今日の「天職人」は、岐阜県美濃加茂市の「ポッポ屋」。(平成20年3月18日掲載)
白い蒸気を吹き流し 機関車は行く奥飛騨へ 蓬に土筆川堤 春摘む子らが手を振った
ここらで昼にしましょうと 母がお結び広げたら 「トンネル近い窓下ろせ」 車掌の声に大慌て
岐阜県美濃加茂市。長良川鉄道のポッポ屋、纐纈文雄さんを訪ねた。

「ブレーキは生き物やで。まず試しブレーキ掛けて、列車の癖を見抜かんと。昔のSLやと蒸気上がりの顔があって、機関士は番号で覚えとったもんやて。『あっ、今日はC‐58の208や。こいつはあかんぞ』ってな調子で」。文雄さんは駅の事務室から、今着いたばかりの列車を見つめ懐かしそうにつぶやいた。
文雄さんは昭和19(1944)年、同県八百津町の農家に次男坊として誕生。
高校卒業と同時に国鉄に入社し、美濃太田機関区へと配属された。
「毎日、機関車のボディーや車輪の掃除ばっかやて。手元にボロ布(ぎれ)巻いて、煤や油汚れを拭き取るんやわ。それが終わると今度は、蒸気を立ち上げる点火作業。これがまた石炭になっかなか火が点かんのやて。古い枕木に煤で真っ黒になったボロ布巻いて、それを種火にして」。遠くの山並みを見つめながら、若き日を振り返った。
翌昭和39(1964)年、愛知県稲沢市の第一機関区に転勤。
機関助手としての乗務が始まった。
「主な仕事は石炭の補充と管理。蒸気の加減弁引いてブレーキかけると、蒸気が一斉に噴出してまうもんやで、今度はまた蒸気の圧力を高めとかないかん。そんだでまた、せっせと石炭くべて罐焚きやわ」。
岐阜から高山までの区間で、約2㌧の石炭が焚かれた。
昭和41(1966)年には再び美濃太田機関区へ。
生まれ育った故郷の町並みに、蒸気を燻(くゆ)らせながら乗務に励んだ。
「昔は12両くらい連結して運行しとったんやて。1両が約30㌧やで、総重量360㌧やわ。だからブレーキの込め具合が肝心。駅の進入時までに速度を50㌔に減速し、ブレーキに空気圧を込め直して、ホームに入ってもう一回ブレーキ掛けるんやで。だからカーブや勾配のある場所を、線路図丸ごと頭ん中へ叩き込んで、身体に教え込むんやて」。

ブレーキのタイミングは、空気圧の残量を頭に描き、腰から背で車両の重さを感じながら、効き具合を加減する。
昭和44(1969)年、SLからディーゼル機関車へ。
「ディーゼルの助手は、蒸気と違って何にもすることないんやて。たまに指差し確認するくらいで。一番重要な仕事は、タブレットという安全確認の通票の管理やわ」。
昭和47(1972)年、国鉄仲間とのキャンプで知り合った桃子さんと結ばれ、一男一女に恵まれた。
「今で言う合コンやて。俺が道化役で、二人のキューピッドやわ」。
同期入社の運転士、土屋三彦さんがお茶を入れながら笑いこけた。
その後昭和62(1987)年、国鉄の民営化で長良川鉄道に出向。
60歳でJRを退職しそのまま長良川鉄道に入社。

現在も現役を貫き通す。
「親父の代からポッポ屋。こいつも俺も未だ現役、同期のポッポ屋やわ」と、土屋さん。
ポッポ屋二人の笑い声に、汽車を待つ乗客が振り向いた。
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今から10年ほど前だったか、名古屋の町をSLが走るとの情報に《ささしま》まで見に行きました。待ってる時間の方が長く、あっと言う間だったけどワクワクしたなぁ\(^o^)/
あっ、そう言えばそんなイベントがありましたねぇ。
そうでしたか!お出かけになられましたか!
「天職一芸〜あの日のpoem 271」
「ポッポ屋」
祖母の家に遊びに行くと田んぼから水が流れてくる用水路に沿って歩いて下っていくとSLがとても美しく見える場所があって手を振っていた事を思い出しました。懐かしいです。手を振りたくなりますよね。何故でしょうね。
分かります、分かります!
あの雄姿を眺めると、ついつい「頑張れ!頑張れ!」と、手を振りたくなるのかも知れませんものね。
鉄チャンではありませんが!
以前、バスツアーで大井川鉄道のSLに乗りましたが
列車内は椅子などは木製でテトロな感じでしたが
いざ!乗るとSLに乗っている気分にはならない・・
やはり、見て感動するものですねぇ!
新幹線もしかり・・
ササヤカァ~~な!夢はグリーン車にはいつかは?乗ってみたい⤴
あたしって小さい人間だねぇ⤴
確かに仰る通り!
乗り物って、乗っていては、その美しい姿を自分の目で眺められませんものねぇ。
今もなお現役のポッポ屋。
そして 青年のままのポッポ屋。
なんだか クスッと微笑んでしまいそう。
SLやディーゼル機関車に乗車した経験はないけど きっとワクワクが止まらない時間を過ごせるんでしょうね( ◠‿◠ )
何十倍にも楽しめる旅行になりそう。
ぼくは子どもの頃、カブスカウトの行事で岐阜の中津川とか、長野に向かうために、何度か蒸気機関車の旅をしたものです。
トンネルが近付くと、前の車両の方から順に「窓を閉めろよ~っ、トンネルだぞ~っ」と、どこからともなくそんな声に促され、木製枠の窓を慌てて閉めた思い出があります。
でも中には、窓枠が中々下ろせず、そのままトンネルに突入してしまうと、開いた隙間から蒸気機関車の煤煙が忍び込み、窓枠を必死に下げようとする掌が、煤で真っ黒になった覚えがあります。
おはようございます(^-^)/
まだ国鉄の時代の時に私が中学卒業してすぐに社会人になって二十歳前かなぁ?ちょうどその時に国鉄木曽川駅になんかの記念にSL来ると聞いてちょうど大阪の姪っ子2才の女の子が泊まりに来ていたので自転車に乗せて見に行った思い出があります(^-^) 姪っ子なんだか分からないけど人が沢山集まっているので凄く喜んでいたのを思い出しました(^-^)/ ところで長良川鉄道じゃないけど先週の木曜日に樽見鉄道で薬草列車で薬草を食べながら景色(紅葉)を見ながらガイドの説明を聞いて楽しんで来ましたよ(*^ー^)ノ♪ ちなみに社会人になって初めて会社で働いてその時の後輩と2人で行って来ました(*^ー^)ノ♪
薬膳列車ですかぁ!
車窓を横切る紅葉と薬膳料理で一杯なんて、贅沢ですねぇ。
こんにちは。
ポッポ屋のお話ですね。
ポッポ屋って職業が、有ったのですね。
現役のポッポ屋さんのお話貴重ですね。
私は、最近SLに乗ってませんね。
主な仕事が、石炭の補充と管理を、する大切な仕事ですね。
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