「天職一芸~あの日のPoem 317」

今日の「天職人」は、三重県伊勢市の「伊勢音頭最中職人」。(平成21年4月14日掲毎日新聞載)

神と民とが入り乱れ 神都華やぐ伊勢音頭            歩き疲れて立ち止まる 妻の目当ては伊勢最中         「餡が溢れんばかりだわ さすが紅谷ね。いい仕事」       どこかで聞いた台詞(せりふ)真似 妻は二個目を平らげた

三重県伊勢市、伊勢音頭本舗「紅谷(べにや)」。三代目、最中職人の辻幸保さんを訪ねた。

「こないだも、子どもらと歩いとったら『年金いくら貰(もう)とるの?』やと。頭もツルピカやで、老けて見られてもしゃあないけど、あんまりやさ」。幸保さんは、見事に照り返る頭部を撫で回しながら笑った。

「『この甘さがたまらん』ゆうて、ご贔屓(ひいき)にして下さるご住職がおられましてな。『葬儀の最中は、紅谷やないとあかん』って。こないだなんかこの頭で配達に行ったら、坊(ぼん)さんと間違われてえらい目に合うとこやったんやさ」。

幸保さんは昭和36(1961)年、3人兄妹の長男として誕生。

「元々魚屋やったんを、祖父の兄が潰してもうたんさ。花街で遊びすぎてな。それで昭和10年頃から、紅谷の前の屋号の扇月(せんげつ)清風堂をここに開業したんや。1階が和洋菓子の販売で、2階がパーラー。当時はもの凄いお客さんで、天井が抜けるほどやったらしい。でもあかんわ。戦争が激しなって砂糖も手に入らんで」。

戦後は、紅谷と屋号を代え再出発。

昭和20年代半ばには「伊勢の銘菓も数あれど、一に指折る伊勢音頭」と、紅谷の最中は歌に詠まれる人気に。

昭和58年、大学を出ると東京製菓学校で2年間学び、家業に就いた。

跡継ぎの目途も立ち、それ今度は嫁取りとばかりにお膳立ても整う。

早速見合いの席で、固唾を飲んで相手の到着を待ち侘びた。

だが一目顔を見合わせた途端、ビックリ仰天。

「アレ?小学生の頃、ようおちょくったった子やないやろか。それが元で、この子の兄貴によう虐められたけど。でも知らん間に、えらい別嬪さんになってもうて」。幸保さんの心は一瞬で釘付け。

昭和61年、ゆかりさんと結ばれ、一男二女を授かった。

「不景気になると最中がよう売れるんさ。甘いもん食うて、せめて気持ちだけでもほっとしたいんやろか?今しは、どこも糖分控えめの3等割が主流やけど、家は今でも同等割のまんまや」。

幸保さんは包み紙を開け、最中を2つに割って差し出した。

黒く艶光りする餡が、最中の種(餅子を搗いて伸ばした煎餅風の皮)一杯に押し込まれている。

寸分の隙間も無く、種から餡が飛び出すほどだ。

そのまま齧り付けば、濃厚でまったりとした甘さが、口中を覆い尽くす。

このまま呑み込むのが躊躇われる美味さだ。

伊勢音頭最中は、製餡所に依頼して茹で上げた国産小豆に、1日掛けて同等割の砂糖を混ぜ上げる作業に始まる。

2日目は寒天と水飴を加え餡の仕上げ。

後は最中種に、甘味をたっぷり身にまとった餡を、溢れんばかりに詰め込めば、昭和初めから庶民に愛される続ける最中の完成。

亡き母は、善哉(ぜんざい)をおかずに飯を食うほどの餡子好きだった。

日頃の無沙汰を侘び、命日こそは紅谷の最中を携え、ご機嫌伺いにでも出向くとするか。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 317」」への4件のフィードバック

  1. お団子に続いての最中。
    「待ってました!」って言いたいところだけど 最中の皮が ちょっぴり苦手。
    パサッとした食感と上顎にくっ付く感じが 如何にもこうにも苦手なんです。
    でも 中の餡子は大好き!
    このお店の餡子は かなり濃厚な甘さみたいだから 自分へのご褒美か 自分自身を奮い立たせる時に頂きたいなぁ〜。
    あっそうそう…
    先日の鏡開きの日に おしるこを作って食べましたよ( ◠‿◠ )

    1. たまにゃあ、温かホッカホカなおしるこやぜんざいって、心の中までほんわかとさせてくれますものねぇ。
      ぼくも生クリームよりも餡子派、しかも粒餡派です。

  2. 最中は歳を召した方がいただくものと若い頃、思って敬遠しておりました。しかし、オジイになったいま、最中をはじめおぜんざいもいただくようになりました。しるこサンドも好きになりました。

    1. 家のお母ちゃんは、大の餡子好きで、ぜんざいの残りを炊きたてのご飯にかけて、美味しそうに食べるほどでした。
      「そんなもん、腹ん中に入ったら、牡丹餅と一緒や」が口癖でしたもの。

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