「昭和を偲ぶ徒然文庫 7話」~「生Liveはお休みです」

「呪文は『御馳走(ごっつお)』」2011年8月25日(オカダミノル著)

「今日は御馳走(ごっつお)やな」。

両手を合わせ、親指と人差し指の付け根に箸を押し戴き、父は必ずそう呟いた。

たとえメザシ一匹に、漬け物だけであったにせよ。

思えば一度たりと父は、飯が不味いと母を詰ったことなどなかった。

敗戦直後捕虜として、極限状態の飢えに喘ぎ、命からがら引き揚げたからか。

一方母は、父が額に汗し稼いだ薄給を、一円たりと無駄にすまいと、家計の遣り繰り算段に、知恵を巡らせた。

親子三人貧しくも、人並みに笑って暮らせるようにと。

その慣れの果てに誕生したのが、昼の我が家の定番、残り物丼である。

前夜の残り物を組み合わせた、母の苦肉の一策だ。

「さあ昼やで」。

丼飯の上には、解説不能な料理がテンコ盛り。

前の晩のシュウマイにキンピラ牛蒡、キャベツのトマトケチャップ炒め。

それが一堂に会し、溶き卵を加え油で炒めたものだ。

料理と呼ぶのも憚られる、不思議な出来栄え。

しかしそんなことはお構いなしに、空っぽの胃袋が悲鳴を上げる。

ぼくは父の口癖を真似、「御馳走(ごっつお)や」と念じて頬張った。

「…うっ?旨い!」。

キンピラの甘辛さとケチャップの甘酸っぱさに、シュウマイと溶き卵が絡み、微妙な旨味を引き出している。

見た目とは裏腹な旨さに舌を巻き、今度また作って欲しいと母にせがんだ。

すると「そんなもん残り物やで、二度と同じになんか出来るかいな」と。

「御馳走(ごっつお)や」。

父の呪文に教えられた。

倹しい食事でも、家族で囲むことこそが、何より贅沢な旨味の決め手だと。

*思えばこれが、ぼくの残り物クッキングの原点だったのかも知れません!

わが家のお母ちゃんの作ってくれたご馳走は、数限りがありません。と言っても、なにもハイカラな西洋料理なんぞ、これっぽっちもあるわけではありませんが・・・。

「今日は洋食やで!」とお母ちゃんが、得意げに宣う日は、挽肉がどこにあるかと探さなければ巡り合えないような、大皿に山盛りのコロッケだったり。

わが家は後にも先にも、両親とぼくのたったの三人こっきりですから、とても一晩で平らげる事なんぞ至難の業。

そんなことは言わずとも母は分かっていたはずだと思いますが、コロッケに限らず天婦羅などの揚げ物にしても、煮っ転がしなどの煮物にしても、一事が万事そんな塩梅だったのです。

子どもの頃からそれがずっと、どうやら気に掛かっていたのでしょう。

ぼくの結婚式の前夜、すっかりコップ1~2杯のビールで出来上がり、風呂に入って先に寝入ってしまった父の寝息をBGM代わりに、ぼくはすっかり眼が冴えてしまい寝付けぬまま、手酌でビールを煽っていると母が、「あてでも作ってやろうか?」と。

作ってくれたのは、「イカの鉄砲焼き」なんぞと母が称していた、剣先イカを溶かしバターと醤油で焼いたぼくの好物でした。

そして母と差し向かいで、過ぎし日の思い出の数々を語り合ったものです。

その途中で、ぼくが子どもの頃から気に掛かっていた、何でもかでも一皿に山盛りのおかずの話になったように記憶しております。

すると母は何の衒いも無く「あの頃は、沢山沢山、山盛りい~っぱい作れるのが、お母ちゃんの幸せやったんや」と。

戦中戦後と、まだ幼い食べ盛りの、いつもいつも腹を空かせてばかりの腹違いの弟二人に、思う存分食べさせてやりたかった、そんな思いがお父ちゃんとぼくに毎度振舞った、てんこ盛りのおかずだったそうです。

*毎週火曜日の生Liveですが、このところどうしたわけか、さっぱりやる気がわかず、ギターを手にして唄うのが、正直億劫なほど怠けモードが全開となってしまっております。

そこでしばらく、生Liveだけは「どうしてもどうしても、唄いたくって仕方ない!」と、そんな気分になるまでしばしの間、お休みを頂戴しようと思います。

しかし火曜の夜の「昭和を偲ぶ徒然文庫」は、アップさせていただこうと思っております。

甚だ勝手ながら、どうかご勘如くださいませ。

★毎週「昭和の懐かしいあの逸品」をテーマに、昭和の懐かしい小物なんぞを取り上げ、そんな小物に関する思い出話やらをコメント欄に掲示いただき、そのコメントに感じ入るものがあった皆々様からも、自由にコメントを掲示していただくと言うものです。残念ながらさすがに、リクエスト曲をお掛けすることはもう出来ませんが…(笑)

今夜の「昭和の懐かしいあの逸品」は、これまた逸品とは異なりそうですが「お母ちゃんが作ってくれた昭和のおご馳走」。

皆様が愛して止まなかった、皆様のお母様は、どんなご馳走を作ってくださいましたか?

