今日の「天職人」は、岐阜市真砂町の「ストリップ劇場小屋主」。(平成20年4月29日毎日新聞掲載)
ミラーボールも悩ましく ホールに星が乱れ舞う ムード歌謡の曲に載せ 「待ってました」と声が飛ぶ 芸子姿の踊り子が スポットライト艶(あで)やかに 帯を解けば濁声も ヤンヤヤンヤの大騒ぎ
岐阜市真砂町のストリップ劇場「まさご座」。二代目小屋主の玉木国大(くにお)さんを訪ねた。

「なるべく踊り子の裸、見んようにしとるんやて。何十年もこの家業やっとると見飽きてまってなぁ」。国大さんは、ちょっぴり照れ臭さげに煙草の煙を吐き出した。
国大さんは昭和16(1941)年に、7人兄姉の末子として誕生。
「ここは終戦後の昭和22(1947)年に、芝居小屋として親父が開業したんやて。
歌謡ショーから浪曲、漫才から宝塚歌劇まで。
「最盛期は三波春夫や村田英雄、コント55号に間寛平、それに宝塚のトップスターも来とったんやて」。
しかしお茶の間に映画やテレビが台頭し始めると、一転芝居小屋は娯楽の王様から凋落。
「ちょうど大学3年の頃、昭和37(1962)年頃やったかなぁ。常打ち芝居で客が入らんくなって、女剣劇一座が胸元を大きく開けてお色気を出すようになったんやて。それが芝居小屋からストリップ劇場への転換期やった」。

翌年大学を卒業すると、兄が経営する映画館に入り映写技師を3年務めた。
その後父のまさご座に移り、照明係を担当。
「照明係って言っても、ライト照らしとるだけやし。どうしたら踊り子を艶(なま)めかしく見せられるか、そればっかり考えとったわ。昔は今と違って、ヘアも見えるか見えんか瀬戸際の時代やったし」。

昭和42(1967)年父が他界。
二代目小屋主を引き継ぐことに。とは言え、まだ弱冠26歳の若者だ。
10日毎に総入れ替えとなる旅の踊り子と、一つ二つロマンスが芽生えたとて不思議なことではない。
「昔の踊り子はヒモ付きが多かったんやて。子持ちの踊り子もおったし、楽屋で寝泊りするヒモもおったって。まあ今はそんなもんおらんけどなぁ」。
遠い記憶をたどるように、吐き出した煙草の煙の行方を見つめた。
「楽屋で母相手に、踊り子等が小声で身の上相談ようしとったわ。自分等の母親くらいの歳やったで、話やすかったんやろ」。
昭和52(1977)年、踊り子達からも慕われた母が他界。
国大さんが36歳の年だった。
母を失った哀しみを振り切るように、九州出身の踊り子であったカツコさん(享年52)と結婚。
一男一女に恵まれた。
小屋主と舞台に舞う踊り子の、ロマンスはやはり強かに育まれていたのだ。
「昔の踊り子は、よう柳ヶ瀬飲み歩いてお金を落しとったわ。そうすると今度は、飲み屋の客が踊り見に来るで、金がうまいことまわってく。でも今の若い踊り子さんは飲みにもでかけんと、しっかり貯め込んどる見たいやわぁ」。

