今日の「天職人」は、愛知県犬山市の「仕出し屋」。(平成21年6月10日毎日新聞掲載)
大往生の婆さまを 野辺に送ったその晩は 子孫集いて偲び酒 拳固の数の競い合い 仕出し屋膳の精進は 薄口仕立て甘辛さ 儚き人の一生と どこか似ている味気なさ
愛知県犬山市で明治4(1871)年創業の仕出し屋「寅屋」。四代目主の佐橋利英さんを訪ねた。

濃尾平野を緩やかに河口へと下る木曽、長良の大河。
共に太古より、鵜飼漁法の伝統が今に受け継がれる。
「まあ、ちょっと木曽川の鮎でも召し上がってみて。これは鮎を甘露煮にした『あゆかん』と昔から呼んどるもんやけど」。利英さんは、飴色をした鮎の姿煮を差し出した。

「初代の寅吉が、魚屋町(うおやちょう)で一膳飯屋をやりかけたのが始まり。寅吉はでっぷりと太って、腹がドーンと突き出とったもんで、周りから『大寅』って渾名され、親しまれたらしい。それでそんなら屋号も『寅屋』でええわってことで」 。
利英さんは昭和12(1937)年、この家の次男として誕生。
だが、中学2年の年、兄は嫁と幼子を残し急逝。
跡取り息子に先立たれ、家業は両親と兄嫁とで切り盛りし続けた。
利英さんは高校を出ると、他所の仕出し屋で修業に。
「まあ丁稚奉公やわね」。
翌年、知り合いの勧めで、料理専門学校に入学。
2年後には栄養士の資格を取得し、料理教室の教壇に立った。
「22歳の年に家へ戻って、今度は家で料理教室を開きましてねぇ」。
しかし昭和38年、大黒柱であり続けた父が他界。
「それから本格的に家業を継ぐことになって、周りの勧めもあり、兄嫁と一緒になったんやわ」。
兄嫁政子さんと結ばれ、忘れ形見の長女典子さんが養女となった。
「その典子の連れ合いが私で、婿入りしたんですわ」。
傍らから五代目を継ぐ佐橋好春さんが、話しに分け入った。
そして翌年、利英さんと政子さんの間に、長男範保さんが誕生。
ちょうど世は、東京五輪に歓喜した年だった。
「家は仕出し屋でも、冠婚葬祭や仏事とか会合が中心。明治の初めに寅吉が始めた一膳飯屋が、やがて仕出し専門に代わり、お客さんが丼持って料理を買いに来るようになったんやわ。昔は本店の裏に映画館があって、切り溜めに料理を作っては、出前に行ったこともあったほどやて」。利英さんは記憶を手繰り寄せるように、目を閉じた。

「結婚式の披露宴の祝い膳なんかやと、12~13品もの目出度い料理がズラッと並んで。そりゃあもう華やかやったって。昔は家々に膳もお皿もあって、その家のお皿に綺麗に盛り付けるんやわ。でももう最近じゃ、そんな家あれへんって」。好春さんが苦笑い。

明治初期から親しまれ続ける寅屋の「あゆかん」は、まず鮎の串打ちに始まる。
次に煮崩れを防ぐために素焼きし、大鍋で40~50分ほど水煮する。
「素焼きしとかんとさいが、尻尾が溶けてまうで」。
そして身と骨が柔らかく煮上がったところで、砂糖と醤油に隠し味の梅干を加え、弱火でさらに1時間煮詰めれば完成。
この町で、夏のお菜(さい)と親しまれ続ける「あゆかん」。

一度(ひとたび)職人の手に掛かれば、晴れの日を寿ぐ膳の、見事な名脇役へと生まれ変わる。
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娘の雛開きのお祝いに、お客さんを呼んで、仕出し屋さんから、ご馳走をお頼みしました。とっても美味しくて心に残っています。最後は親戚のカラオケ大会となり、メッチャ近所迷惑でしたが良い時代だったとも思います。
それにしても、家業を継ぐことを皆さん素直に受け入れている方が多いですね。
親御さんのご苦労を見つめていらしたからでしょうか。
人生の定めって、簡単なようで、それでいて中々苦難なこともおありになるようですねぇ。
しかしそんなことにも、なかなか抗えないものですよねぇ!
骨の心配がいらなくて、丸ごとかぶり付ける鮎の甘露煮って美味しいですよねぇ。
骨までクタクタで、喉に詰まらせ心配も無くって、美味しいもんですねぇ!
お気に入りの熱燗や冷酒があったら、これまた最高!!!
我が家は本家なので 以前は法事を行う度に 仕出しを注文してました。
15人程のご飯とお味噌汁も。
大型の炊飯器と鍋に入って届きます。
最初から最後まで 気を張り詰めてたのを思い出しました。
いつからか簡素化されたので 遠い昔のようです。
ぼくも田舎のオジチャンの家の葬儀の席で、子どもながらに宛がわれる仕出しに興味津々だったものです。
だってお母ちゃんの料理じゃ、とても目にしたことも無いものも一杯あって!
でもどれもこれも迷い箸で、ちょいと摘んでまた次へ!
やっぱりお母ちゃんの手料理が大好きでしたねぇ。
仕出し屋さん、ワタクシが住む市之倉にも以前は三軒ありましたが、今は一軒のみ。毎年、同年の新年会を行いますが今年は中止に、、、。
仕出し屋さんの料理って、もう随分食べてませんねぇ!
大広間に皆が集って、マスク無しで仕出し料理で一献ってぇ普通の日々が、一日も早く戻って来てくれますように!