皆々様からの思い出話をお聞かせください。

このブログのコメント欄には、皆様に開示しても良いコメントをドンドンご掲示いただき、またその他のメッセージにつきましては、minoruokadahitoristudio@gmail.comへメールをいただければ幸いです。

投稿者: okadaminoru

1957年名古屋市生まれ。名古屋在住。 岐阜県飛騨市観光プロモーション大使、しがない物書き、時代遅れのシンガーソングライター。趣味は、冷蔵庫の残り物で編み出す、究極のエコ「残り物クッキング」。 <著書> 「カカポのてがみ(毎日新聞社刊)」「百人の天職一芸(風媒社刊)」「東海の天職一芸(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸2(ゆいぽおと刊)」「東海の天職一芸3(ゆいぽおと刊)」「長良川鉄道ゆるり旅(ゆいぽおと刊)」

「「昭和を偲ぶ徒然文庫 7話」~「生Liveはお休みです」」への23件のフィードバック

  1. あたしも・・
    世の男性諸君もそうだと思います。
    嫁に食事の事で、薄味だとか濃い辛い等と・・
    言った事がありません⤴
    そんな事、口が裂けても言えません!
    そんな罰当たりの事を言おうもんなら・・・
    こわぁ~~い(汗)
    毎日美味しい食事を食べられるのも嫁のお蔭!
    生ライブ・・休むの賛成!
    誰にだって気乗りしない時期ってあるもんです!
    オカダさんの曲、聞きたくなったら「You Tube」でも聞けるしねぇ!
    いつになるか?分からないけど
    次回、「ほろ酔いライブ」の開催まで「お・あ・ず・け」で良いでしょう!
    なんやったら⤴
    あたしの「落武者ライブ」でも如何?

  2. わたしも ‼️‼️
    わたしもそうなんです (-_-#)
    やる気がおきないんです
    ・・・(;´Д`)

    我が家の 断捨離も!
    息子家族を迎える準備も!

    そして、オカダさんの ブログへのコメントも ! 延ばし延ばし (/。\)
    ごめんなさい m(__)m

    オカダさんがギターを手にして 唄いたくなる時迄 いつまでも 待っています
    ♪♪♪ (*^▽^)/★*☆♪♪♪

    そういえば 初めてオカダさんや皆さんにお会いした ♪♪♪ ダイコクライブ♪♪♪
    から ちょうど ★ 5年 ★ ですね *

    1. そうですか!
      ハートさんも同じですか!
      まあ、焦らず腐らず、のらりくらりと行きましょうか!!!

  3. いいですね〜。幸せいっぱ〜いの食卓。
    ちゃんとオカダさんが引き継いで 料理にあったかさが込められてますよ( ◠‿◠ )
    残り物と言えども ほんの少し手を加えれば また新しい一品が出来ますもんね!
    私も頑張らねば!
    私は 母親が作ってくれたご馳走と言えば オムレツとお雑煮かな。
    オムレツと言っても キャベツやにんじんなど残り野菜を炒めたものをお皿に盛って その上から薄焼き卵を被せ 形を整えて出来上がり!というものです。
    あとお雑煮は ごぼう、人参、里芋、鶏肉など々 とにかくお野菜がたくさん入ってて お醤油味だけど 食材の味がしっかり分かるお雑煮です。
    4,5年前までは お正月実家に行く時に必ず残しておいてもらって食べてました。
    お雑煮だけは いくら真似しても同じ味にならないんですよね〜(笑泣)

    1. いつになっても母の味って、忘れられないものですよねぇ。
      今でもそれを味わえるなんて、幸せですよ!

  4. 生ライブ……大丈夫だよ。好きな時に好きなだけ弾けば良いのよ。休みたい時はゆっくり休めばいいんだよ。あの時からずっと走り続けてきたと思うから自分を音楽、休んでもいい時季じゃないんですか❓️慌てる事はないさ。岡田さんののらり、くらりのマイペースでやって行けばね。

  5. さすがのオカダさんも、3蜜だのソーシャルディスタンスだのと言われている間に人恋しくなって来ちゃいましたね。やっぱ、目の前の反応が欲しいですよね。分かるなぁ⤴️新曲作りだって、目標が無いとモチベーションが上がらないかぁ。ならば、ギター片手に公園ででも歌って下さいよぉ。観客の一人になりますよ(笑)

    1. ああ、それもいい考えですねぇ。
      でもさすがに、若いストリートミュージシャンのような勇気もないし・・・。
      公園でゲートボールのご老人を相手にだったら、まあなんとか!

