今日の「天職人」は、岐阜市加納八幡町の「茶店の団子職人」。(平成21年4月7日毎日新聞掲載)
家族総出で川堤(かわづつみ) 花見の宴大賑わい そこもかしこも赤ら顔 湯呑み叩いて座敷唄 花見弁当食べ飽きて 兄と堤で蓬取り 母が案じてお迎えに 花見団子を振りながら
岐阜市加納八幡町の「だんごや」、四代目団子職人の森島豊美(とよみ)さんを訪ねた。

幕末の中山道を彩った、あの皇女和宮の輿入れ行列は、延べ50㎞にも及んだとか。
道中和宮は、加納宿本陣に宿泊し、中仙道を江戸へと下った。
その宿場外れに、江戸末期から続く茶店の団子屋がある。

「今も駅名にも茶所(ちゃじょ)という名があるくらい、茶店がよおけあったそうやわ。昔は、団子から餅菓子、天麩羅や焼き芋も出しとったらしい」。その名も「だんごや」の主、豊美さんは、店先で団子を焼く妻を盗み見た。

「十年前までは、テーブルも置いたったんやて。でも暇持て余しとるお婆さんなんかやと、団子一本で話しが長なるでかんわ」。夫婦は顔を見合わせ笑った。
豊美さんは昭和24(1949)年、次男として誕生。
高校を出ると直ぐ、他所の和菓子屋で修業に。
それから4年、職人としてこれからという矢先。
「父がもう歳やで帰って来いと。団子屋は、1日中立ち仕事で体力がいるもんやで」。
以来、日本の四季を彩る歳時記に合わせ、季節感漂う団子や餅で庶民の小腹を満たし続けた。
昭和54年、同県羽島市出身の恵子さんを妻に迎えた。
「昔からみたらしだんごは甘辛いもんやと思っとって、ここのを口にしたらお醤油味だけやもん。最初は『不味い!』って思ったけど、1本食べたらもう病み付き」 。
今が旬の花見だんごは、米粉をぬるま湯で手練りすることに始まる。

「それをボチ(生地の塊)にして、1時間蒸してから搗くんやて」。
次にボチ1に対し2の割合で砂糖を混ぜ、生地が熱いうちに手で練り込む。
「冷えると生地が締まってまうで。でも熱いで手なんて真っ赤やて」。
15分ほど手練りし、ボチを大きめに切り分け、再び40分ほど蒸し、塩を振りながら搗く。
次にボチを3等分にし、まず白を搗き、食紅を入れて赤を搗く。
最後に蓬を入れて緑を搗き、団子状に丸め3色を串に刺せば、昔の味と寸分違(たが)わぬ花見だんごが出来上がる。
「ここのはみんな美味しいよ。それに安全やし。保存料も添加物も入っとれせんで。何と言っても粉がええでねぇ。ほんだで噛んどると、後から甘味が出てくるんやて。奥さん、わし、おだんご7本包んで。それとあんころ餅と草餅も3個ずつ」。
客の老婆は団子自慢をひとしきり。
そう言われれば、確かに次々に訪れる客は、何はともあれまずみたらしだんごを所望する。

中には離乳食にと買い求める客もあるほど。
「団子作って37年。でも満足行く出来は、月に3~4回やわ。毎日同じ粉と水の量やに、季節で異なるんやで。団子も生きもんやでなぁ」。
五代目はと問うた。
「子宝を授からなんだでなぁ」。夫はこっそり妻を見やった。
「でも近所の子が『ぼくが後継ぐ』って」。妻が傍らで笑い飛ばした。

この世に角張った団子は無い。
どんな時でも団子のように、人の世もまあるく、ただ、まあるくありたいものだ。
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お醤油の焦げる匂いってタマリませんよねぇ。なんちゃって(๑´ڡ`๑)
上手い!
落ち武者殿~っ!
なごやンさんに、座布団三枚!!!
この時間に見るのは辛いわ〜(笑)
お花見だんごに みたらしだんご。
スーパーで買うお団子も 美味しくないわけじゃないけど やっぱり”このお店のお団子 ” が一番ですよね!
以前紹介した たこ焼き屋さんでも みたらし団子(一本80円) を作ってて 甘さ控えめで美味しいんです。
明日 両親に買って行こうかな⁈
…今の世の中 角張ってるというより剣山のよう。まぁるい世の中いつの日か。
そうですとも!
角張って刺々しく生きるより、やっぱまあるくまあるく!
あれっ?
ステイホームでお腹がまあるくならないように気だけは引き締めねば!!!
思い出しました〜 ╰(*´︶`*)╯
息子が少年サッカーチームに入っていた時に ✫だんごやさん✫の みたらし団子の差し入れをしていただき、息子がお気にいりに 後に息子と2人 自転車で買いに行った事がありました (◠‿◕)
香ばしい香りに我慢できなくて 途中の公園で ぱくり (✷‿✷)
幸せな息子との思い出です ◕‿◕。
素敵なひとときの思い出がよみがえったようですねぇ。