今日の「天職人」は、愛知県豊橋市の「稲荷寿司職人」。(平成20年4月1日毎日新聞掲載)
堤に沿って漫ろ行く 川の字歩く親子連れ ソメイヨシノの薄紅も 川面彩り春爛漫 土手に風呂敷桟敷席 お重を並べ店開き 子らは堪らず手を伸ばす お稲荷さんと卵焼き
愛知県豊橋市、稲荷寿司弁当一筋の合資会社壷屋弁当部。六代目店主の松尾浩志さんを訪ねた。

♪汽笛一聲新橋を♪
ご存知鉄道唱歌の一節だ。
明治33(1900)年発表のこの曲は、新橋を出発する1番から始まり全66番にも及ぶ。
その30番目
♪豐橋おりて乗る汽車は これぞ豐川稲荷道 東海道にてすぐれたる 海のながめは蒲郡♪ とあり、東三河の地名が歌い込まれている。
浩志さんは、時代がかった包装紙の稲荷寿司を差し出した。

「稲荷寿司の発祥は諸説ありますが、豊川稲荷の門前で天保の大飢饉に考案されたものとか。今はありませんが、家は壷屋旅館の弁当部として、明治21(1888)年の豊橋駅開業の翌年に創業したんですわ」。
誰もが必ず口にする庶民の味。
煮詰めた油揚げに酢飯という、素朴さゆえに下手な誤魔化しなど通用しない。
浩志さんは昭和38(1963)年に、長男として誕生。
東京の大学を卒業すると、横浜の大手百貨店で外商の仕事に就いた。
「やがては家の仕事に戻らんといかんし、父から他所でしばらく勉強してこいって言われとったもんで」。
しかし平成3(1991)年、父が癌を発病。
「もういくらも長くないと言われ、横浜の会社に辞表出して戻ったら、その途端に父が亡くなりましたわ」。
先代から仕える番頭や使用人に支えられ、六代目を引き継いだ。
それから3年。
知人の紹介で半田市出身の幸代さんと結婚。
一男一女を授かり、家業に励んだ。
100年以上の名代の逸品、壷屋の稲荷寿司は、甘辛の濃い口味に煮上げた油揚げが特徴。

まず油揚げを俵型になるよう半分に切り、20~30分お湯炊きし油分を抜く。
次に醤油、白砂糖、ザラメでタレを作り、甘辛の濃い口味が染み渡るよう1時間以上コトコトと煮上げる。
それにちょっと酢っぱめに調味した酢飯を入れ、俵型に握れば完成。

