「天職一芸~あの日のPoem 278」

今日の「天職人」は、三重県桑名市の「八百屋」。(平成20年5月13日毎日新聞掲載) 

商店街を妹と 端から端へ駆け回る               「今日は何屋を真似て見る? 寿司屋ゴッコはどないやろ?」  「嫌や兄ちゃんずる過ぎる たまにはうちが八百屋さん」     色紙土間に並べ立て 「毎度おおきに」春爛漫

三重県桑名市、寺町商店街。路地野菜を中心に扱う八百屋、アサキ商店二代目の浅野雅基さんを訪ねた。

夕暮れ時の商店街が、買い物籠を手にした主婦で賑わい出した。

漂う焼き魚の煙り。

天ぷら油の爆ぜる音。

売り子と客の親しげな声が飛び交う。

ここには洒落た舶来品が居並ぶ店など見当たらない。

だから隙のない化粧で身構え、客を見下す傲慢な店員もいない。

売り子と客を分かつ境界線がないから、何処の家の冷蔵庫に何が残っているかも先刻お見通しだ。

「家は姉と妻の三人でやっとんやで、お得意さんの顔も素性もみんなよう知っとりますわ」。雅基さんは、店先を行過ぎる馴染みの客に声をかけた。

写真は参考

アサキ商店は、昭和10(1935)年に父が創業。

雅基さんは昭和19(1944)年に3人姉弟の長男として誕生した。

高校を卒業すると料理人を志し、地元料亭の板場へ。

「何か手に職をと思って」。

とは言え、板場修業の厳しさは並大抵ではない。

半年間は、明けても暮れても洗い場専属。

次にやっと漬け物の担当へ。

「四季折々に旬の野菜を漬け込むんさ」。

そうしてやっとの事で焼き方へと昇格していった。

丸4年間の板場修業を終え家業に。

「オリンピックが終わって間もない昭和41(1966)年のことやで、みんな自転車で仲買まで買い出しに行くんやさ。ちょうど自転車から、車の世の中に変わりつつあった時代やったでなぁ。あの頃は地べたに松茸が山に積んであって、アンコが太(ふっと)い声枯らして『ハイッ、一山いらんか』ってな調子で。それでも誰(だあれ)も見向きもせんのさ。今やったらえらいこっちゃわ」。雅基さんは懐かしそうに店先を眺めた。

春は蕨(わらび)に薇(ぜんまい)、筍。

夏になれば胡瓜と西瓜に瓜。

早稲蜜柑が秋の訪れを告げれば、茄子に栗と柿、それに茸。

冬はほうれん草と白菜に大根。

季節の野菜や果実たちが、八百屋の店先を彩り、今が旬を競い合う。

「嫁いで間もない嫁さんらは、八百屋で桑名の味付けや、調理の仕方を聞いて覚えてくんやさ」。

写真は参考

しかし昭和45(1970)年代に突入すると、大型スーパーの誕生で商店街の客足も疎らに。

「桑名近郊で240~250軒あった八百屋が、今はたったの80軒やで」。

それからしばらく後、知人の紹介で山口県出身のうら若き美人売り子が看板娘として加わった。

店先に並び、盛りを競う旬の野菜と旬の娘。

真っ先に旬を手にしたのは、もちろん雅基さんだった。

昭和53(1978)年、看板娘の八重子さんを射止め、一男一女を授かった。

「妻は討幕派の長州から、幕府方の桑名に寝返ったみたいで、不思議なご縁やさ」。店先で八重子さんが微笑んだ。

「旬が来ると野菜の声が聞こえるんやさ。『はよ、薄味で炊いて鰹節ふってや』って」。

雅基さんは筍を手に取り、慈しむ様に見つめた。

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投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「天職一芸~あの日のPoem 278」」への11件のフィードバック

  1. いいなぁ〜 こういうお店( ◠‿◠ )
    季節感がはっきりわかるお店。
    スーパーの食品売り場では 季節感がわからなくて 常に同じ顔ぶれのような気がして…。だから 季節物を探す時は 物凄くゆっくり歩いてキョロキョロしちゃってます (笑)
    写真の野菜たちは われ先に喋りたがってるように見えますよ( ◠‿◠ )
    「見て見て!今が旬ですよ〜。どうですか〜?」

    1. そうやって、ゆっくり食材に問いかけて見るのって、メッチャ贅沢な時間ですよねぇ!

  2. 八百屋さんでは、ほとんどがバラ売りでしたね。(なかなか経済的。)
    そして柱に吊ってある、新聞紙で作った袋に入れてもらっていました。
    その袋が好きで、それをお手本にして、家で黙々と作って遊んでいました。

    そう、調理法を聞けるのも良かったですね。オマケしてもらったり。(^^)

    1. そうなんですよねぇ。対面販売の良さって!
      だって旬の野菜と、旬の野菜の一番美味しい調理法を知っているのは、やっぱ八百屋さんですもの。

  3. 周りを見渡しても八百屋さんはありませんねぇ。子供の頃、母と一緒に行った八百屋さんが懐かしい。

    1. ぼくがお母ちゃんに手を引かれていっていた八百屋さんには、蠅捕り紙が吊り下げられ、いつも蚊取り線香が燻っていたような気がします。

  4. 昭和時代
    町内に「八百屋」ってあって!
    おかあちゃんは籐で出来た買い物かごに「がまぐち」を入れて
    可愛い僕の手をひいて、よく買い物に行ったもんです。
    八百屋のおじさんが
    「ボク、アメやるわぁ~」
    人見知りのあたしは、母親の後ろに隠れて、アメが欲しいけど
    オジサンの側に行けない
    そんな可愛いあたしでした。
    えっ?面影がない⤴
    まぁ~⤴65歳のオジサンともなると薹もたちますがねぇ!

    1. ちっちゃい頃って、人間も動物も、襲われないために、皆が皆可愛く思われるように出来ていたのでは???
      それがま、ま、まさか・・・落ち武者に変わり果てようとは???

  5. 今晩は。
    ・八百屋のお話ですね。

    ・八百屋さんは、あまり見ませんね。

    ・私は、八百屋で、実際に買い物をした事が有りません。(身内と八百屋さんで買い物を、した記憶が有りません。)

    ・スーパーマーケットで、買い物をした事は、有ります。

  6. じつはこの様な八百屋さん、高校の通学路に有りましたし、いまもあるそうです。大垣市の田町、まだ古い家並みがひしめく界隈です。通学時たえず、水が流れる音がしていたと思います。半世紀ほど前の、まだ自分が何者か、いやいまも何者かわからんけれども、青い人生の春でした。自宅がお店、ってところが激減しましたね。

    1. さすが、水の都「大垣」ですねぇ。
      ぼくも未だに自分が何者で、何処へ向かおうと放浪しているのか、自分でもさっぱり分かりません。

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