに釣銭を手渡しながら、人懐っこい顔で笑った。

昇さんは昭和14(1939)年、三人姉妹の真ん中で長男として誕生。

しかし3歳の時に父が他界。

幼子3人と姑2人を抱え、母は和裁仕事で一家を支えた。

「そりゃあ母は、女手一つで大変やったって。和裁仕事の傍ら、生徒を取って教えて。月謝の代わりに米貰って、生計立てとったんやで」。

戦後しばらくすると、友人が闇屋を勧めた。

「和裁なんかじゃ儲からんで、わしらと闇屋せえへんか」と。

「母は米抱え、越美南線(現・長良川鉄道)の始発で名古屋の闇市へ。米売った金で、帰りに駄菓子やオモチャ仕入れて来て、それを売るんやわ。ぼくも母や姉に付いて、学生鞄の中によう隠したもんやて。警察に見つかると没収されてまうで。そんでも母は、食管法違反で2回捕まって、悲しい顔して帰ってきたもんやて」。

昭和29年、中学を出ると八百屋へ住み込みに入ったものの、翌年身体の弱い母に乞われ家業へ。

昭和39年、隣りの高鷲町から清子さんを妻に迎え、一男一女を授かった。

「ちょうど東京オリンピックの頃やった。それからしばらくは、子どもも多くて商売も一番ピークやったわ」。

高度経済成長は、オモチャにも変化をもたらした。

人生ゲームやオセロ等の「盤モノ」は、やがてTVゲームへ。

ボール紙を切り抜く、着せ替え人形などの「女玩(じょがん)」は、ビニール製のフィギュアへ。

ブリキ玩具は、セルロイドからプラスチック製へ。

「オモチャより何より、子どもが変わってまった。昔の子は、店に入って来ると、目がギラギラ光っとった。でも今の子は、騙(だま)かいたようなオモチャにゃ目もくれん。何でも妙に大人ぶって、本物志向やで」。

品定めに夢中な子どもたちを、温かな眼差しで見つめた。

「小さい頃、貧乏やったけど家風呂があって、いっつも近所の連中が貰い湯にやって来るんやて。だで、俺らいっつも一番ビリやわさ。でも皆『おおきに』って、煮た芋を持って来てくれたりして。今思うと昔は、人と人が支えあって、心と心で繋がっとったんやろな」。

子ども心に描く見果てぬ夢。

それを叶える魔法のオモチャ。

半世紀に渡り、子ども達に夢の欠片(かけら)を届け続けた男は、店先に傾きかけた西日を、ぼんやりと見つめていた。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 325」」への6件のフィードバック

  1. (笑)ゴンパチは私の子供の頃の夢の国でしたよ。春と秋の秋葉神社のお祭りの時は少しお小遣いが余分にもらえたからその時季がくると普段よりお利口さんになったりお手伝いしたり悪ガキながら知恵絞ってましたよ。写真の新しい場所じゃなくて昔の古くさい柱に落書きがあったお店しか知りませんが(笑)まだ越美南線の頃の話、電車も古ぼけた朱色のラインが入ってたかな。駅名も昔の駅名が並んでた昔々の時代です。

    1. そうかぁ!
      ヒロちゃんの郡上ってぇのは、八幡じゃなくって、白鳥なんだぁ!
      ぼくも最初にごんぱちに取材にお邪魔した時は、昔の古いお店でしたよ。
      昭和の名残がして、古いお店の方がぼくには親しみがあったものです。

  2. なかなか買っては貰えなかったけど、まさにおもちゃ屋さんは『夢の王国』でしたねぇ。ただ今はねぇ、「これがおもちゃの値段かぁ!」ってくらい高くて驚きますよ。 

    1. おもちゃ屋さんに一歩足を踏み入れると、今で言うディズニーランドに迷い込んだかのような、そんな全身が鳥肌立つようでしたもの。

  3. ボール紙を切り抜いての着せ替え人形…
    懐かしくて涙が出そう(笑)
    切り抜いた紙の洋服を 紙の人形の上に被せる時 洋服の肩辺りに付いてる白い小さな紙を人形の肩で折り曲げて 洋服が落ちないようにするんです。(男性方はイメージ出来ないかも( ◠‿◠ ) )
    人生ゲームやリカちゃん人形 アメリカンクラッカー もちろん おままごとセットやゴム飛びも。
    昔は 夢や想像も加わって 更に楽しかったような気がします。
    今は 毎回ブログを読みながら 想いを馳せたり 想像力を働かせたり出来るこの時間 好きですよ。

    1. 子どもの頃は、今よりもっと想像力がありましたものねぇ。
      お金がない分、あり合わせの物で遊び道具に見立てる!
      子どもながらの智慧がありましたねぇ。

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