一折に7つの稲荷寿司が、片側に4個、そしてもう片側には3個。
いずれも右肩下がりに並べられ、時代が偲ばれる包装紙に包まれる。
「なんでお稲荷さんを斜めに並べて入れてるかって?なんでやったやろ?そう言えば、斜めに入れてあると、キツネの顔に見えるとかなんとか言うとった気もするしなぁ」。
浩志さんは照れ笑いを浮かべた。
週末ともなれば、3000折も製造する忙しさ。
「だいたい米4升炊いて50折ですから、えーっと全部で、24斗ぐらいですか」。
その途方も無い数の稲荷寿司は、すべて人の手によって握られる。
「たまにお客様からお小言を頂戴するんです。油揚げの味がどうやったとか、こうやったとか。でもそれは、家の味を覚えてくださっとるんやでって、逆に皆で励みにさせてもらってます」。
豊橋駅のホームに発車のベルが鳴り響いた。
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子供の頃は、かんぴょうが食べられなくて、のり巻きよりいなり寿司の方が好きでした。一口ガブリとすると甘辛い煮汁がじゅわ~ッ⤴️
かんぴょう、ぼくもちょっと苦手でしたねぇ。
こんにちは。
・稲荷寿司職人のお話ですね。
稲荷寿司専門店が有るのですね。
・写真の稲荷寿司美味しそうですね。
・稲荷寿司は、職人さんの手作りなのですね。
・私は、稲荷寿司好きです。
稲荷寿司は、手作りで作りません。
稲荷寿司は、スーパーかコンビニエンスストアかドラッグストアーで、買います。寿司は、生物を、食べません。玉子,かっぱ巻き,エンガワ,穴子等は、食べます。
今晩は(^-^)
稲荷寿司は良くおばあちゃんが作ってくれました。大きいお鍋に油揚げを半分に切って水 醤油 みりん 砂糖(黄ザラ)を入れてコトコト時間かけて煮てご飯を炊いて樽に炊きたてのご飯を入れてすし酢を入れながら混ぜていました。ちなみにおばあちゃんが混ぜている時私が団扇であぶくお手伝いを指定いましたよ(^-^) 稲荷寿司を作ってくれる時は運動会や遠足や地元のお祭りの時だけです。 今はもうおばあちゃん亡くなっていないけど八百屋やスーパーなどに売っているから食べたい時はいつでも買えるからありがたいです(^-^) でもおばあちゃんの稲荷寿司は特別に美味しいです(^-^)/
おばあちゃんのお稲荷さんの味は、いつまでたったった、おばあちゃんならではの味なんでしょうねぇ。
* 稲荷寿司 * で思い出すのは、小学校の行事 遠足と 運動会 先生達のお昼は父親が作った稲荷寿司でした
(*⌒3⌒*)
前日の夕方 多きな鍋で 油揚げに味付けをして一晩寝かし、当日は朝早くから 両親と板前さん達は寿司飯を詰め 寿司折りに。 風呂敷に包み 遠足の時は 私と一緒に登校 しました❗
私達のお弁当も母は忙しいので、 毎回 父親が作った稲荷寿司に 卵焼き 赤ウインナーでした~
タコさんウインナーではなかったです
〰️
それはプロの作る稲荷寿司ですから、メッチャ美味しかったでしょうねぇ。
赤ウインナーのおかずは、これまた無くてはならない、昭和のお弁当ですよねぇ。
「天職一芸〜あの日のpoem273」
「稲荷寿司職人」
お稲荷さんと巻寿司
これも母の得意料理です。美味しかったです。酢飯がほどよくパンパンに詰め込まれたお稲荷さんでした。お手伝いをしながら角っこに先に酢飯を入れると綺麗に仕上がると教わりました。
「あっ!」とやぶれたのは違うところに置いておいて後で食べて良いことになってました。
初めの頃は「あっ!」「あ〜っ!」と何回言った事やらです。
なるほど!!!
家のお稲荷さんなんて、油揚げがはち切れそうなほど、パンパカパンに酢飯がてんこ盛りでした!!!
私の母は 巻き寿司をよく作ってくれてたんですけど 私もかんぴょうが少し苦手なので 私の分だけ かんぴょう無しの巻き寿司を作ってくれました。
スーパーで稲荷寿司を自ら手に取るのは ここ数年の事かも知れません。
ちょっと小ぶりの稲荷寿司が並ぶようになったからかも。
特に 柚風味の稲荷寿司があると すぐ買っちゃいます( ◠‿◠ )
先日 コンビニで小ぶりの稲荷寿司(3個入り) を買ったら 予想より美味しかったから びっくりしちゃいました。
お稲荷さんって、妙に食べたくなる時が、こんなぼくにもありますよぅ!
今晩は(^-^)
おばあちゃんは私が16才の時に74才で亡くなりました(^-^;
生きていれば今年で115才です(^-^) でも65才ぐらいからボケたのでね(^-^; でもおばあちゃんはまごつかない為なら一生懸命稲荷寿司を作ってくれるので嬉しかったです\(^_^)/ ちなみにおばあちゃんは明治38年生まれでおじいちゃんは明治36年生まれでおじいちゃんも生きていれば117才ですよ(^-^)