「昭和を偲ぶ徒然文庫 8話」

「慌て者の台風補強」 2011年9月22日(オカダミノル著)

 台風が接近する度、父の姿が浮かぶ。

ステテコと鯉口シャツに腹巻。

ずぶ濡れになり、窓は雨戸の上から、玄関には戸板を宛がい、胴縁を打ち付けた。

ある大型台風の襲来前夜。

父は慌てて勤め先から駆け戻り、大工道具を片手に補強を始めた。

母は停電になる前に夕餉を終えようと、これまた大わらわ。

当然ぼくにも、そのお鉢が回って来た。

電気が止まるまでに、宿題を済ませろと。

どうせ明日は警報が出て、休校に決まっているのに。

だが、そんなことを口にしようものなら、「この不心得者!」と、たちどころにどやされるのがオチ。

そんな打算も働き、空返事を返したものだ。

トンカン トンカン

それにしても父の補修は念入りだった。

さぞや大きな台風だろうか?

そのうち、勝手口を外から打ち付ける音まで聞こえ始めた。

「ちょっと、そんなとこまで釘付けにしてまったら、私ら缶詰状態やがね」と、母が声を荒げる。

しかし、荒れ狂う風の音に遮られ、父の耳には届かぬようだ。

「それはそうと、お父ちゃんどっから入って来るつもりやろ?」。

母と顔を見合わせ訝しんでいると、「しもたあ!」と外から父の大声。

せっかく打ち付けた補強材まで、慌てて引っぺがし濡れ鼠で駆け込んで来た。

そこまで両親が、台風に神経を尖らせたのには訳がある。

あの伊勢湾台風で被災し、生と死の淵を一家で彷徨ったからだ。

あに図らんや翌日は、台風一過の日本晴れ。

朝から異様に飼い犬が吠える。

それもそのはず、戸板で塞がれた小屋の中で、腹を空かせ七転八倒していたのだから。

先日、両親と共に伊勢湾台風に遭い、命からがら逃げ惑ったという、アパートの辺りを車で通ったことがありました。

もう既に、当時の町名だったとうっすら記憶している「南区江戸町」と言う地名も存在しておらず、仮に伊勢湾台風で被災せず、そのままそのアパート暮らしだったとしたら、ぼくが通ったはずと言われていた「明治小学校」の校舎を見つけることは出来ました。

恐らくその辺りに遠い親類が営んだアパートはあったのでしょう。

なんせ60年近くも前の、遠い遠い昔の事。

どんなに車から眺めて見ても、生を受けた町の記憶は一向に蘇らなかったものです。

そう言えば非常に不鮮明ながら、小間切れの記憶があります。

それは暑い夏の宵。

恐らく断片的な記憶がまだあるってぇことは、伊勢湾台風に被災した後の、ぼくが3歳か4歳の頃の事ではないでしょうか?

昔々の古い内田橋の欄干の上。

両親に手を引かれ、宵祭の熱田花火を眺めていた、そんな記憶です。

とは言え、混雑を極める内田橋の欄干ですから、ちっちゃなぼくは父の肩車だったかも知れません。

その日初めて、ソフトクリームを買って貰って、口の周りをベットベトにしながら、頬張り付いていた・・・ような!

その記憶は、両親と連れ立って花火を眺めたというよりも、初めて食べさせて貰った、得も言われぬ美味しさのソフトクリームの記憶だったのやも知れません(汗)

やっぱり食い物の魅惑にゃ勝てねぇ、そんな貧しき昭和の記憶です。

★毎週「昭和の懐かしいあの逸品」をテーマに、昭和の懐かしい小物なんぞを取り上げ、そんな小物に関する思い出話やらをコメント欄に掲示いただき、そのコメントに感じ入るものがあった皆々様からも、自由にコメントを掲示していただくと言うものです。残念ながらさすがに、リクエスト曲をお掛けすることはもう出来ませんが…(笑)

今夜の「昭和の懐かしいあの逸品」は、これまた逸品とは異なり季節外れではありますが「子どもの頃の台風の思い出」。

ぼくもご多分に漏れず、「タイフウイッカ」を「台風一家」と勘違いし、何人兄弟でやって来るんだろうと、真顔でお母ちゃんに問い、ポカンとされた口です。

皆々様は子どもの頃、台風に関しどんな思い出がおありですか?

皆々様の思い出話をお聞かせください。

このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和を偲ぶ徒然文庫 8話」」への13件のフィードバック

  1. 今晩は。

    (テーマ)子供の頃の台風の思い出
    考えて見ました。 印象に残っている事,記憶に有りません。

    私は、親が台風の補強を、している所を、見た事が、有りません。

  2. 雨戸を締め切り真っ暗な中、過ごした記憶はあるかな❓️雨が降りだし『シャワーだ』と言って外を走り回って叱られもした。

    1. 暴風雨をシャワーとはしゃぎまわったなんて、ヒロちゃんらしいねぇ!!!
      天晴!昭和の「お転婆娘」!

  3. 「子供の頃の台風の思い出」
    そうなんですよね。両親は伊勢湾台風を経験しているから必死だったんですね。子供心に
    好きなお菓子が沢山買って貰える日のように思っていましたからラスクとか横綱と先月、台風情報を聞いて無性に「横綱」が食べたくなってコンビニに寄ったついでによく似た商品を購入してしまいました。

    1. 「横綱」って美味しくって、ついつい調子に乗って一袋平らげちゃって!
      でもその後、必ず気持ちが悪くなって公開したものです。

      1. 「横綱」ひ・ひとふくろは凄いです。
        あとは油で揚げてある「ミレー」とか
        美味しかったですよね。

        1. やっぱり!
          ミレーもビールのお供に一袋全部食べて、子どもの頃の「横綱」と同じ過ちを繰り返したほど、ぼくはとんと学習能力に欠けた男でした(泣)

  4. 台風が近づくと いつもより早目に夕食や入浴を済ませてました。
    まぁ今もですけどね。
    小さい頃は 妹と一緒に布団を被り 中で懐中電灯をつけて 夜の台風が通り過ぎるのをひたすら待ち そのうちに二人共 夢の中でした。
    中学生になると「明日は 休校になるかも?」と期待をするけど 大体通学時間前に解除され トボトボと学校に向かったものです(笑)

    1. そうでした、そうでした。
      ぼくも「明日は学校休みだ!」と、毎度胸を高鳴らせた、そんな口でした。
      でも休校になることなんて、一度かそこらしかなかった気がします。

  5. そうです そうです ‼️‼️‼️
    台風が近づくと父親もお店の入り口にベニヤ板をはり 細長い板をバッテンにして トンカチで打ち付けていましたよ~

    私と姉は 父親が大切に育てていた、盆栽を 必死で 台の下に降ろしていました。

    1. やっぱりどこのご家庭のお父様も、同じですねぇ。
      盆栽がご趣味とは、これまた粋なものですねぇ。

  6. 台風の思い出

    中学校の体育館に避難しました。壁側の端っこ。あと、帰り道の断片ですが 母が妹をおんぶして 私が傘をさして後ろを付いて行くと いつものように母が、「前を歩いて行くように」と言われました。
    家に帰っても 父はトントン・・・。
    打ち付けた木が乾くまで、しばらく家の中が暗かったです。仕事がお休みの日にしかはずせませんもんね。今から思えば・・・。

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