「天職一芸~あの日のPoem 301」

今日の「天職人」は、三重県伊勢市の「山村ヨーグルト」。(平成20年12月9日毎日新聞掲載)

ぼくのクラスのマドンナが 風邪をこじらせ寝込んだ日      プリント抱えお屋敷へ 家(うち)の長屋と大違い       「ご褒美よ」っておばちゃんが 白いプリン?を差し出した    初めて食べて「甘酸っぱ!」 あの娘(こ)の好きなヨーグルト

三重県伊勢市、大正8(1919)年創業の山村乳業。二代目主、山村鹿雄さんを訪ねた。

「今し4000軒ほどやろか。毎朝牛乳やヨーグルト積んで、配達させてもうてますんさ」。鹿雄さんは、昭和の面影を色濃く残す事務室で微笑んだ。

鹿雄さんは大正15年に、12人兄弟の7番目として誕生。

尋常高等小学校を出ると、昭和17(1942)年に鳥羽市の電気関係の会社に入社。

「そのうちに空襲がひどなって、空から米軍が『日本が負ける』って書いた、ビラ撒(ま)いてきよるんやさ。みんなが『そんなもん拾(ひろ)たらかん!』ちゅうてな」。

いよいよ敗戦も間近になると、B-29の襲来も激しさを増し、神々住まう伊勢の都を焼き尽くすほどの勢いに。

「ちょうどその頃、牛が10頭ほどおって、焼けてもうたらかなんで、首の鎖切って放したったんさ。そんでも牛たちは呑気なもんで、隣りの畑で芋の葉食べとったんやで」。

しかし焼夷弾に焼かれた火の手は、鹿雄さんの牛舎にも迫る。

「隣組の人らが『わしんとこは丸焼けや。まだ、あんたとこは大丈夫やで』って、バケツ持って駆けて来て。そしたら肝心の水があらしませんのさ。そのうち『これやっ!』って、牛のションベンの溜まり場から、バケツに汲んで消火してなあ。それで何(な)とか類焼を防げましたんさ。せやけどその後が、かなん!えらい臭(くっ)そてなあ」。

戦後は牛の餌用に、母と一緒に草を刈り、近所から人参の葉をもらい集め牛に与えた。

「配給が続く食糧難で、栄養が行き届かん時代。みんなこっそり牛乳を買いに並んだもんやさ」。

昭和31年、経済白書の副題に「もはや戦後ではない」という言葉が登場し、高度成長時代へ。

同年、近在から郁子さんを妻に迎え、二男一女を授かった。

昭和34年、行く末を左右する大きな転機が到来。

「岐阜大の先生が、ヨーグルト製造の教えを広めにやって来たんやさ」。

当時、1週間の授業料が35万円。

多額な授業料を工面し、新しい時代へと漕ぎ出した。

それが山村ヨーグルトの誕生。

まず無菌状態の培養機の中で、フラスコに注いだ牛乳と、第1次マザースターター(ブルガリア菌1に対し、ラクチス菌2の割合)と呼ぶ菌を入れ培養。

次に孵卵器(ふらんき)に入れ5~6時間。

固まったところで脱脂粉乳と生乳、それにズルチン(創業当初のみ使用)を加え攪拌(かくはん)し蒸気殺菌へ。

そして瓶詰めにしたヨーグルトを冷却し翌朝配達。

今でも昭和のままの、味わい深さが口の中に溶け出す。

現在は三代目の豊裕さんと、妻の美佳さんが家業を継ぎ、ヨーグルト誕生からはや半世紀。

今では美佳さんが開発した豆乳ヨーグルトも加わり、一日に1500本を製造する。

食の安全が問われる時代。

だからこそ、親子二代8つの眼(まなこ)が、我が子に接するような厳しい眼差しで、製造から配達までを見守り続ける。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 301」」への9件のフィードバック

  1. 全ての生命を守るため 繋げていく為に凄い時代の中を駆けて行かれたんですよね。
    感謝して美味しく頂かないと… って思うんだけど ヨーグルト全く食べられないんです。前にも話しましたが。
    何回かチャレンジしたけど。
    匂いや酸っぱさみたいなのが どうしても無理で。
    ブログでいろいろ食べ物が登場してきたけど 唯一食べられないのがヨーグルトでした。
    牛さん ごめんなさいです(泣)

    1. 温かな日本蕎麦の出汁に、プレーンヨーグルトを溶かして見ると、ちょっぴり酸味のある日本蕎麦、信州木曽路の「すんき蕎麦」みたいで、きっと食べられると思うんだけどなぁ!

  2. 子供の頃、写真のような瓶に入ったヨーグルトを食べた事があるけど、最近は見かけないなぁ。オカダさんは、どう?

    1. ぼくも最近は見かけませんねぇ。
      子どもの頃は、そんな高価な物、買って貰えませんでしたもの。

  3. 「天職一芸〜あの日のpoem301」
    「山村ヨーグルト」
    1週間の授業料が さ、さんじゅう5万円
    とは その当時としては 大変な金額ですよね。ヨーグルトを食生活に取り入れるまでには かなりの時間がかかったのですね。 
    写真のなかのフルーツ牛乳がとても懐かしいです。おばあちゃん家に行くとお風呂あがり用にフルーツ牛乳があると嬉しかったです。

  4. 今晩は。

    ・山村ヨーグルトのお話ですね。
    ・山村ヨーグルト美味しそうですね。

    ・私は、瓶入りのヨーグルトは、贈答で貰ったら食べます。普段は、スーパーに売っているプレーン味のヨーグルトを、食べます。

    私は、ヨーグルトは、好きです。

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