今日の「天職人」は、三重県南伊勢町贄浦(にえうら)の「からすみ職人」。(平成21年3月24日毎日新聞掲載)
隣の家のおばちゃんが 里の土産とカラスミを 「こんなに美味いものはない」 そういいながら差し出した 母の居ぬ間に妹と ちょっと端っこ齧(かじ)ったろ 「兄ちゃんなんや磯臭い」 「塩味効いたういろやろ」
三重県南伊勢町贄浦、からすみ加工販売のやまきち。三代目からすみ職人の中村和人さんを訪ねた。


「秋口になると昔はボラ網漁ゆうてな、山の上から見張りしとってさ。ボラの群れが来ると、港に向かって合図すんやさ。そうすると漁師らが足の速いミトブネで群れを追い駆け、石ぶっつけてボラ網へ追い込むんさ」。和人さんは、妻の淹れたコーヒーを啜った。
「ボラで一番金んなんのはからすみやけど、身も美味いんやに。春は刺身にチラシ寿司、それに塩焼きや唐揚げ。中でも一番はシャブシャブ。ところが今しは昔と違(ちご)て、身が市場で売れやん。四日市公害が問題んなって以来、臭いゆうてな」。
和人さんは昭和32(1957)年、3人兄弟の長男として誕生。
大学を出ると名古屋のスーパーマーケットに就職。
青果部門を担当した。
ところが昭和58年、母がクモ膜下出血に倒れ急ぎ帰郷。
そのまま家業に従事することに。
母の病を案じた帰郷とは裏腹に、密かな想いも認(したた)めていた。
その年、学生時代からの憧れだった、美人で3つ姉さんのひで子さんに恋心を打ち明け、見事本懐を遂げ結ばれた。
その後、双子の男子とさらに弟が誕生。

「ぼくが1800gで次男が1300g。大きなってお父さんとお母さんに聞いたら『お前らアオリ烏賊みたいにしとったでぇ』だって」。
双子の兄が大笑い。
何とも明るい一家である。
作業場はまるで家族の居間のようだ。
からすみ作りは、10月初旬から12月初めが勝負。
「ボラが10月頭から11月の初旬にかけて上って来るでな」。
昔は浜でもボラが大量に上がった。

「昔のことやで、雄雌まとめて船ごと全部で10㌧ほど買うたるんやさ。せやで当りも外れもごちゃ混ぜ。酷いと雌が3割に雄が7割とかで、勘定合わせんわさ」。
今は雌だけ選別されたものを買い入れる。
「腹触ってみるとようわかるに。ちょっと押しただけで精子が出るのが雄やで。でも中にはオカマみたいなんもおるんやさ」。
高級珍味からすみは、まずボラの腹を割くことに始まる。

「この人と違てな、義父は腹割くのがへたくそやってな。せやでいっつも卵まで傷だらけ。しかたないで義母が、傷を絹糸でよう縫うとったもんやに」。
ひで子さんがそう言いながら笑った。

「左手の人差し指の腹に右手で出刃の背を添え、指を先に押し出しながらスーッと割くのんがこつやで」。
次に血を抜き、塩漬けにして常温で2~3日保存。
続いて水に浸けては引き揚げ、2~3日かけて塩出しを繰り返す。
「塩が効き過ぎると固となるで、芯を残さんようにな」。
そして仕上げは板の上に並べ、10日ほどたっぷりと天日干し。

「同じ卵でも、別嬪さんもおりゃあ、18の生娘もお婆もおるで。形も味も全部違うんやさ」。

職人技と自然が育てたからすみは、艶やかな橙色(だいだいいろ)に色付き輝く。

贄浦に浮かぶ茜雲のように。
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そっか〜!形も味も違うんだ〜 ( ◠‿◠ )
この歳になって お目にかかった事がなく ましてや 食した事もない私。
日本三大珍味のひとつなのに。
ほんの少しずつ食べるものだという事は テレビで見た記憶が… 。
あと 熱燗に合うとも(笑)
最近よく熱燗を頂く私としては そそられるなぁ〜。
薄切りにして、キュウリや大根の薄切りと合体させて食べると、塩味も程よく薄まって、熱燗にゃあ堪りませんぜ!!!
今までに、口にした事があったか記憶に無いくらい縁遠い食べ物ですねぇ。
ぼくも数えるほどしか、口にしたことはありません。
とても一人で一腹は食べ尽くすには、果たして何日要することやら???
からすみは長崎県が名物で一度しか食してませんがふぐの卵巣はとは違う食感で上品な酒の肴ですね。伊勢志摩へ訪れた際に立ち寄ってみたいところですね。
ぜひぜひ南伊勢町へ、コロナが落ち着いたら出掛けて見てください。
* からすみ *
酒呑みには おーごっつおーですよ ☆
ビールではなく日本酒 (^-^ゞ
ばくっ! と 一口ではなく 少しずつ ちょこちょこと味わいながら楽しみますね (#^.^#)
コレステロールが気になる方は 食べ過ぎに 注意 ‼️‼️‼️‼️
そうそう、コレステロールはやっぱ気になりますものねぇ。
それと塩分も!!!