2本目の煙草に火を燈しながら、大きな声で笑った。
「朝から晩まで、弁当持参で一日中座っとる常連もおるし、若い踊り子には全国から追っ駆けも来るし。タンバリンや紙テープ持参でな」。
踊り子は日陰に咲く、庶民の徒花(あだばな)。
ならば小屋は、泡沫の男の隠れ家。
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夜になると、きらびやかな建物で『銀映』って言う劇場がありました。子供の頃は、何だろうと?と思ってましたが、もしかして、オカダさんも行った事があったりしてぇ〰〰〰。
出来町の角でしたっけ???銀映があったのって???
そう言えば、鶴舞劇場も、大江劇場ももう無くなってしまいましたねぇ。
ぼくは残念ながら、銀映に行ったことはありませんねぇ。
正直、行ってみたいと思っているうちに、時代が変わり果ててしまっていましたぁ。
いろんな分野を取材されているんですねスゴイです、読ませて頂くのも楽しみです。
よく消防団の旅行が北陸泊→柳ケ瀬→まさご座のパターンが多かったと聞いてます。知り合いから聞いた話では客席はまさに異次元空間で記事の様にやたらリズム感のいいタンバリンで会場を盛り上げる人もいれば最前列で1日中、独り言をぶつぶつ言いながら観ている正体不明なオジさんが居たりと面白い所だったと言ってました!
あくまで知り合いから聞いた話ですが····(笑)
庶民の男どもにとっちゃあ、それこそがささやか~な、束の間のトキメキを覚える瞬間だったのでしょうか???
いつもご覧いただき、ありがとうございます。
これからも気が向いたら、コメントにご参加くださいね。
芝居小屋は地方でも見かけましたが、街の映画館と共に数が減ってますがテレビのお笑い芸人さんの在り方も一昔前と比べて活動するスタンスはかなり変わりました。芸人さんとタレントさんの境界線も曖昧なのでテレビを見る側も飽きている傾向にあるように思います。
きっと泡沫の時間の積み重ねと繰り返しが、その時代時代の合わせ鏡のような、笑いだったりするのかも知れませんねぇ。
なんだか いろんな人生模様があるような… 。
踊り子さんもお客さんも 一夜の夢物語の主人公のような。
劇場が 男性にとって泡沫の隠れ家なら ランチをしながらの井戸端会議が 女性にとっての秘密基地かな⁈(笑)
あらら、まさに仰る通りかも!!!!!
まさご座かぁ~⤴
行った事がない・・
まぁ~⤴行きたいとも思わないけどねぇ!
ホント!マジでぇ!
そう言えば、昔、子供の頃
「セントラル劇場」って言う名前のストリップ劇場があったけど
いつの間にかなくなって・・
それに比べると老舗の「まさご座」頑張っていますねぇ!
男はスケベだねぇ!
えっ?あたしもスケベって!
勿論!人はあたしの事を「○○○っち」と呼ぶ!
でも、スケベ心を失っちゃ、男も台無しじゃない!!!
枯れ果てるまで男は男でなきゃ!
今晩は。
・ストリップ劇場小屋主のお話ですね。
・私は、実際にストリップ劇場に行った事が、有りません。身内からストリップ劇場のお話を、聞いた事有りません。
まさご座さんは、全国的にも有名な老舗ですよね。
その昔、一条さゆりさんも出演されたのでは?
彼女には、色々な伝説?があったと記憶しております。陰ながら、応援しておりました。
愁いを帯びた踊り子さんは、妖艶なものですよねぇ。
* まさご座 *
父親も若い頃は 仕込みを終わらせ パチンコか、まさご座に 通っていた!と聞いた事がありました。
カラオケの十八番が 村田英雄さんや三波春夫さんだったので その影響だったのかも ?
私もバブルの頃 飲み会後に 1度だけ上司に連れていって貰い まさご座で ストリップを見た事がありますよ ‼️‼️
「 どうなってるの ?? 上手く 隠してるな~!」と 興味深く見ていた記憶が (@_@)
見えそうで見えない!
それがまたそそるんですねぇ!
まさご座ではありませんが、以前の職場で下呂に泊まった時に後輩の女子たちから頼まれて劇場へ連れて行った思い出があります。みなさんとても喜んでいました。イイことしたなあ~!でも個人的には純粋に楽しめんかったわ~!
そりゃあ、人目を忍んで出掛けなきゃ、男は楽しめないってもんじゃないですか???
ましてや会社のうら若き女性陣を従えていちゃあ!!!
ご苦労様でしたぁ!
興味深く読ませてもらいました。
2枚目の写真(まさご座の地図が写っている写真)はどこかに貼られているチラシでしょうか。
教えていただければ幸いです。
ご覧いただき、またコメントもお寄せいただき、誠にありがとうございます。
まさご座さんの2枚目のチラシは、郷土庶民史収集家の方の所有物です。