  6. 「お母ちゃんが作ってくれた
            昭和のおご馳走」は
    母が婦人会で教わった時に購入したと思っている。
    「万能鍋」で作ってもらったハンバーグです。BANNOUNABEをMANMOUMAMEと聞き間違えてそうよんでました。玉ねぎは角が残るくらいのシャキシャキのまま生で具材に投入してありました。ハンバーグの焼き具合が絶妙で焦げるか焦げないかのいい具合で
    ソースがこれまた、なんとも美味しかったです。
    春でもなく夏でもなく家の夕食は6時と決まっていたので もうすっかり薄暗くなっている秋だったと思います。
    そして 薄暗くなった時間に帰って来る私の用事と言えば
    歯医者さんだったのかなぁ〜と思い出しています。熱々のコロッケの時も歯医者さんの帰りじゃあなかったらもっと美味しかったはず!!と今でも思い出すくらい美味しかったです。

    1. 純然たる日本語が、聞きなれない言葉故、外国語のように聞き間違えをしてしまった記憶、ぼくにもたくさんありました。
      それにしてもお母様の手作りハンバーグ、そりゃもう天下一品ものでしたねぇ。

  7. こんにちは。

    ・オカダミノルさん生ライブは、暫くお休み分かりました。大丈夫ですよ。
    オカダミノルさんが、やりたいと思った時で良いです。

    私は、待っていますね。

    ・(テーマ)お母さんが作ってくれたご馳走 考えて見ました。
    お母さんが作ってくれたご馳走 記憶に有りません。
    家は、祖母が料理を、作っていました。はっきり印象に残っている料理は、有りませんね。

  8. こんにちは。やっぱり母親が作ってくれたおかずっていうのは美味しいですよね~ 最近は「作ってくれる・・」とか「今日も美味しくいただける」っていう事にほんとうに感謝してるんです。オカダさんの仰るとおりで、どんな一品でも「御馳走(ごっつお)」っていうのがこの歳になってわかってきましたよ。
    生Live 唄いたくなってきてからでもOKだと思いますよ・・・生身の人間なんですから「やる気がでんな~」って時もあって当然ですよ あ 生意気な事をいってすみませんでした!

    1. 母親ってぇのは、いくつになって、子どもたちのために、あるったけの力を込めて、手料理を作ってくれるものです。
      だからどんなものでも、いくつになっても、かけがえのないおご馳走ですものねぇ。
      それから、11月4日の「幹ちゃん」のお誕生日を、10日の火曜Liveでお祝いしますと言っておきながら、叶えられずに本当に申し訳ありません。
      「ミキちゃんお誕生日おめでとう」

  9. 「お母ちゃんが作ってくれた昭和のおご馳走」
    豚肉の上になつかまぼこ ピーマンなど、そしてたまごがのって、彩りがかわいくって大好きでした。塩胡椒かと思っていたら、すき煮風だったようです。最近 なつかま 見かけなくなったような?
    お誕生日会 運動会 遠足の稲荷寿司 おご馳走でした。友達の家に行ったら、おあげさんが裏になってたのには、みんなでびっくりしてました。

    「生Liveはお休みです」
    今まで頑張ってこられたんですもの、舞い降りるその日をお待ちしております。

    1. ぼくは大人になってから、お稲荷さんの油揚げが裏っ返しになっている、上品な物があることを知りました。
      でもやっぱり、酢飯ではち切れそうに膨れ上がった、晴れの日のお母ちゃんのお稲荷さんが一番のお気に入りでした。

  10. オカダさん、お休みしたらエエんです。
    そういう時こそ、心の声を大切にされた方が良いと思います。

    それといつか(10年後でも20年後でも良いでーす)私たち中高年が主人公で、少しだけ元気になれるような歌をつくって下さいまし。
    もちろん今でも、オカダさんの歌を歌いながら掃除機とか、かけてまーす。
    明るい気持ちになれるので感謝しています!

    1. 中高年のエールソング、作って見ますね!
      気長にお待ちいただければ何よりでーす!

  11. おかあちゃんが作ってくれた思い出の味は、焼き飯です。
    チャーハンでもピラフでもない「焼き飯」です。
    カマボコや細切れ肉や残った野菜が入っていました。味付けは「チャーハンの素」または、醤油とかです。
    妙に美味しかったです。

    1. 家のお母ちゃんも、チャーハンとは違う、焼き飯をよく作ってくれたものです。
      炒り卵の入っていない、どっちかって言うと油ギッシュなもので、ウスターソースをドボドボと掛けて食べたものでした。

  12. おはようございます。息子の誕生日祝っていただいて本当に有難う御座います いつもながらオカダさんのお気遣い本当に感謝です! 

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