今日の「天職人」は、岐阜県下呂市萩原町の「凍み豆腐職人」。(平成21年3月3日毎日新聞掲載)
夜の帳(とばり)が降りる頃 庭に簾(す)を張り姉ちゃんと 豆腐並べを競い合う 寒の砌(みぎり)の益田(ました)風 四方(よも)の山間(やまあい)萩原に 朝陽がそっと顔を出しゃ カチンコチンの凍み豆腐 かじかむ指で掻き集め
岐阜県下呂市萩原町で、創業明治23(1890)年の戸谷(とだに)豆腐店。五代目の戸谷成樹(しげき)さんを訪ねた。

「『豆腐三丁と揚げ二つあげるで、ご飯食べに行こう』。これが最初に嫁をデートに誘った、口説き文句やったかな」。成樹さんは、ちょっぴり照れ臭げだ。
取引先の旅館でひろみさんを見初め、自慢の豆腐を餌に猛攻撃。

めでたく平成7年に結ばれ、一男一女を授かった。
「嫁のお母さんが大のこも豆腐好きで『こんないい縁談は無い』って」。

僅かばかりの豆腐の原価で、一生もんの幸せを手にした果報者だ。
成樹さんは昭和32(1957)年に長男として誕生。
大学を出ると横浜市の住宅会社で営業として勤務した。
「先代が難病を患い、入退院を繰り返しとったもんやで」。
26歳の年に帰郷し家業に従事した。
「最初は悩んだわ。住宅会社じゃ月に4~5000万円も売上たのに、豆腐屋じゃせいぜい一丁70~80円やで。でもそのうちに、豆腐作りの奥深さに魅せられてったんやわ」。
「凍(し)み豆腐」は、12時間大豆を水に浸す「浸け豆」に始まる。
そして水切りし石臼で磨り潰し、煮釜に移して煮上げる。
「豆腐の出来の良し悪しは、煮上げる温度で決まるんやて。94℃で大豆の青臭さを飛ばし、97℃に達したところで火を落す。それ以上温度を上げると、風味が損なわれるでな」。
次に遠心分離機で豆乳とオカラに分離。
豆乳を固める最低限の天然塩田苦汁(にがり)を加え、櫂(かい)でゆっくりとかき回す。
普通の豆腐より倍の時間をかけて寄せることで、さらに木目細かさが際立つ。
そして30分かけ熟成。
型箱に流し込み1時間押し上げればネタが完成。
一丁を6等分に切り分け、陽が沈むのを待ち、屋上のオニガヤの簾に一枚ずつ並べ、この地特有の益田風に翌朝まで晒す。
そして凍て付き、まっ黄色に変色した凍み豆腐を、沸騰後に火を落とした釜の中へ。
余熱で解凍させ、手で軽く絞れば、生の凍み豆腐が完成する。

「昭和30年代頃までは、藁で縛って吊るし、天日に干したもんやて。でもそれやと、日向(ひなた)臭いし蛋白質が変質するんやわ。だから今では、熱湯で解凍して絞った、生の凍み豆腐しか出しとらんのやて」。

凍み豆腐作りの季節は、1年にわずか厳寒期の50日程度。
「氷が1~2㌢張る、マイナス5℃以下やないと出来ん。だから今年は暖冬で1月末で仕舞いやわ。でも地元の人が心待ちにしとるで、作れる間だけでも作らんと。だから直ぐに売り切れやわ」。
一番旨い食し方は、と問うた。
「5㍉角に切って、味ご飯に入れて炊くんやて。自然に時間かけて凍らせたるで、豆腐もスカスカやなく固めや。だから大豆本来の味がちゃあんと残っとる」 。
冷凍機の大量生産ではない。
待ち人に思いを馳せ、古来の製法にこだわる職人の心意気。
成樹さんの凍み豆腐には、作り手の想いが凍み込んでいる。
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地域によって呼び名が違うのでしょうか『高野豆腐』の方が馴染みがあります。
子供の頃は、スポンジみたいで中からジュワッとお出汁が出て来る所が苦手でした。
高野豆腐と凍み豆腐は異なもので、完全に乾燥している高野豆腐とは違い、凍み豆腐は一旦凍らせた豆腐が自然解凍された様なものでした。
別物でしたか。近くのスーパーでは見かけないけど、オカダさんが良く行かれる(?)S井ならあるかしら。
S井なら、もしかしたらあるかも知れませんねぇ。
今度寄ったら探して見ましょう!
今晩は。
・凍み豆腐職人のお話ですね。
・凍み豆腐は、職人さんの手作りですね。
・私は、栄養豆腐,凍み豆腐,高野豆腐大好きですね。
旨みや栄養が ギュッと詰まってるんでしょうね⁈
自然の力 人間の知恵 歴史
この小さな食べ物から こんなにも考えさせられるとは!
色をあまり付けずに煮たほうが 良さそうですね( ◠‿◠ )
ぼくも淡い味付けの凍み豆腐で熱燗をキュ~ッと!
しかも雪見窓から真っ白に染まった景色でも眺められたら最高ですけどね。